once




慌てて隠れようと思ったけど、一歩遅かった。
別に隠れる必要なんかないって分かってはいるけれど、どことなく、罪悪感と言うか後ろめたさがあった。


大学が夏休みに入って漸く帰省できた私は、駅前のデパートをブラブラとしていた。
もしかしたら誰かに会うかもしれないなぁなんて思ってはいたけど、まさかよりによって涼介くんに会うなんて。
全く縁のない高級輸入家具がずらりと並んでいるフロア。
私に気付いた涼介くんが、ゆっくりこちらの方へ歩いてくる。


「久しぶり。こっちに戻ってたんだね。」
「・・・うん。」


数ヶ月ぶりに見る涼介くんの笑顔は、相変わらずドキドキする。
それと同時にちょっと胸を痛くさせる。
私はそれを隠すように、明るく笑って見せた。




涼介くんは、この前の3月までクラスメイトだった。
それにプラスして、半年くらいは彼氏と言う肩書きも付いていた。
もうじき卒業で別々になってしまう焦りもあって思い切って告白したら、あっさりと付き合うことになってしまった。
自分から付き合ってって言っておいて「なってしまった」って言うのも酷いけど、でも、そんな感じで私は何も考えてなかった。
涼介くんと付き合うと言うことがどう言うことなのかって、ちゃんと分かってなかった。


そんなに小さな高校じゃなかったけど、それでも学校なんて、すごく世界は狭い。
私が涼介くんと付き合い始めたって言うのはあっと言う間に高校中に広まった。
高校中なんて言うと大げさに聞こえるかもしれないけど、先生達には「学業を疎かにするなよ」とか嫌味をチクチク言われるし、全然知らない女の子に話しかけられたり、嫌がらせを受けるようになった。


「あの高橋くんと付き合ってるんだから、しょうがないよ。」


友達はそう言ったし、私も「そうかな」と思ってた。
涼介くんと付き合えるんだから、それ位我慢出来るだろう。
その代わりに誰も知らない涼介くんを見ることが出来る。
そう思ってた。
初めはそう思ってた。




―――でも、駄目だった。




どんなに嫌なことがあっても、涼介くんの笑顔で相殺されるはずだったのに。
どんどんドロドロとしたものが体の中に蓄積されていって、こびりついて、なくならない。
涼介くんの笑顔だけじゃ足りなくなる。


「頑張りなよ」
「贅沢な悩みだって」


励まそうとしてくれた友達の言葉も、だんだん疎ましくなってくる。
受験勉強のストレスも重なる。
全部が、初めから予測できたこと。
けど、私はちゃんと分かってなくて、途中でギブアップした。
私から告白したくせに、私から別れ話を持ちかけてしまった。


「―――ごめん」


私のことを見ていてくれた涼介くんは、最後に一言だけそう言った。
そのときの、すごく痛そうな目が忘れられない。
謝らなきゃいけないのは私の方だったのに。








「涼介くん、輸入家具になんか興味あるの?」


あまりに意外なところで会ったから、私は思わず聞いてしまう。
すると「そうじゃないよ」って可笑しそうに笑った。


「この上の本屋に用があったんだけど、駐車場に移動するのに一つ下のフロアのここを通った方が空いていていいんだ。」
「駐車場―――そっか、涼介くんも免許取ったんだ。」
「こっちだと車がないと結構不便だからね。は?」
「うん、この休み中に取ろうと思って、こっちの教習所通ってるところ。」
「そうか。」


優しい目をする涼介くん。
ちょっと大人っぽくなった―――なんて、たった数ヶ月しか経ってないけど。
何となく雰囲気が違って見えるのは、やっぱり大学生になったせいなんだろうか。
私服自体は、今までにだって見たことはある。


「何だか、も少し大人っぽくなったように見えるな。」
「ええ?そんなことないよ!」


涼介くんが、私に向かって全く同じことを言う。
まだ高校卒業してから半年も経ってないよ?って言うと「そうだよな」って小さく声を出して笑った。
「まだ、それしか経ってないんだよな」って。


初めは慌てて姿を隠そうと思ったくせに、こうやって直接話をしてしまうと別れがたくなる。
未練―――は、大ありだったけど、それでも何とか気持ちに区切りは付けたつもりなのに。
もう少し話がしたいと思ってしまうのは、ただの懐かしさだけではないような気がする。
でも後ろめたさから、気軽に「お茶でもどう?」って誘うことが出来ない。
かと言って、「それじゃあ、また」って素っ気なく手を振ることも出来なかった。


「何だか―――すごく、昔のことの気がするよ。」
「そう?きっと環境が変わったり色んなことがあったからだじゃない?」
「そうかな。」


大きな荷物を持った男の人が通り過ぎる。
その時に通路を空けようとした流れで、何となく私たちは歩き始めた。
初めての一人暮らしはどうだとか、大学の講義はこんな感じだとか、自分達の今の環境を話しているだけでも時間は尽きなかった。
あっと言う間にフロアの端にあるエレベーターに辿り着いてしまうくらいに。
涼介くんがエレベーターの下ボタンを押す。
夏休みとは言え、平日のど真ん中。
利用する人は少ないらしくて、すぐに扉は開いてしまった。
駐車場は地下で、外に出るには1階で降りなきゃいけない。
私は点灯していなかった1階のボタンを押そうとする―――と、涼介くんの手が伸びてきて止めた。


「送ってくよ。」
「え・・・。」
「まだどこか行く予定があった?」
「ううん、そうじゃなくて・・・家に帰るんじゃなくて夕方から教習があるの。」
「じゃあ、教習所まで送るよ。」


エレベーターを降りると、さっきまでの明るいフロアとは違って、コンクリート剥き出しの空間が広がる。
少し湿気を多く含んだ空気。
私は何だか急に、ついさっきまで簡単に作れていた空元気な笑顔を作るのが難しくなってしまった。
戸惑いながらも先に歩き始めた涼介くんの後をついて行く。


「―――そう言えばさ」


柱を3つ位抜けたところで、涼介くんが私を振り返った。


「よく学校の帰りにもデパートに行ったよな。あそこはデパートじゃなくてショッピングモールって言うのかな。」
「―――あ・・・うん、そうだね。」
「用も無いのに一番上のフロアにある大きな本屋に行って、バス待ちの時間潰したりして。」
「でも大概涼介くんが立ち読みに熱中しちゃって、バス1本乗り過ごしちゃうんだよね。」
だって時間に気付かないことあったじゃないか。」
「ええ!?でも、絶対涼介くんの方が多かったよ!」


そう、バスが来るまでにちょっと時間があると、すぐに本屋さんに行っていた。
バス停で待つよりも、夏は涼しいし冬は暖かいし、あそこは重宝してた。
初めにそう言う使い方をしていたのは涼介くんの方で、私はちょっと意外に思ったのを覚えてる。
涼介くんでもそんなセコい使い方するんだな、なんて。


私はその時のことを思い出して、ちょっと笑った。
涼介くんも笑った。
その時の私たちも、よく、笑ってた。




ああ―――何でそれだけじゃ駄目だったのかな。




不意に、涙が零れた。
ほんとに、あまりに突然で、我慢することもハンカチを取り出す暇もなくて、私は慌ててそっぽを向いた。
結局私はまだまだ未練たらたらなんじゃないか。
そう思うと、自分が恥ずかしかった。


「ごめん」


そんな私の頭の上から、涼介くんの声。
おかしいよ、謝るのは私の方なのに。
指で涙を払い、「私の方こそごめん!」って笑って向き直った。
そうしたら、また、思っても見なかったような涼介くんの台詞。


「わざと泣かせるようなこと言った。」
「―――え?」
「まだ、忘れていないのって―――俺だけなのかな、と思ったらちょっとムカついて。」


そしてまた私を驚かせる言葉。
きれいな、白いスポーツカーの前で立ち止まる。
どこか遠くの方で車のエンジンをかける音がする。
私は何て答えていいのか分からなくて、口ごもった。
忘れてない―――って、どう言うことなの?


「あの時―――言おうと思って、やめたことが二つあったんだ。」


その白い車に寄りかかって、少し顔を傾ける。
涼介くんは何かに迷うと、そうして一瞬だけ目を伏せる。
この人が「何かに迷う」なんてことは滅多にない。少なくとも表面上は。
だから、これは癖とも言えない仕草なんだろうけど―――昔から、そうだった。
もちろん、付き合う前から。
こんな仕草を発見しては、ちょっとした秘密を握ったような気分になって喜んでいた。


「未練がましいって思って、やめちゃったけど。」
「・・・何?」


車が入ってきたのか、合流のサイレンが鳴る。
けど、空いている場所がすぐに見つかったのか、こちらまでその車はやって来なかった。
確かに、この辺りも駐車はまばらだ。
涼介くんが、今度は目を伏せたまま口を開く。


「一つは、卒業する前に俺から言おうと思って―――先を越されたこと。」
「え・・・」


私に問い直す間を与えず、涼介くんは続ける。


「二つ目は、高校を卒業したら、もう一度―――って」


コンクリートの柱をすり抜けて、少し生ぬるい風が通り過ぎる。


「一応、それでもあれから気持ちにけじめ付けたつもりだったんだけどね。」


今日に会って、やっぱり駄目だった。
そう言って小さく笑う。
私は胸の辺りに何かがいっぱい溢れてくるばかりで、何を言っていいのか分からなくて、見上げることしか出来ない。
涼介くんが車から体を離して屈みこみ、私の目と高さを一緒にした。


「今、言っちゃ駄目かな。」
「・・・もう言っちゃってるじゃない。」


私は涼介くんのシャツをぎゅっと掴んだ。
本当は抱きしめたかったけど、やっぱりまだ罪悪感が邪魔をした。
そんな私の気持ちを見透かしたかのように、涼介くんが私の背中に手を回して少し強引に引き寄せる。


「でも・・・遠距離になっちゃうよ。」
「そんなの、大した障害じゃないだろ。」


あのときに比べたら、そうかもしれない。
もし、そうだとしても―――私は今涼介くんの腕から抜け出すことは出来なかった。


の住んでる所なんて、すぐ近くだよ。」


涼介くんが笑う。
見回りの警備員さんが自転車に乗って近づいてくるのを見つけて慌てて腕を放すと、今度は二人で笑った。
人の通るような場所でこんなことをするのは、そう言えば初めてだった。


「やっぱり、涼介くん変わったかも。」
「ああ・・・多少開き直りみたいなものは出てきたかもな。」


そう言いながらも少し照れた目をして、車のドアを開ける。


「とりあえずこのまま教習所まで送って―――また、迎えに行くよ。」
「え?」
「何か用事でもある?」
「ううん、そうじゃないけど・・・」
「夏休みはこっちにいるんだろ、その間に嫌って程会っておかなくちゃな。」
「そんなことしたら・・・向こうに帰りたくなくなっちゃうよ。」
「それは願ったりだな。」


ちょっと変わりすぎだよ。
私は笑いながら、その初めての白い車に乗り込んだ。