やみ




暗闇の中、目を閉じていると聞きなれた音が近づいてきた。
昼間よりも幾分抑え気味にアクセルを踏んでいるのは分かるんだけど、元々が元々な車だから、やっぱり目立つ音。
暫く聞こえていたエンジン音が止み、代わりに外の階段を昇ってくる音が聞こえる。
これもやっぱり夜中だから昼間よりも遠慮がちな音なんだけど、元々が元々な男だから、すぐに分かる音。


ガチャリと鍵を開ける音。
そーっとドアの開く音。
もう。ガサツに見えてそう言うところ、妙に気を使うのよね。
笑いを抑えられなくて、布団を被って緩んだ口元を隠す。


最近、私は金曜の夜に京一の家に泊まるのが習慣になっていた。
もちろん、週末の夜なんて京一は殆ど走りに行ってしまっていていないけど、次の日の昼過ぎに待ち合わせて―――ってするよりも、少しは長く京一といられるから。
と言っても、これを先に提案したのは京一の方だった。


「その方が面倒じゃなくていい。」


なんて相変わらずの仏頂面で言ってたけど、目を泳がせるのは照れている証拠。


「横着ね。」


って私も呆れて笑ったけど、ちょっとだけ、嬉しかった。
ま、ちょっとだけね。
こうやって京一の匂いのする布団に潜って、うとうとしながら待つのも、ちょっとは楽しい。


パチンと入口の電気がつけられて、ドアの隙間から光が入り込む。
たまに起きて待っているときも、あることはあるけれど、何せ帰ってくるのが夜と言うより明け方近く。平日は仕事しているって言うのに、よくそんな体力があるわよね。
そんなことを考えていると、暫くしてザーっとシャワーを浴びる音。
京一って、頭のてっぺんから足の先まで一気に洗って流しちゃうから、ものすごく早いのよ。ちゃんと湯舟に浸かってゆっくりすればいいのに。カラスの行水以下よね。
ドライヤーの音も一瞬で止んで、台所でガチャガチャとコップの音がして、じきにパチンと電気が消えた。
ドアの隙間の光の筋も消える。


真っ暗闇。
さて、一応狸寝入り。


「おい、そっち詰めろ。」


だから、私はもう寝てるんだってば。聞こえませんよ。
知らんぷりしていたら、ため息とともにゴロンと転がされた。
もう。それって恋人にするような仕打ち?
ちょっと腹が立ったけど、その後すぐに布団に入ってきた京一と石鹸の匂いに機嫌が直ってしまう。ああ、私って単純だわ。
背中に体温が伝わってきたのと同時に、京一の腕が私に回される。


首に息がかかる。
重い。くすぐったい。
私は首を竦めつつ、体の向きを変えた。


「おかえり。」
「―――ん、ああ。」


低い声が、首から耳に伝わってくる。
もっと聞きたい。
もっと喋って。


でも私の体は半分眠っていて、自分の口が思うように動かない。
もぞもぞと動くと、「どうした?」って、また耳元で響く。
京一の声って好きよ。特にそのトーンを抑えようとすると少しだけ高めになって、いつもより息が混じって。
首筋が温かくなって、ちゅ、って小さく音がする。
くすぐったい。くすぐったくて物足りないわよ、京一。
不満たっぷりだけど、やっぱり体が思うように動いてくれない。


もっと喋って。
もっとキスして。
もぞもぞ動いて訴えると、京一がくすくすと笑う。
その笑い方も好きよ。


「落ち着かない奴だな。」


話す声と混ざると、さらにその笑いが優しくなって、心地いいの。
また首筋で小さく音がする。
もう。だからそこばっかりにしないでよ。
落ち着かないって、誰のせいだと思っているの?
何とか手を伸ばして、京一の耳を軽く抓ると「いてっ。」と小さく抗議の声。


「寝ないのか、。」


イジワル京一。
眠れるわけないでしょ、責任取りなさいよ。
仕方なく目を開けると、薄暗闇の中でも京一が可笑しそうに笑っているのが分かる。
イジワル。


もう一度耳を抓って、頑張って体を起こして、抗議の意味を込めて下唇を思いっきり吸った。
案外柔らかいんだから、ムカつくわ。


「色気のない誘い方だな。」
「悪かったわね。」


さらにムカついて、今度は上唇を吸ってやろうと思ったら、それより先に首の後ろに手を回されて、ぐいと引き寄せられた。
京一の舌って、ちょっと苦いけど柔らかくて温かくて気持ちいいから―――ムカつくわ。
上顎をなぞられて、舌に絡められて、もう眠いんだか何なんだか分からない。


「寝ぼけてるお前は嫌いじゃないけどな。素直で可愛くて。」


何よ、それ?
まるで寝ぼけていないときは、ひねくれてて可愛くないみたいじゃない?


「―――んっ」


パジャマの裾から背中に滑り込んできた京一の手の感触に、思わず声が出てしまう。


「もっと声聞かせてくれ。」


ずるいわ、それは私の言うはずだった台詞なのに。
何だか最近いつも京一に負けっぱなしな気がするのは、気のせい?
―――でも、まあ、いいか。
暗闇の中で、京一の布団にくるまって、京一の音を聞いて、京一の匂いをかいで。
その声と、手と、唇と―――すべてに翻弄されるのは、ちょっとだけ、好き。