あめ




いろはに着いて早々、雨が降り出した。


「これは引き上げた方がいいっすねぇ。」
「―――そうだな。」


暫くの間そのまま駐車場で止むのを待っていたが、一向に雨脚は衰える気配がない。
平日の夜。
何も無茶をして雨の中走りこむ必要は、今のところない。
やれやれと言うため息とともにチームの連中は峠を下りる。
俺も煙草を一本吸い終えた後、同じように引き上げた。


峠を下っても雨は止まず。
バタバタと勢いよくフロントガラスに当たっては、流れる。
タイヤが道路の雨水を裂く音は、このうるさいエンジンのそれに負けていない。


もちろん、峠に行ったからには走りこむつもりで。
その腰を折られた俺は、何とも中途半端な気分を持て余していた。
火傷するほどの激しい熱―――と言うほどではないが、体の隅でチリチリと小さく燻っているような。


ふと、のことが頭を掠める。
まだ11時を回ったばかりだ。
いくらなんでも起きているだろうと、携帯を手に取った。
―――が、何コール待っても出やしない。


「まさか、もう寝てるのか?」


携帯に当たっても仕方がない。
そうは思っても、それをナビシートに放る動作が些か乱暴になるのは止むを得ないだろう。
俺の中の燻りが、余計大きくなってしまったように思うのは気のせいか。


結局、大人しく家に帰る。
途中清次から飲みに行かないかと誘いの電話が入ったが断った。
熱を持て余しているとは言え、酒で発散させる気分でもなかった。
駐車場に車を入れる。
まだまだ止みそうにない雨に舌打ちしながら、外に出た。


アパートまでの短い距離を走る。
―――が、そのとき、目の端に何かが留まる。


「―――?」


一番端の空きスペースに、の車がひっそりと止まっている。
いや、見間違いか?
俺はよく確かめるため、その車に近づいた。


それは、どこをどう見てもの車だった。
しかも中には持ち主本人がシートを倒してぐうぐうと寝ている。
まったく―――タクシーの運ちゃんの時間つぶしか。
激しい雨で、ため息をつくことも儘ならない。
雨が顔に降りつけるのを手でよけながら、そのドアガラスをガンガンと叩いた。


「おいっ、起きろ!」


俺の声に気付いたのか、叩き割られそうな手の勢いに驚いたのか、
はビクリと体を震わせ、慌てて起き上がった。


「―――京一びしょびしょ。」


ドアを開け、相変わらず的外れなことを言いやがる。
俺はそんなに呆れながらも、その腕をぐいと引っ張った。


「さっさと来い!」


半ばを引き摺るようにしてアパートの階段を昇り、部屋に入る。


「水も滴るいい男―――って感じね。」


相変わらず馬鹿なことを言っている女に、タオルを放り投げた。
それを素直に受け取ったは、濡れた髪を拭きながら、また言葉を続ける。


「じゃあ私は雨も滴るいい女?」
「・・・まだ寝ぼけてんのか。それとも雨に打たれておかしくなったか。」
「相変わらず酷い男。」
「お前は相変わらず変な女だ。」


俺は自分の体を拭いていたタオルで、そいつの頭をゴシゴシと拭き始める。
その乱暴な手つきには痛い、と不満を零しながらも大人しくしていた。
そのタオルから、俺の胸に添えられたそいつの手から、じわりと熱が伝わってくる。
雨で冷やされたかと思った体の熱が、また戻ってくる。


「お前、携帯はどうした?さっきかけたが繋がらなかったぞ。」
「携帯?・・・ああ、家に置いてきちゃった。」
「・・・ったく。どうしたんだ、急に。」


こいつが俺の家に来るときは、必ず前もって連絡をしてくる。
俺が夜走りに行ってしまうのを知っているからだ。


「―――たばこ。」


俺に拭かれるに任せて下を向いたまま、がぽつりと言う。


「家に帰ったら京一の煙草があって―――会いたくなっちゃった。」


俺からはその濡れた髪と肩しか見えないから、表情は知ることは出来なかったが。
言葉の最後の方には、やや自嘲的な笑みが含まれていた。


―――ったく。


俺は手を止めて、の頭にバサリとタオルをかける。
少し不安そうに見上げてくるそいつをそのままに、俺はクロゼットの奥を漁った。
そして目的のものを見つけ、に向かって投げる。
チャリ、と小さな音がして、それはの手の中におさまった。


「いつもあんなところで寝てたら、いつか犯られるぞ。」
「・・・相変わらず酷い男。」


そんな非難めいた言葉も、口元を緩ませたままじゃ意味がない。
俺が苦笑すれば、も小さく笑い返す。


「―――何だかんだ言っても・・・やっぱり嬉しいものね。」
「そうか?」


手に握られたものに視線を落とし、擽ったそうな顔をする。
部屋のスペアキー。
もっと早くに渡しておけば、二人でこんな濡れ鼠にならないで済んだか。
俺は小さく息をつき、そいつに掛けられたままだったタオルを取り去った。
俺を見上げてくるそいつの目は、雨のせいなのか、熱のせいなのか、やけに潤んで見える。


「いい女―――か。」
「え?」


確かに。


そんな最後の言葉は飲み込んで。
熱をすべて放つように、に強く口付けた。