最後の嘘




「やっぱり俺帰るよ。」
「大丈夫だって言ってんだろー?」


店に入って個室のテーブル席についてからもなお、俺は往生際悪く帰ろうとしていた。
だって、どう考えたって俺は合コンってガラじゃない。
絶対、初対面の女の子相手に気の利いた話なんて出来やしない。
何がどう大丈夫なのか、ちゃんと説明して欲しいもんだ。
俺は隣りで調子よく肩を叩いてくる男を睨んだ。




都内にある大学と合同で主催された公開講座。
うちのゼミの教授が講義をすると言うので、ゼミ生は半ば強制的に出席させられた。
交通費も何もかも自分持ちで納得いかないこともなかったが、まあ、たまにはこう言うのも新鮮でいい。
講義は夕方から夜の9時までで、もちろんそのまま高崎に帰れないわけじゃなかったんだが、一緒に行く奴が「どうせ週末なんだし一泊しよう。」と持ちかけて、結局暇な数人の野郎がビジネスホテルに泊まることになった。
俺も暇だったのかと聞かれると、正直、レッドサンズの活動の方が気がかりだったけど、まあ今週末は交流戦が入っているわけじゃないし、たまには、あいつらと離れてみるのもいいだろう。
で、講義が終わって皆で居酒屋にでも行くのかと思ったら、その、一泊しようと提案した奴が「合コンしよう」と言い出した。


「俺はパス。」


他の奴は皆突然のことに驚いていながらも、まんざらではない様子だったが、俺は速攻で断った。
別に、そう言うことが嫌い、と言うわけじゃないが、あまりに突然で心の準備が追いつかない。
いや、心の準備、ってほど大げさでもないか。
今からそういう「テンション」を作るのは無理だ。
悪いがその辺はケンタや啓介のように臨機応変じゃない。


「今さら無理だって。もうメンバーに入ってんもん。」


って、今さっき合コンのことを耳にしたばかりだ。
何が今さらなのか大いに聞きたい。
が、既に人数に入れられてしまっていると知って、強く断ることが出来なかった。
こんな場所じゃ他を当たってくれとも言えない。
まあいてもいなくても大して変わらないだろうが、人数が足りないことで相手方に迷惑をかけてしまうのも申し訳ない。
いや・・・俺がそこまで気にすることもないんだが。


「・・・悪いが俺は何も出来ないからな。」
「いいのいいの、フツーに飲んで喋ってればいいから。」


そう適当に言う男に従い、店まで入ったんだが。
やはり落ち着かない。
どんな女の子が来るんだろう、などとワクワクする気にもなれない。
第一、こんな所で知り合っても、初っ端から遠距離恋愛じゃないか―――なんて、そこまで考える俺もかなり愚かだ。
何度目かの深いため息を吐いたとき、入口から女の子たちが顔を覗かせた。


「こんばんは〜。」


愛想よく入ってくる女子大生らしき子たちの中に、幾分緊張したような顔。
逆にそんな表情の子を見つけて安心して―――固まった。


「え―――」


その子も僕を見て固まった。
そりゃ、そうだ。
こんなトコで会うとは思いもしなかった。
涼介の元彼女に。


「史浩くん?」
「・・・やっぱり、ちゃんか。」


その顔を見間違えようもないんだけど、確率的に見て奇跡に近いこの状況が、俄かには信じられなかった。
や、奇跡、って程でもないのか。
主催者の男も群馬出身だし、何かの繋がりがあったのかもしれない。


「何だよ、史浩の知り合い?」
「え、ああ、まあ。」
「ムチャクチャ可愛いじゃん。」


確かに、前に座った女の子たちの中でも、結構可愛い方だった。
そりゃそうだ、当たり前だ、あいつの彼女だったんだから。
と言うか、あいつと付き合いだしてからますます可愛くなった、と言うのが正しいか。
でもあいつと別れてもその可愛さは失わなかったらしい。






高校二年のとき、あいつは一年間の片想いを経て彼女に告白した。
あの、思い立ったら即実行、を信条としているような男が一年もの間何もせずに片想いしていたことも驚きだったし、入学当時から生徒教師に関わらず腐るほど告白されてたにもかかわらず、自分から言ったっていうのもビックリだったし、そして、かなり失礼だが、彼女を選んだと言うことが一番意外だった。
もちろん、それは可愛いことは可愛かったし、頭も悪い方じゃなかったけど、本当に、普通だったのだ。
何か突出した才能があるわけじゃない。
校内で誰もが知るアイドルってわけでもない。
試験で常に上位に名を連ねてるわけでもない。
普通の子。
普通に笑って、普通に話す。


「あの子のどこがいいんだ?」


別に悪意があったわけじゃなくて、本当に純粋に疑問に思って聞いてみたことがある。


「まあ、いろいろあるけど―――普通な所かな。」


あいつは笑いながら答えてた。
幸せそうに笑いながら。
あいつに普通に話しかけて、普通に笑う。
普通に怒って、普通に喧嘩する。
そうやって、力を抜いて「普通に」付き合えるところがいいらしい。
そう言えばあいつはなまじ何でも出来てしまうから、なかなか周りの大多数の人間がやっているようなことをするのが難しい。
顔がよくて頭がよくて家柄がいいってのも良し悪しだとよく思う。
だから、自分を普通に扱ってくれる彼女と言うのは、すごくすごく貴重だったのだろう。


あいつからそんな答えを聞いてからは、二人が付き合うことに全く疑問を感じなくなった。
寧ろ、それが必然だとさえ思うようになったんだから、俺も結構都合がいい。
だから、まさか、別れるなんて夢にも思わなかった。
たとえ彼女の方が東京の大学に行くことになったとしても、だ。


「あいつとは別れた。」


あいつの家の広いリビングで、その言葉を聞いたとき、自分の耳を疑った。
彼女と付き合い始めたと聞いたときの十倍は驚いた。
おかげで暫く頭が真っ白になったくらいだ。


高校の卒業式も終わってお互い大学合格も決まって、車は何を買おう、なんて話をしていたときだ。
俺が「毎週東京に行くことになるなら、やっぱり夜は首都高とか走るのか?」なんてからかい半分で聞いたら、あいつはコーヒーを飲みながら、さらりとそう言った。
その口調は、とても一年も片想いをして、二年間馬鹿みたいに仲良くしていた恋人と離別したことを伝えるような重々しいものじゃなかった。だから信じられなかった。俺が笑おうとしたら、あいつは「嘘じゃないぜ」と、またコーヒーを飲んで言う。


「―――まさか。」
「まさか、じゃない。ちゃんとお互い納得して決めた。」
「何でだよ?彼女が東京に行っちゃうからか?でも東京なんてすぐそこじゃないか。」
「そうだな。でも、やっぱりいつもは会いに行けない。」
「そんなの、こっちに住んでても同じだろ!?」
「―――そうだな。」


あれだけ幸せそうに笑ってたヤツが、やたらと渇いた笑いを浮かべる。
遠距離であることを言い訳にしそうな自分が嫌だからだと呟くように言った台詞は、全然理解できなかった。
いや、今も理解できない。
お前が何かを言い訳にして何かを諦めるなんてこと、未だかつてあったか?
そんなところまで「大多数の人間」と同じになってどうするんだよ?
彼女も、本当にそれでいいのか、俺は聞きたかった。
でも、その時は既に彼女は都内に引っ越してしまっていて、聞くことは出来なかった。
もう三年も前の話だ。








「史浩くん、変わらないね。」
「それはちゃんもだよ。」


結局、合コンなんて言っても他の子なんて目に入らなくて、彼女のことばかりが気にかかった。
彼女も人数あわせに連れてこられたような感じだったので、他の男との会話は上の空。
それで一次会が終わって、他の男共に突付かれながらも、二人で別行動を取らせてもらった。
どこかお店に入ろうかと思ったけど、彼女が少し歩こうと言うので、近くの自販機で温かい缶コーヒーを買う。


「びっくりしたー。群大の学生って言うから、もしかして知り合いがいるかなぁとは、ちょっと思ったけどね。」


そう言って笑う彼女に、一本渡す。
それって、もしかして涼介が来るかもしれないって思ったんじゃないか?
ふと頭に浮かんだ言葉が、彼女に読まれてしまったのか。


「ま。万が一にも涼介くんがいるとは思ってなかったけどね。」
「・・・そっか。」
「合コンってガラじゃないし。って言ったら、史浩くんもかなり意外だよね。」
「まあなぁ・・・俺もまさか合コンに出ることになるなんて思いも寄らなかったよ。」


苦笑いして缶コーヒーのプルタブを引く。
カシュと言う音と共に、独特の、薄いコーヒーの香り。


「あいつは、元気?」


あいつを「あいつ」呼ばわりできる女の子は、たぶん後にも先にもこの子だけだろうな、なんて思いながら缶コーヒーを飲む。
無駄に甘くて、香りが強い。


「毎日忙しくしてるよ、大学に峠に。」
「峠?」
「あいつ、今走り屋なんだよ。」
「走り屋!?」
「しかもカリスマとか言われちゃってる。」
「うっそ。」


でも容易に想像できちゃうところが怖いなぁ。
そう笑って言いながら、ちゃんも缶コーヒーを開けた。
あいつとは、全然連絡とってないのか。
しかし、本人と連絡とってなくても、あいつの噂ぐらいどこかから流れてきそうな気がするけど。


「知らなかった?」
「うん、全然。私、最近ぜーんぜん向こうの友達と連絡とってないんだよね。」
「じゃあ全然帰ってきてないの?」
「んー、この前のお正月はスキー行っちゃったしな。」
「会いに来ればいいのに。別に、友達としてならいいんじゃないのか?」
「あはは。」


空笑いして背を向ける。
缶コーヒーを煽る。
別に俺は勘が鋭い方じゃ、全然ないけど、まだ、ちゃんはあいつのことが好きなんだと思った。
そして、たぶん、あいつもちゃんのことが好きだ。
別に、あれから誰とも付き合ってないから、と言うだけじゃない。
それこそ、何となく、なんだけど。


「連絡―――してやれよ。」


つい、その彼女の背中に向かって言ってしまった。
白い息が照明に照らされて、空に昇っていき、彼女が大きくため息を吐いたのが分かる。


「別れ話、切り出したのって私なんだ。」
「―――え?」
「知らなかった?」


とは言っても、お互いちゃんと納得して決めたんだよ、と付け足す彼女。
ちょっとだけ、そうかな、とは思っていた。
あいつからこの子に別れ話を持ちかけるなんて想像出来なかったから。
でも、あいつに別れ話を持ちかける女の子って言うのもあんまり想像つかなかったから、そんなに考えないようにしていた。


「志望校決めた辺りから、考えてはいたんだよ。」
「あいつと別れること?」
「―――だって、あいつと遠距離恋愛なんて考えられる?」


彼女は笑うけど、俺には全然可笑しいことじゃなくて、それは難しいことではないと思った。
あいつならそれぐらい出来る。
東京だろうが大阪だろうが九州だろうが、あいつなら会いに行くんじゃないのか?
納得できない俺の顔を見て、彼女はちょっと複雑な笑みを浮かべる。そして缶コーヒーを飲み干して、また深く息を吐いた。


「ぜったい、パンクしちゃうよ。」
「でも、あいつならちゃんのこと放っておいたりするようなことないだろ。毎週でも、いやもっと頻繁にでも会いに来るんじゃないのか?」
「だから、それじゃあ私がパンクしちゃうよ。―――涼介くん、医大生なのに。最初は嬉しい気持ちの方が大きいかもしれないけど、だんだん申し訳ない気持ちの方が大きくなる。私の方が会いに行っても同じ。『もっと自分のことに時間使って』って言っちゃうけど、本当は会いたい。それで『ああ、遠距離じゃなかったら』って、いつも仮定しながら過ごすの。」
「―――悲観的に考えすぎだろ。」


俺もどちらかと言えば物事を最悪のケースから考える方だけど、別に恋愛ぐらいもっと気楽に考えればいいじゃないか、と思ってしまう。
彼女は「そうだね。」と頷く。


「でもね、あのとき終りにしておきたかったんだ。私には『遠距離恋愛』を『楽しむ』ことは無理だと思ったから。」
「そんなこと―――」


そんなこと、やってみなきゃ分からないじゃないか。
そう言おうと思ったけど、そう言えば彼女の台詞は、あのときの涼介の言葉と同じだった。
遠距離恋愛であることを言い訳にして―――この子と付き合うことを楽しめなくなってしまうのが怖い。
「まだ、子供だからなのかな。」と、苦笑いを浮かべる表情まで同じだ。
でも、後悔はしていない、さっぱりした顔つき。




「―――けど、好きだろ。」




往生際の悪いのが俺の特徴だ。
やっぱり、聞かずにはいられなかった。
もちろん、答えは分かっていたけど。




「もう、忘れたよ。」




もう何年経ってると思う?―――って、まだたったの三年じゃないか。
そして、きみはあと一年で大学を卒業する。
嘘をつく彼女。
でも、最後の質問には、嘘をつききれなかったみたいだ。


「向こうに戻るんだろ。」
「さあ・・・わかんない。」


遠距離が駄目なら、また近くに戻ればいい。
いや、もしかしたら、あいつの方が暫く都内の病院で働くって言うことだってありうるんだ。
いつか―――近くに行けばいいんだ。




「あいつには、ちゃん全然変わらなかったって言っておくよ。」
「合コンでバッタリ会ったって言うの?突付かれるのがオチだよ?」


あはは、と白い息を吐きながら楽しそうに笑う。
今度はその笑顔を、あいつの横で見られるといい。
そんなことを考えてしまう俺は、やっぱり往生際が悪いのかな。