痛み




何度経験しても、慣れない。


周りの無責任な連中は、女の方から寄って来て羨ましいとか、よりどりみどりだとか、好き勝手言いやがる。
何人の女とやったか。
たまにそんなくだらねぇ話になると、周りの奴らは勝手に憶測して、勝手に俺を祭り上げる。


そう、一晩限りとか、身体だけとか、そう言う関係なら気は楽だ。
そう言う経験がなかったとは言わない。否定しない。
そんな女たちに別れを告げるのは容易い。
いや、そもそもそう言う女たちには「はじまり」も「おわり」もないんだ。


だけど、本当に女をふるのは―――何度経験しても、慣れない。


もっと早くにはっきりさせてやればよかった。
そんなこと、今さら言っても仕方がないけど。
隣りで泣き続けているこいつに、俺は何の言葉をかけてやることも出来ず、ただ、黙って前を向いてステアを握っていた。


「もっと気楽に考えろよ。」


埼玉エリア最後のバトルの後、史浩は性懲りもなくそう言いやがった。
わかってる。
史浩は、ただそう言う選択もあるのだということを示しているだけだってことは。
俺がそう言う選択をしないことだって、本当はちゃんと分かってる。
それでも敢えて言いたいんだろう、もっと肩の力を抜けって。


アニキはその横で何も言わずにコーヒーカップを傾けている。
アニキも分かってる。
史浩の言うように気楽に考える選択肢があること、俺がそれを選ばないこと。


「啓介―――あの子とはいつ会うんだ?」


そのアニキがやっと口を開いた。


「え?今度の日曜だけど・・・。」


車を借りた礼がしたい。
そう言って、俺はあいつと会う約束をした。
すごく嬉しそうに笑ったあいつの顔に罪悪感は覚えたけれど、もうそのときには決めていた。
たとえ酷い言い方をしても、あいつを傷つけることになっても、それでも、片を付けようって。


「今度の日曜じゃ、まだお前の車、戻ってきていないんじゃないか?」
「え・・・そうか?」
「今回、修理するだけじゃなくて色々手も加えるからな。」
「じゃあ、親父の車でも借りていくよ。」


親父のベンツなんて殆どガレージに置きっぱなしだし。
すぐ貸してくれるだろう。


「あの親父の車じゃ、相手がびびるぜ。」
「でもしょうがねぇじゃん。お袋のはいつも仕事で乗って行っちまうし。」


さすがにアニキの車を貸してくれ、なんて簡単には言えない。
アニキは自分の車をすんごく大事にしてて、本当に目に入れても痛くないって感じで。
たぶん、俺が運転させてもらえたのなんか、ほんの数回。
それを、女と会うために使っていいなんて言ってくれるとは思えなかった。
ちょっとは、期待してたけど。


「涼介、お前の車貸してやれよ。」


そう言ったのは史浩だった。
史浩だって、アニキが尋常じゃないくらい車を可愛がっているのを知ってる。たぶん俺以上に。
その史浩がそんなことを言い出すなんて。


「いっいいよ!大丈夫だって!」


俺は慌てて手を横に振る。
すぐ露骨に嫌な顔をするんじゃないかな、と思っていたけど、アニキは何かを考えているような表情のまま、黙ってカップに口をつけた。


「いや、涼介の車の方がいいんじゃないか―――いろいろと。」


その日は休みだから、大学に行くんなら俺が乗せて行くよ。
そう言って史浩がアニキに笑いかける。
俺にはそのときはまだ、その「いろいろ」が分からなかったけど、アニキには分かったみたいだった。
暫く黙っていたけど、ゆっくりとカップをソーサーに戻して口を開いた。


「―――いいぜ。使っても。」
「えっ?!」
「その日は午後から大学に行かなきゃいけないんだ。史浩、お前乗せて行ってくれよ。」
「ああ、任せておけ。」
「いいのか、アニキ?!」
「その代わり、次の日洗って返せよ。」
「それはもちろん・・・。」


アニキは少し口元を緩ませて笑っていた。
ちょっと、仕方ないなって顔で。でもその目は、優しくて、アニキのもので。
史浩も、その横で笑ってた。
アニキも史浩も、本当に、全部。分かっていたんだと思う。


展望室なんかに行って、そこそこ美味い所で飯を食って。
少しはいい思い出を―――なんて考える自分が女々しく感じる。


ちゃんと別れを告げるのは赤城で。そう思って峠道を上っていく。
山頂に近づけば近づくほど、「あの」瞬間の重い空気が、緊張が、俺にまとわりついてくる。
でも、ステアを握っていると―――アニキの車を駆っていると、少し落ち着いた。
あの、初めてアニキの車で全開ダウンヒルを経験したときを思い出しながら、冷静さを取り戻す。


ひどい、と言われた。
予想通りの台詞だった。
俺も、自分で、そう思う。


中途半端な態度を取り続けちまった。
こいつが初めて赤城に来たとき、俺は二度と来るな、そう言った。
そう言っておきながら、俺はこいつと飯を食いになんか行っちまった。
そんなことをすれば、こいつの期待を大きくさせるだけだって、分かってたのに。
別に飯ぐらい―――俺はそんな風に自分に言い訳をしてた。


あのバトルは、どうしてもやりたかった。
だから、こいつの車を借りた。
だけど、本当は、こいつのことを思うなら、どんな理由があってもこいつの車なんか借りるべきじゃなかったんだ。


こいつと飯を食って、よく眠れて、バトルにベストな状態で臨めた。
こいつの車を借りて、もう駄目だと思っていたバトルに勝てた。
それはすごく感謝してるんだ。
俺は、俺に、後悔はしていない。
でも―――もっと、お前のことを考えてやるべきだったよな。


中途半端な態度を取り続けちまった。
一瞬でも―――お前のことが可愛いなんて思っちまった俺が、悪いんだ。


「―――ごめんな、恭子。」


だから、その涙は俺への罰なんだろう。


俺は、この痛みに慣れない。
女を傷つける痛み。
女が傷つく痛み。
何度経験しても、慣れるもんじゃない。
せめて、その涙で、お前の痛みが和らげばいいのに。


ごめん。
ごめんな、恭子。


だけど、本当は、「ごめん」だけじゃなくて、「ありがとう」も、言いたかった。
俺のことを好きになってくれてありがとう―――って、言いたかったよ。