マチコガレ




親戚一同が集まっての新年の挨拶が終わって大人たちの宴会が始まり、は離れの方へと抜け出した。
初めはも料理やお酒を運ぶのを手伝っていたが、次第に大人たちが盛り上がっていき雰囲気がくだけたものとなると、コッソリと叔母が逃がしてくれたのだ。
普段は厳格な祖父母も、新年のこの日だけは無礼講と言って目を瞑る。
は慣れない着物と慣れない仕事に、ふうと深く息を吐いた。


離れの傍にある東屋。
ひんやりとした空気が、賑やかな場所から抜け出てきたには心地よい。
そこに腰を下ろし、綺麗に整えられた庭園を眺める。


「―――


自分の名前を呼ぶ声と、小さく砂利を鳴らす音。
振り返らずとも、その声だけで心臓が跳ね上がりそうになる。
は相手に気づかれないようにそっと深呼吸をして、ゆっくりと振り返った。


「涼介くん」


柱に手をかけて柔らかい笑みを浮かべている涼介を見て、の顔にも自然と笑みは零れる。
そしてその彼女の笑みを見て、涼介は更に目を細めた。


「ようやく解放されたみたいだな」


涼介は東屋の中に入り「そんな格好じゃ風邪を引く」と言って、手に持っていたコートを彼女の肩に掛ける。
ふわりと彼のつけているコロンの香りがして、思わず体を固くしてしまう
きっと同じ従妹でも、緒美ならもっと自然な仕草が出来るだろう。
そんなことを思う彼女は「ありがとう」と小さく言いながら、熱くなった頬を隠すように俯いた。


「涼介さんは、こんな所にいていいの?皆探しているんじゃない?」
「俺がいたら邪魔?」
「そっ、そうじゃないけどっ……」


は慌てて首を振る。
邪魔だなんて、そんなことあるわけない。
それどころか、母屋を抜け出すときに涼介も一緒に来てくれるんじゃないか―――などと期待していた。
去年と同じように、この東屋に来てくれるんじゃないか。


「もう皆出来上がっちゃって、俺が居なくなったことに気づいてないさ」
「そんなことないよ、なんたってお祖母様のお気に入りなんだから」
「お祖母様なら『酒臭くてかなわない』って言って、さっき部屋に戻られたよ」


途端、お祖父様が張り切り出すんだから。
困ったように呆れたように笑う涼介につられ、も小さく笑った。


その涼介の手が、の頬に触れる。
ついさっきまで冗談めかして笑っていた彼が、じっと自分を見て頬を撫でる。
は驚いて動くことも出来ない。
きっと黙って見つめあっていたのは、ほんの僅かな時間。
けれど、触れている手がとても温かくて、自分を見る涼介の目が透き通ったように綺麗で、まるで永遠のように錯覚してしまいそうだ。
陽の光が柔らかい、穏やかな午後。
近くの木の枝に止まっていた小鳥の飛び立つ羽音。


「―――、お酒飲んだ?」
「え?」
「顔赤いぜ?」


そう言って、口の端に笑みを浮かべ最後に手の甲でそろりと頬を撫でた。
名残惜しそうにゆっくりと離したその手を、今度は自分の口元へと持って行く。
その唇に運ぶ動きがとても緩やかで、どこか官能的にも見えて、は返事をすることも忘れて見とれてしまった。


「どうした?」


そして、可笑しそうに小さく笑って言う涼介の声に、我に返って慌てて俯く。


「お酒なんか……飲んでないよ」
「そうか?」
「涼介くんこそ、飲んでるの?」
「まあ、少しはね」
「だから……おかしいのね?」
「おかしい?俺が?」
「だって……」


お正月やお盆など親戚一同が集まるような時にしか会えない涼介。
同じ従妹と言っても、緒美とは違って家が離れているため、そうそう会う機会はない。
殆ど付き合いのない親戚に囲まれて緊張していると、いつも涼介が優しく声を掛けてくれた。
その優しい目にいつも安心出来た。


けれど、今日の涼介の目は、いつも以上に吸い込まれそうで―――思わず怖いとさえ感じてしまうほどだ。
鼓動の早まる胸に手を置き、は近くに降りてきた小鳥を見るふりをして彼から目を逸らす。


「いつもと変わらないと思うけど―――もし、おかしいとしたらそれはお酒のせいじゃなくてのせいだと思うよ」
「私の、せい?」
「今日、やっとに会えると思って―――待ち遠しかった」
「……やっぱり、酔ってる」


くすくすと笑う涼介。
やっぱりからかわれているのだと思い、は更に頬を赤くした。


「―――4月から、S医院で働くことになった」
「……え?」
「知ってる?S医院」
「え……と、もしかして……私のうちの近くの?」


戸惑いながらそう聞いて来るに、涼介は微笑って頷く。


の家の近くにいい物件があるといいんだけど」
「引っ越す、の?」
「さすがに実家から通うのは厳しいからね」


思ってもみなかった話に、の頭はうまくついて行かず、次の言葉が続かない。
どうしたらよいか分からずに俯くと、涼介の手が伸びてきて肩に掛けられたコートをそっと直す。


「こうやって着物を着て凛とした姿のもいいけど―――普段のも見てみたい」


そんなことを言われて、更にどうしたらいいか分からない。


普段の私。
―――普段の涼介くんはどんなふうなんだろう?


年に数度会う涼介はいつもきちんとスーツを着こなして隙のないように見える。
この人でも普段はもっと違った表情を見せることがあるのだろうか?
そんなことを思うは、つい、涼介をじっと見上げてしまう。


「―――私も」
「ん?」
「私も、普段の涼介さん、見てみたい……」


思わず口をついて出た言葉に、自分で驚いてしまう。
けれど「いくらでも見せてあげるよ」と少し悪戯ぽく言う涼介の笑みに、はほぅと安堵のため息。


「春が、楽しみだ」


目を細めて、庭の先に視線を向けながら、やわらかな声。
も小さく頷いて、涼介のコートをきゅっと握った。