がいとう




「カレーの旨い季節になったなー。」


背後からからかうような声がして、振り返ろうとしたら頭をガシッと掴まれた。
優しく手を置くとかじゃなくて、ボールか何かでも掴むように。
いつからこんなスキンシップが始まったのかは忘れてしまったけど、最初から遠慮がないと言うか、色気がないと言うか、そんな感じだった。私はその大きい手から解放された頭をふるふると振り、じろりとその手の持ち主を睨む。


「・・・別にいつ食べても美味しいです。」
「ばーか、これからの季節はもっと旨くなんだよ。おばちゃんの汗の塩味が効いてなぁ・・・」
「汚いこと言わないでください!」


その人はケタケタと笑って、食券をカウンタに出した。
チラリと見れば、今日は日替わり。相変わらずリッチなお昼。くそぅ。
私の考えていることが分かったのか、トレーとお箸を取りながら私の方を見てニヤリと意地悪く笑った。








この人に初めて話しかけられてから数ヶ月。別にそれほど変わったことはない。
いつもお金がないから学食に行く私。
相変わらずお友達と楽しそうにおしゃべりしているこの人。
ちょっと変わったことと言えば、目が合うと手を上げて挨拶したり、カウンタの前でこう言うやり取りをしたり。
羨ましがられたりもした。
話したこともないクラスメイトの女の子から嫌味まで言われた。
でも、当の本人である私は―――ただただ不思議な感覚と言うか、非現実的な感覚が抜けなくて、いつも会話をするときとかも余裕がなくて、いっぱいいっぱい。


話をするのは、やっぱり楽しいし、ついニヤけてしまう。
学食で賑やかにおしゃべりしているのを見つけると、嬉しい。
でも、本人が目の前に立つと勝手に自分のテンションが上がってしまう感じで、めまぐるしく時間が過ぎてしまう。
何て言うか、そう、ジェットコースターみたい。
メリーゴーランドなんて可愛いもんじゃなくて、絶叫マシン。








その日もいつもと同じように、午前の講義を終えて学食へ向かってた。
そう言えば冷やし中華が始まってたっけ、一回くらいは試してみようかな、そんなことを考えてボンヤリ歩いていたら、突然前に壁が。


「あ、すみません。」


慌てて左に避けたら、その壁も同じ方向に移動してくる。
今度は右に避ける。と、その壁はまた同じように右に移動する。
仕方なくもう一度左に避けようとしたら、「いい加減、上向けよ。」と、頭を掴まれた。
こんな風に私の頭を掴む人間なんて、この大学に―――と言うかこの世に一人しかいない。
あからさまに嫌そーな顔をして見上げれば、やっぱり、高橋くんだった。


「お前、いくら金がねぇからって下ばっかり見て歩いてると危ねぇぞ。」
「べ、別に下ばっかり見てません!って言うか別にお金が落ちてないかなんて探してませんっ!」
「まあ、そう強がんなって。なに、これから飯食いに行くの?」


これ以上反論しても遊ばれるだけだと思い、私は大人しく頷いた。
でも顔は渋々なのを隠せなくて、それを見て高橋くんは可笑しそうに笑う。


「んな顔するなって。じゃあどっか外に食いに行こうぜ。」
「えっ。」
「ちゃんと奢ってやるから心配すんな。」


そう言って私の返事を待つことなく、「ほら行くぞ。」とさっさと歩き出す。
な、何て強引なんだ。
ちょっと呆れながらも、足取りが軽く感じるのは気のせいだろうか。


「今日はお友達と一緒じゃないんですか。」
「ああ、そう。俺だけ教授に捉まっちまってさー。」
「ふーん。レポート出し忘れたとか。」
「・・・お前、俺のこと馬鹿にしてんだろ。」
「そ、そんなことないです。」
「まーいーけど。いいじゃん、そのおかげでに会えたんだから。いやー、ラッキーラッキー。」


全然ラッキーそうに聞こえない棒読み声でそう言って、ケタケタと笑う。何かちょっとムカつく。
「私もお昼代浮いてラッキーです。」って口元を引き攣らせながらも笑い返すと、今度は苦笑いされた。


入ったのは大学のすぐ近くにある定食屋さん。
学生相手の小さなお店はお昼時になるといつも満席。
友達との付き合いで何度か入ったことはあるけど、絶対自分一人では来ない。だって学食カレーの3倍も高い。


「こんな高級店、入ったことねぇだろ。」


古そうな曇りガラスのドアをガラガラと開けながら、高橋くんは私を振り返る。
・・・一番高いロースカツ定食食べてやる。
その憎らしい顔を見て私は心に誓う。


「ま、遠慮しないで好きなモン食えよ。」
「じゃあロースカツ定食にプリンも付けていいですか。」
「・・・ほんとに遠慮がねぇな。」


冷ややかに見下ろしてくる人の視線を避け、運ばれてきた水をゴクゴクと飲む。
一息ついて周りを見渡すと、お店は学生で埋め尽くされてほぼ満席。ガヤガヤと賑わっていた。
端の方からの視線を感じ、その方向を見ると、数人の可愛い女の子。どうやら私じゃなくて高橋くんを見ているようだった。私は慌てて視線を前の戻す。と、そこには「おばちゃん、お冷おかわりー!」と叫んでる高橋くん・・・。
不思議な感じ。
私はあの女の子達と何も変わらないはず。
だけど、何故か、目の前に高橋くんの顔があって。
すぐ側でその声が聞こえる。


何だろう。
何だか、急に、寂しくなった。
私はそんな気分を追い出そうと、高橋くんと一緒になってグビグビとお水を飲んだ。


「お前いっつも金ねぇって言ってるよな。年頃の女が毎日学食のカレーって寂しくない?」
「・・・ほっといてくださいっ。」
「実は男に貢いでるとか言うオチじゃねぇよな。」
「ち、が、い、ま、す!欲しい物があって、お金貯めてるんです!」
「へー、何?」


元気のいいおばちゃんが運んできてくれたお味噌汁に口を付けて私を見上げ、返事を待つ。
これだけいつも言われていて、何だか素直に答えるのも悔しい。
でも言いたい気もする。
相変わらず端の方から視線を感じる。
私は割り箸をパシリと割った。


「・・・バイク。」


ボソリ、言うのと同時に目の前の男が味噌汁を吹き出す。
あ、危ない。私のご飯が味噌汁かけご飯になるところだった・・・。


「きたないー!そんなに驚くことないじゃないですかっ!」
「バイク?お前が!?」
「いけませんか。」
「悪くねぇけど、いや、むしろ全然いいけど・・・何でバイクなわけ?車じゃなくて?」
「ツ、ツーリングに行くのが夢なんです。」
「襲われっぞ。」
「襲われません!」


いつの間にかこのテーブルが一番賑やかになっていて、端の方からだけじゃなく四方八方から視線を浴びてしまっていたことに気付き、慌てて自分の口を押さえる。
おかしい。私は普段は物静かな人間なはずなのに。
でも、こんなのも楽しいなんて、思ってしまう。


「じゃあ、俺のヤツ、安く売ってやろうか。」
「えっ!」
「なに、その嫌そうな顔は。」
「・・・違法改造とかしてそう・・・。」
「ちゃんと戻して売ってやるって。」
「遠慮しておきますっ。」


やっぱり違法改造してたのか!
ケロリと言ってのける男を呆れ顔で見る。
おばちゃんがロースカツとワカサギフライをテーブルにドン、ドンと威勢よく置いて行った。


「確かに、たまにはツーリングってのもいいな。、さっさとバイク手に入れろよ。」
「そんな簡単に手に入ったら苦労しません。」
「しょーがねぇな、俺の昔の知り合いとか当たってみっか。」
「・・・違法改造は嫌です。」
「だからちゃんと戻して売ってやるって。」


わかんねぇヤツだなぁ。
そう言いながらワカサギフライを頭からガブリ。
分かんないのは、あなたの方です!


「じゃあ頑張って金貯めろよ。たまには俺も協力してやっからさ。」
「協力?」
「ああ、でもプリンは二回に一回ぐらいで頼むわ。」


俺もガス代やら何やらで結構ピーピーなんだぜー。
冗談めかして笑いながら、おばちゃんにお金を渡して店を出る。
「ごちそう様です」ってペコリと頭を下げたら、「おう。」って言ってまた私の頭を掴んだ。


「・・・それ、やめて下さいっ。」
「何で?いいじゃん。こう何か、ちょうど手にフィットすんだよな。」


私が自分の頭を両手で押さえてると、その上から高橋くんが手でポンポンと叩いた。
いつもより、ちょっと優しい感じで。
そんな風に高橋くんの手が触れることなんて、初めてで。
その手の感触と、そのときの高橋くんの表情が、私をいつもと違う感覚にさせる。
不思議な感覚なのは同じなんだけど―――じわじわと、自分の中に何かが溶け込んでくるような。




私にとってこの人は―――何だろう?




「今度一緒に飯食うときまでには、その敬語、取っ払っとけよ。」
「え。」


今日のジェットコースターはいつもよりスピードは遅くて。
でも、いつもより何故かドキドキした。