アレルギー




そう言えば、すぐに仲直りしなかったケンカって初めてかもしれない。
お互い我慢することを知らないから些細な言い合いは実は結構多い、
けど、言いたいこと言い合ってしまったらそれですっきりしちゃって、次の瞬間には二人で何事もなかったかのように普通に会話してたりする。
今回もいつものケンカと内容は変わらないはずなのに、何故か二人とも譲らなかった。
単に、たまたまだった。


一日空けておいてくれるって言ってた日に、京一が走りに行く約束をしてしまったのが原因。
仕事だったら仕方がないと思う。
滅多に会えない友達がその日しか空いていないって言うのなら、大人しく諦めるわよ。
でもね、毎日のように会っている仲間と、わざわざその日に会わなくてもいいでしょう?
それはもちろん、京一が私との約束をうっかり忘れてただけなんだけど。
・・・いえ、彼女との約束をうっかり忘れるってどう言うことなの?
いくら聞き分けのいい私でも、怒るときは怒るわよ?


「すまん。」


大人しく謝って来た京一に、私はチクリと嫌味を言う。


「いいわよ、京一、走るの好きだものね。」


いつもならもう一度「すまん」って謝って、背中向けてちょっと小さくなりながら煙草を吸う。その姿が何だか可愛くて「じゃあ次はいつ空けてくれるの?」って私も笑顔に戻るのに、その日は黙ったまま眉間に皺寄せてぷかぷか煙草を吸い始めた。
可愛くない。
私は笑顔になるのを忘れて、嫌味口調を続けてしまう。
別に怒ってたわけでも、根に持ってたわけでもないような過去の出来事を、無理やり記憶の中から引っ張り出してきて、手当たりしだい。


「この前のクリスマスだって、酔っ払った友達が押しかけてきちゃうし、誕生日も当日になってから思い出すし。」
「・・・悪いって言ってるだろう。」


眉間の皺を深くしてそう返してくる京一。
あら、逆切れする京一なんて珍しい。
なんて、そのときの私は新鮮な京一への感動よりも、可愛くないことへの腹立たしさの方が勝っていて、さらに下らないことを続ける。


「一緒にいられるだけでいいって言ったのは嘘だったのか。」
「何よそれ、開き直り?」


結局、私はその日、会って数十分で京一の部屋を出てしまった。
わざとらしく、階段を降りる時にガンガンと大きな音を立てて。
でも、自分の車の前まで戻った時にはもう頭は冷えていて。
自分のバカさ加減を、白い息と一緒に吐き出してしまいたかった。


とは言え、やっぱり元はと言えば京一が悪いわ。
とりあえず、その日は戻ってあげないで、そのまま車に乗り込んだ。






それから一週間。
気が付いたらバレンタインデー。
元来二人とも意地っ張りだから、意地を張り出すと止まらない。
でも一週間経てば十分でしょう?
別にバレンタインだから何かしたいってわけじゃないけど、そろそろ仲直りしてもいいわよね?
仕方ない、私から折れてあげるしかないか。
仕事を終え、会社のロッカールームを出て鞄から携帯を取り出すと、タイミングよくそれが鳴り出した。ディスプレイを見るまでもなく、その着信音で誰だか分かる。私は緩む口元を押さえつつ、軽く咳払いして電話に出た。


「―――よぉ。」


一週間ぶりの声。
今までにも一週間くらい声を聞けなかったことはあったけど、何だか今回は特に感慨深いわね。
でも、ちょっとだけ意地悪をしたくなる。


「お久しぶりね。」
「まだ怒ってるのか。」
「そんなことはないけど、つい嫌味を言うのが癖になっちゃって。」
「そんな癖は付けなくていい。」


いやそーな声。
きっと今ものすごく渋い顔をしているんでしょうね。
そんな京一を思い浮かべて、つい、クスクスと笑ってしまう。
電話の向こうからやれやれと言うため息。


「これから会えないか。」
「これから?いいけど・・・いつものお店で待ち合わせでいいの?」
「・・・・・・。」
「京一?」
「今、お前の会社の前に来てるんだが。」
「はっ!?」


京一が私の退社を待ち伏せ。
そんな状況、いまだかつてなかったから、思わず間抜けな声を出してしまった。
慌てて口を押さえ、周りに人がいなかったことに安堵し、早足でエスカレーターを降りる。
そして玄関を出て辺りをグルリと見渡せば、端の方にひっそりと止まっている黒い車。
そのゴツい外見に負けず劣らずの男が、視線を泳がせながら車から降りてくる。


どうしちゃったの?
いつも恥ずかしいから、絶対に嫌だって言い張ってたのに。


「どうしたの?」
「今日は客先から直帰で早くあがれたんだ。」


まだ視線の定まらない京一は、そのまままたすぐに車に乗り込んでしまった。
やだ、それって照れてるの?
全然顔は赤くなくてすっごく不機嫌そうだけど。
私は緩みきってしまった口元を片手で覆いつつ、助手席側のドアを開ける。
と、シートの上にはリボンのかかった小さな包み。
何も言わず車を発進させてしまう京一の横で、その包みをヒラヒラと持ち上げる。


「なーに、これ?」
「・・・お前にやる。」


聞いたことのあるお菓子のブランド名が入った包み紙。
開けると、白くて可愛い形をした焼き菓子が並んでいた。そして、一緒に入っていたカードにはハッピーバレンタインの文字。
バレンタインって・・・女から男にあげるものよね?
―――って、ちょっと待って。


「京一、これ、あなたが買ったの?」
「・・・他に誰が買うってんだ。」
「誰か手下に買いに行かせたとか。」
「手下って何だ・・・。そんなクソ恥ずかしいことするわけねぇだろう。」


友達に買いに行って来いって言うのと、この時期の洋菓子店なんて、女の戦場みたいな場所に自分で行くのと、果たしてどっちがより恥ずかしいだろう?
何だか罰ゲームみたいね。
さっきと同じように視線を泳がせながら店員にお菓子を注文する京一の姿を思い浮かべる。


可愛くて、つい、笑ってしまう。
あ、さらに不機嫌な顔になっちゃった。


「これって、反省のシルシ?」
「・・・・・・。」


ここの交差点の信号は長いから、そんなずっと前向いてる必要ないでしょ、京一。
可愛い。
可愛くて、つい、手が出ちゃう。
シートに手をつき、その頬に掠めるようにキスする。


あら、ますます不機嫌そう。


「・・・外に見えるぞ。」
「平気平気。」


別にいいじゃない、見えても。幸せなんだから。
なーんて。
カサカサとお菓子の箱を閉じながら、ふと、疑問に思う。


「ねえ、でも何で焼き菓子なの?バレンタインって言ったら、普通チョコレートでしょ?」
「・・・って、お前、チョコレート食えねぇだろうが。」
「え?」
「アレルギーだか何かで食えねぇって、前言ってただろ。」


そうだっけ?
そんな、私がいつ言ったか覚えてないようなことを覚えてたの?
・・・ほんと、京一って、何だか、むかつくわね。


「ねえ、やっぱり唇にちゅうしていい?」
「・・・後にしてくれ。」


あら、と言うことは今晩は空けてくれたの?
そっか。私もバレンタインのプレゼント、用意しなきゃ。
鞄の中のチョコレート以外にも。


「もう、唇とは言わずどこにでもしてあげるわ。」
「それは楽しみだな。」


何よそれ、開き直り?
でも、そう言う開き直りは可愛くて好きよ。
相変わらず前を向いたままの仏頂面京一。
私は笑いながらその頬を指でつついた。