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歯医者の待合室にあるものにしては、随分と立派でふかふかなソファ。
黒の革張りで、体をやさしく包み込む。


そこに悠々と一人で腰掛け、パラパラと雑誌をめくる女性を見つけてしまった涼介は、回れ右をして今入ってきたドアからすぐさま退散しようかと思った。
が、また空いている時間を探して予約を取り直すのも面倒だ。
そして何より、ここで帰るのは逃げるような気がして悔しい。
涼介は覚悟を決めて大きく息を吐き、受付に座っていた助手の女性に診察券を渡した。
彼女は何も知らず「おかけになってお待ち下さい」と朗らかに言って涼介を後ろのソファに促す。
その声で新たな訪問者に気付いた女性は、雑誌から顔を上げ、驚いたように目を大きく開いた。
涼介は苦々しい表情を隠そうともせず、彼女―――に近づく。


「やだ、何でこんな所にいるの?」


彼女の方も涼介を見て苦笑する。
まさか大学から遠く離れた高崎市内の歯医者で、クラスメイトに会うなんて思いもしなかったのだろう。


「こんな所に髪を切りには来ないだろうな。」


そんな涼介の台詞に、さらに苦笑い。
はさっきまで読んでいた雑誌の箇所に指を挟み、一度それを閉じて体を少し右にずらした。
たいして興味の湧かない雑誌を適当にマガジンラックから選んだ涼介は、その隣りに腰を下ろす。
ゆっくりと座る様子は、を気遣うと言うよりはどことなく警戒していると言う感じだ。


「高橋くんでも虫歯になんてなるんだ。」
「俺は定期的にメンテナンスに来てるだけだ。」
「ふうん、案外マメなのね。その爽やかな白い歯はその地道な努力で守られてるんだ?」


そう言いながら、はにっと笑ってわざとらしく自分の歯を見せる。
案外ってどう言うことだ、と心の中で呟きながら、涼介の方は彼女と反対に閉じた口元に力を入れた。




とは大学で同じクラスで、何かグループを作るとなると必ず一緒になる、半ば腐れ縁のような仲だった。
涼介の意図は全て言わなくても即座に察してくれて仕事が早い。
そう言う点ではとても頼もしい存在ではあったが、何かと「ごまかし」のきかない性格だったので、なるべくプライベートでは関わりたくないなどと思っていた。
そのくせ、姿を見かければ必ず二言三言以上の言葉をかける。
「あいつ相手に油断出来ない」と言いながら実は傍から見ればと一緒にいるときが一番リラックスしているように見えた。
今も、素振りこそ警戒しているように見えるが、会うはずのなかった休日に彼女の声を聞いて、知らず気分が浮ついてくる。
そしてそれを隠すようにと悪態をつく。


「お前は歯と一緒にその口も治してもらった方がいいんじゃないか?もっと恥じらいを持つように。」
「高橋くんもその歪んだ口、治してもらった方がいいわよ。」


は大げさに肘を張って雑誌を広げ、隣りに座っている涼介を邪魔者扱い。
自分から隣りに座るよう促したくせに、と呆れつつ、涼介も手に持っていた雑誌を開いた。
「ガキだな。」と思わず口からこぼれると、すかさずの肘鉄が飛んでくる。
それがガキだって言うんだ―――と、今度は口に出さず心の中で呟く。
緩む口元を押さえながら。


「あ、そうか!」


雑誌を1ページもめくらないうちに、は顔を上げて嬉しそうに言い、涼介の方を振り返った。


「高橋くんでも診察台の上では口をあーんって開けるのね。」


目をきらきらと輝かせて言う彼女に、何を思いついたのかと思ったら・・・と、呆れた表情を隠さない。


「・・・口開けなかったら診察できないからな。」


わざとらしいほどに冷たく言い放つ涼介。
しかしはそんなこと全く気にせずに、大きく口を開いている涼介を想像しているのか、雑誌で口を押さえて笑いを堪えている。


「やだ・・・ちょっと歯科医って言うのもよかったかも。」
「例えお前が歯科医になったとしても、俺は絶対お前の所には行かないとおもうけどな。」
「ええ?なんで?サービスするわよ?」
「健康な歯も全部抜かれそうだ。」
「総入歯の高橋くんって言うのも楽しいわね。」
「・・・・・・。」


何言い返しても無駄だと思った涼介は、楽しそうなを放って雑誌に視線を戻す。
もちろん、雑誌の記事など全く頭には入ってこないのだけど。
字を追いながら、隣りのを一撃でやっつけることの出来る言葉はないかと、必死に考える。
そして、ふと、そんなくだらないことに必死になっている自分に気付いて、可笑しくて笑う。
先程の受付の女性が、の名を呼んだ。


「はーい。」


楽しい時間は終りとばかりに小さくため息をつき、雑誌を閉じる


「お前が目いっぱい口を開けている姿も笑えるな。」


最後の悪あがきに涼介がそう言うと、は立ち上がり際にもう一度肘鉄を食らわせてきた。


「私は口開けてても愛らしいわよ。」


自分の鞄を掴み、おどけて言う。
そして小さく手を振るその後姿に、涼介は肩を竦め―――思わず口が開いた。


「先に終わったら待ってろよ。」