mellow




もうじきここにも雪が積もり、オフシーズンに入る。
その前に少しでも走りこんでおこうと、いつにも増して多くの車がいろは坂に集まっていた。
もちろん、エンペラーの連中も続々とこの展望台駐車場に集まってくる。
俺も何本か走り、その感覚を全て体に刻み込む。
うるさい清次をかわし、チームの奴の走りを見てやり、そうやっていつもと同じように時間は過ぎ夜が更けてゆく。
闇が深まるのと同時に、寒さも一層深くなる。いつの間にか、駐車場を吹き抜けていく風は肌に突き刺さるように冷たい。
そして顔を上げれば、やたら冷え冷えとした月が雲の間から見え隠れしていた。


何がどうしたのか。
その月を見て、普段の俺には全く縁のない、感傷的な気分が不意に沸き起こる。
そしていつもの俺ならそんなもの「気のせいだ」とすぐに振り切り打ち消しているはずだろうに、何故かそれに逆らわず、逆に飲み込まれた。


ポケットを探り、煙草を一本取り出すけれど、何故か火をつける気にはならず、すぐ箱に戻してしまう。
代わりに携帯を取り出し、そのディスプレイにあいつの番号を呼び出して―――最後の悪あがきとばかりに深く溜息をついた。


清次に見つかると鬱陶しい。
あいつは見て見ぬ振りとか、そう言うデリカシーのある対応を出来ない男だ。
あいつの車がないのを確認し、駐車場の隅へと移動する。
通話ボタンを押せば、数回の呼出音。
そしてそれがプツリと途切れ、続いて耳に響いてきたのは、少し緊張気味なあいつの声。


「京一・・・さん?」


まだ呼び捨てにするのは抵抗があるのか、躊躇いがちに、そう、俺の名前を呼ぶ。
その呼び方に距離を感じ不満を覚えながらも、同時にそれが彼女らしくて安心する。


「ああ。悪いな、こんな時間に。」
「大丈夫、まだ起きていたから。」


その言葉は別に嘘ではないのだろう。
声はとても穏やかだったがはっきりとしていて、眠そうな気配は感じられなかった。
何となく、この後にも彼女の言葉が続きそうな雰囲気がしたのだが、どうやらこいつはそれを飲み込んでしまったらしい。
ほんの少しの沈黙の後、俺は「そうか。」とだけ言った。


「―――今は、いろは坂にいるの?」


何故電話をしてきたのかは聞いてこない。
用事がなければ会えない、何かなければ電話出来ない、そんなもどかしい時間をお互い散々過ごしてきたせいだろう。
けれど、ただ会いたい、声が聞きたい、そんなことを面と向かって言うには、二人ともまだまだ訓練が必要らしい。


「相変わらずだ。」
「うん、車の音が聞こえる。」


第一、ここで会いたいと正直に言ったところで、チームの奴らを放り出して今すぐこいつの所へ行ける訳じゃない。
だから俺は結局何も言わず、そいつの呼吸する音さえも、全て聞き逃すまいと、耳に神経を集中させるだけだ。
勝手なもんだ。
心の中で、そう、自分を笑いながら。


「今何してたんだ?」
「布団の中で本読んでた。」


ほら、もう寒くなってきたでしょう?だからすぐお布団に入っちゃうの。
照れ隠しに小さく笑ってそう言う
だがきっと彼女の部屋は暖かく、明るい光に包まれているだろう。
そして、彼女自身も温かい。
相変わらず冷えた白い光を放つ月を見上げながらそんなことを考え―――また、何かが湧き上がってくる。


「京一さんは、今日も明け方までそこにいるの?」
「そうだな・・・もうじきここも走れなくなるしな。」
「そう・・・。」


もし、ここで、こいつに今すぐ会いたいと言われたら、俺は抗えるだろうか?


―――なんて、俺はそれにかこつけて、自分の欲求に従いたいだけだろう。
全てを放り出して、こいつに会いに行く。
だがそれだけじゃ足りずに、俺はこいつの全てを求めちまうんだろう。


本当に、どうしようもねぇな、俺は。


そんな自分のくだらない考えを打ち消そうと、俺はそいつの名前を呼ぶ。


。」


また電話する、そう言って切ろうとしたとき、の声に遮られる。


「京一さん。」


また、最初のような躊躇いがちな声。
俺は自分の邪な考えを見抜かれたんじゃないと愚かにもうろたえ、返事も出来ずに次の言葉を待った。


「朝ごはん、作って待ってる。」
「―――。」
「だから朝は―――私の家に帰ってきてくれる?」


今度は、思いも寄らなかった彼女の台詞にうろたえて言葉を詰まらせる。
胸の辺りがジワリと痺れ、そしてその後、ゆっくりと温かいものが広がっていく。


「ああ・・・分かった。お前の所に帰る。」


そして、そんな言葉を返すだけで、温かさを通り越し、携帯を持つ手が熱くなって行く。


―――ったく、ガキの恋愛だな。


自分で自分を罵ってみても、それさえも喜んで受け入れちまう自分がいるんだから、どうしようもない。


「じゃあ、待ってる。」
「ちゃんと寝ておけよ。」
「うん、おやすみなさい。」


ぎこちない挨拶を終え、名残惜しくも電話を切る。
だが、携帯を閉じても、まだ耳の熱は取れない。
自分の発した言葉が舌の上に余韻を残して、おかしな気分にさせる。


「―――帰る、か。」


俺は眉間を指で押さえ、必死にいつもの自分の顔を思い出だそうとした。