夜。
レポートの方が一段落し、俺は椅子に腰掛けたまま軽く伸びをした。
ふと視線をやった窓の外には白々と大きな月が輝いて見えて、半ばそれに引き寄せられるように立ち上がる。


窓を開けると、その冷たい空気が、ひんやりと肌に染み透ってゆく。
俺は軽く腕をさすりながら、外に出た。
月の光に照らされる木々を見渡す。
と、そのとき、その木々の葉の間から、何か白い光が見えた。
いや、白―――とは言えない。時折、黄色や青っぽい光も混じる。
それはの家の庭から発されたもののようだった。


―――なんだ?


消えたと思えばまた光る。
何か音も聞こえるような、聞こえないような。


の両親は、うちに負けず劣らず忙しい人たちで、夜は殆ど彼女一人で過ごす。
彼女のことはその両親から頼まれていることもあり、俺は念のためにの家に電話した。


一度部屋の中に戻り、机に置いてあった携帯を掴んでまた外に出る。
通話ボタンを押し、その庭の方を見ていると、明かりが消え、暫くして通話口からの声。
そして、その彼女の口からは俺が全く予想もしていなかったような台詞。


「花火をしているの。」
「―――はなび?」
「そう。」


今は、11月だ。
秋というよりも、もう冬に近い。
とても花火に向いている季節とは思えないが。


「―――まさか、一人でか?」
「そうだけど。」


何をやっているんだ、こいつは。
俺は呆れてため息をつきながら、今は暗闇のままの、そいつの庭の方を見る。
そして、殆ど無意識のうちに、次の言葉を吐いていた。


「今、行く。」


門をくぐり、まっすぐ裏庭へと向かう。
パチパチと音がして、白や黄色の光が流れ出る。
は、本当に一人で、その花火を手にしてそこに立っていた。


「何やっているんだ、お前は。」


さっき心の中で呟いた台詞を表に吐き出す。
はちらりと俺の方を見、すぐに花火に視線を戻す。


「花火。」
「それは分かってる。」


呆れた顔をして腕を組み、ただを見る。
は俺の視線など気にしない様子で、また新しい花火に火をつける。
勢いよく落ちていく光は、黄色から青へと変わる。


黙ってその花火を見下ろす
その背中を黙って見つめる俺。
どちらも、感心したもんじゃない。


俺はの脇に置いてあった、結構な量の花火の中から適当なものを一本取り、そいつの手元の花火から火を奪った。
そいつは口を尖らせて抗議の視線を送ってきたが、俺はそのまま黙って花火を見ていた。


「一体この花火はどうしたんだ。」
「・・・夏に買ったの、忘れてた。」


忘れてた―――と言える量なのか。
「ファミリーパック」と書かれた花火の袋が三つ。
友達とでもやるつもりだったのか、家族でやろうと思ったのか。
俺は、ただその花火の束を見下ろし、小さく肩を竦めた。
がまた新しい花火に火をつける。
形は違えど、どれも、同じようなものだ。黄色い光がパチパチと飛び出し、地面に落ちる。


「花火って、急にしたくならない?」
「―――ならないな。」


子供の頃ならいざ知らず。
もう二十歳も過ぎた大人だ。そうそうそんな気は起きない。
思ったまま即答した俺に、は一瞬冷たい視線を向けたが、すぐに「そうだよね。」と諦めたようなため息をつく。


「今、急にしたくなったって言うのか?」
「うん・・・何となく。部屋の隅にあったのを見つけたら。」
「ずいぶん季節外れだな。」
「そうだね。」


二人で、何故か無心になって花火をする。
よくよく考えてみれば、奇妙な光景だ。いい大人二人が、こんな季節に、家の庭で黙々と花火をしているなんて。
でも、そのときはあまりそんなことは気にならず、二人ともおかしなくらい真剣だった。
火をつけて、光が流れて、落ちて。
また新しく火をつける。
光を絶やさないように、光を、求め続けるように。


「なんで、花火って夏にやるんだろう。」
「さぁな。」
「夏のものだって決まってなければ―――こんなに寂しくないのに。」


花火と言えば。少なくとも家庭用の花火って言えば、夏にやるもので。
夏の夜、庭先で、皆でわいわいと騒ぎながら遊ぶもの。そんなイメージがある。
―――まあ、騒ぐのはもっぱら啓介だけだが。


それなのに、この、秋の暗がりってだけで、すべてが変わってしまう。
その火が消えないように、願う気持ちはやけに切実で。
光が消えた瞬間の静寂が、少し、怖かったりもする。


季節外れだから―――寂しい。
そう言うことなのだろうか。


「―――なら、やらなきゃいいだろう。」
「そうだけど・・・でも、やりたかったの。」


が、最後の一本に手を伸ばす。
俺はライターに火をつける。
サラサラと音を立てて光の帯が広がる。


「変わらずに、綺麗なのにね。」


夏でも、秋でも。
いつでもそれは同じように光を放つはずなのに。
二人で、ただ、その光を見つめる。
消えるな。消えないでくれ―――そんな、馬鹿なことを思いながら。


だが、の手に持ったそれは、嘲笑うように。一瞬で、消える。


気がつけば、周りには白い煙。
そして瞼の奥には、微かな、光の残像。


何かが欠けたような―――取り残されたような気がして。
寂しくて。
俺たちは無意識のうちに、互いへと、手を伸ばした。