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珍しく早く起きてきたと思った啓介は不機嫌な表情を隠そうともせず、テーブルにつく。

「おはよう、啓ちゃん」
「……おう」

とは目も合わせず、そんな適当な返事を返すだけ。
いつもなら朝の太陽に負けないくらいの明るい笑顔で、彼女の頭をぐしゃぐしゃとかき回すのに。
彼の不機嫌の原因は分かっている。
分かっているけど、にはどうしようもない。
啓介の前にコーヒーを置き、ついついもため息を吐き出してしまう。

「―――二人とも、朝からお通夜みたいな顔をするなよ」
「涼ちゃん」

やれやれと呆れた笑いを浮かべながら、テーブルの上に焼いたばかりのオムレツを運ぶ涼介。
困った顔をするの頭をぽんぽんと撫で、啓介の方に向き直る。

にだっての付き合いがあるんだ」
「分かってるよ、それくらい!」

不機嫌の原因は、今夜あるの飲み会。
親睦を深めるという目的で、大学のクラスメイトが企画したものだった。
同じクラスの人間は殆どが出席するので、だけ欠席させて寂しい思いをさせたくない。
けれど大事な大事な妹をそんな場に送り出すのは初めてだ。

特別明確な門限が設けてあるわけではなかったが、帰宅が夜の7時を超えるようなら必ず連絡を入れるのが普通だったし、8時を過ぎても帰らないとと兄弟二人共落ち着かない。
以前、友達の数人で夕飯を食べた後、少し遅くなってしまったからと、その中の一人だった男の子がを自宅まで送ったことがある。
彼女が「ここでいい」と家の傍の曲がり角で言ったのだけど、その男は余計な紳士ぶりを発揮して家の前までついて来た。
そして家の人に一言ご挨拶を……なんて玄関まで一緒に行ったのだけど―――彼は二度との前に現れることはなかった。

「とは言っても、も遅くなるなよ?」
「うん。9時には終わるから」
「そうか。じゃあその頃迎えに行くよ」

椅子に腰掛けたの前にトーストを置き、温和な笑みを見せる涼介。
啓ちゃんもこれくらい大人になってくれればいいのに。
まだ隣りで仏頂面をしている啓介をチラリと見ながら、はジャムの蓋を開けた。





「クラスの親睦を深める」という名目の飲み会のはずだったが、そこでの話題はもっぱらの兄たちのことだった。
女の子の誰かが「のお兄さんってすごくかっこいいんだよ」と言い出したのをきっかけに、男の子たちもその話の輪に加わる。
も二人が「走り屋」だと言うのは知っていたけど、峠には一度も連れて行ってもらったことがない。
だからどれくらい有名なのかなんて知らなかったので、クラスの男の子たちが目をキラキラさせながら自分の兄たちの話をするのを見るのは、何だか変な感じだった。

「へえ、お兄ちゃんたちって有名なんだ」
「もう有名なんてもんじゃねーよ!すっげーかっこいいんだぜ!」

むしろ女の子たちよりも熱く語る。
女の子たちがキャーキャー騒ぐのは昔から結構見ていたので慣れていたけれど、こう言うのは新鮮だ。
何だかは自分が褒められているようで嬉しくなって、サワーのグラスを両手で持ったままニコリと笑う。

「ありがと」
「えっ……べっべつに、高橋さんがお礼言うことじゃないよ……」
「わっ!の悩殺ニッコリ笑顔!」
「ダメだよ高橋さん、そんな笑顔をこんな男共に向けちゃ!」

そんな話をしていたらあっと言う間に2時間が過ぎてしまい、時計を見れば9時を10分過ぎている。
「じゃあそろそろ帰ろっかー」と言いながらノンビリ帰り支度を始める皆の隣りで、は携帯を取り出す。
ディスプレイには着信履歴2件と、新着メール1件。
着信の方は涼介と啓介の両方から1件ずつで、メールの方は啓介からだった。
たぶんメールを打つ速さを買われて啓介の方が送って来たに違いない。
パソコンのキーボードを打つ速さは兄の方に適わないのに、メールだけは妙に早いのだ。

はコートを着ながらちょっと迷った後、涼介に電話をかける。
啓介だと出た途端怒鳴られそうな気がしたからだ。
その予想は正しかった。
けれど判断は間違っていた。

!お前、今どこにいんだよ!?」

涼介の携帯にかけたはずなのに、聞こえてきたのは啓介の怒鳴り声。
あまりの大声に、何事かと隣りにいた子たちが振り返る。
「あ、もしかしてお兄さん?」、きゃーっなんて言う女の子たちに苦笑いしながら、携帯に向かってため息。

「まだお店の中」
「もう9時過ぎてるぜ!さっさと出て来い!」

キンキンと響く声に手で耳栓。
思わず通話もプッツリと切ってしまった。
しかしすぐに携帯が震える。表示されたのは当然のことながら涼介の名前。
お店の通路をノロノロと歩く友達を押し分け、は出口へと向かう。

「えっ!もしかしてお兄さんたち来てるの!?」
「まじっ!?」

兄たちのカッコよさを力説していた女の子と、兄たちの凄さを興奮気味に話していた男の子が、通りすがりに声を掛けてくる。
でも今暢気に「来てるよー」なんて笑って言っている場合じゃない。
早く行かなきゃお店に乗り込んでくるかもしれない。
ガラリ、少し重い木製の引き戸を開ける。

「おっせーぞ、!!」

繁華街の真ん中、腕を組んで仁王立ちの啓介。
お店の壁に寄りかかり、やっぱり同じく腕組みして立っている涼介。
一体、今何時だと思ってるんだよ!
怒鳴る啓介は分かりやすい。
俯き加減で億劫そうな顔の涼介。

―――まずい。

ふと浮かべた笑みを見て、は一瞬で危険を察知した。
涼介の方が、かなり、怒っている。
ドキドキと鼓動が早まり、後ろで響いた黄色い悲鳴がすごく遠くに感じる

「―――、今日は何時には終わるって言ってた?」
「く、9時……」
「今何時?」
「9時、じゅ……15…分」

にこやかな微笑。
その麗美な表情を目にして単純に喜ぶクラスメイトたち。
自分たちを一瞥した表情の冷やかさに気付いていない。

「これだから飲み会なんて行かせるの嫌だったんだよ!迎えに来なかったら、つい流れで二次会とか行ってたんじゃねぇ?」
「―――冗談」

言うが早いか、涼介はの腰に手を回した。
そしてそのまま軽々と彼女を抱え上げる。
今まで見えていた涼介の顔が消え、彼の腰の横に抱えられた彼女の目の前に広がるのは、煙草とか小さなチラシの散らばったアスファルト。

「りょ、涼ちゃ……っ」
は約束を守れると思ったから、黙って許したんだぜ?」
「ご、ごめんなさい。涼ちゃ……下ろして……」

恥ずかしさに赤くなりながら、足をバタバタとさせる。
けれど涼介に下ろす気など全くない。
そのままクルリと体の向きを変えて、車の止めてあるコインパーキングへと向かう。
ついさっきまで騒いでいた外野のクラスメイトたちも、その光景に呆気にとられて言葉を失う。
実は妹にベタ惚れで―――
そんな噂話を峠でも耳にすることはあったけれど、それを目の前で見せられると呆然とするしかない。
憧れていた高橋啓介が、自分の方を見て―――ジロリと睨む。
その雰囲気と迫力に足が竦み、ただただ消えていく三人を見送るしかなかった。

「放してよ……涼ちゃん……っ」
「約束守らなかったお前が悪いんだろ」

一体何事だと振り返る人々などまったく気にしない様子で、憮然とした表情のまま歩き続ける涼介。
その隣りで、ポケットに手を突っこんだまま肩を竦める啓介。

「―――おしおきが必要だな」
「おしおき?」

その不穏な響きに、の足がピタリと止まる。
不安げに揺れた彼女の目が、隣りを歩いていた啓介の目とパチリと合ったが、すぐに逸らされた。
その啓介の仕草がを余計不安にさせる。

「おしおき……って?」
「これから一か月は大学に行く時以外は外出禁止だ」
「ええっ!?」

それは横暴だよ!
叫びながら、さっきよりも激しく足をバタつかせたが涼介の方は全くお構いなし。

「なーんだ、アニキなら監禁ぐらいしちまうんじゃないかと思ったぜ」
「長期休暇でもなければ、そんなこと出来ないだろ」
「んだよ、長期休暇だったらしてたわけ?」
「さあ、どうだろうな」

そんな二人の会話は聞こえないふりをして。
は無駄な抵抗と分かりつつも必死に涼介の腕から抜け出ようともがいた。