少しずつ、少しずつ、春の色を覗かせる。
この季節は―――嫌いじゃない。


先日降った雪が、ところどころにまだ残っている。
その間をすり抜ける風は、思わずコートの襟を立てさせるほどに冷たい。


春はまだまだだな。


そう心の中で呟いて、吐き出されるため息は白く。
見上げた空も、やはり同じように、白い。


信号が点滅して、赤に変わる。
その鮮やかなはずの色も、なぜかモノクロに見えてしまう。
冷たい風が、その色を消し去ってしまうような―――。


車に乗っているときは、そんなこと全く感じないのに、
こうやって道を歩いていると、ふと、そんなことを思う。
俺にも少しは芸術的センスがあったのかな?
頭に浮かんだ、そのちょっとした詩的表現に、思わず俺は苦笑し、隣りに視線を移す。


信号が青に変わる。
が、やや緊張した面持ちで、歩き始める。
半歩遅れて俺も歩き出し、また苦笑う。


「何だ、お前、緊張しているのか。」
「それは緊張するよ。」


そう言って俺を見上げてきた顔は、やはりどこか強張っていて。
思わず、笑いが洩れる。


「今から受けに行くわけじゃないんだから。もう結果は出てるんだぜ?」
「そんなことは分かってるけど。・・・やっぱり不安なの。」
「お前なら心配ないだろう。」


そう言って、するりとの半歩前に出る。
小さな抗議の視線を背中に感じながら、俺はその大学の門をくぐった。


二年前を思い出す。
群大の合格発表の日。
試験の手ごたえは確かで、まず落ちることはないだろう、と思いながらも、
やはり、実際に自分の番号を目にするまでは不安で。
何か、予想もしなかったヘマをしたかもしれない。
そんなくだらないことを考えて、合格発表の会場へ向かう足取りは覚束なかった。


こいつも、同じなんだな。
この俺について来て欲しいと思ってしまうくらい、不安なのだ。


「アニキ、今日一日空いてるって言ってたよな?」


高校はもう長い休みに入っていて、しかも受験も終わって優雅なご身分だと言うのに
今日は珍しく啓介が朝早くから起きていた。
居間で新聞を読んでいた俺のところへやって来て、携帯を片手で弄びながらそう聞く。


「・・・ああ。」


どこかへ連れて行けとでも言うんだろうか。
そんなことを考えながら顔を上げずに返事をする俺に、全く予想外の啓介の台詞。


「じゃあさ、の大学の合格発表、一緒に見に行ってやってくれない?」
「―――は?」
「いや・・・さ、昨日あいつに電話したら、何か不安そうな感じだったし。」


ぽりぽりと手に持っていた携帯で頭をかきながら、何となく決まり悪そうに片目を細める。
幼なじみの
そうか。今日が合格発表なのか。
自分の分の発表も間近で、人の心配をしている場合ではないだろうに。
―――いや、自分も同じ不安を抱えているからこそ、余計敏感にの不安を察したのかもしれない。


まったく―――こいつらは、仲がいいな。
俺は新聞を、バサリと捲る。


「なら、お前が一緒に行ってやれよ。」
「ああ・・・うん。今日は俺、これからちょっと用事があってさ。」


そう言いながら目を泳がせて頬をかく。
本当に、こいつは嘘が下手だ。
視線の端に止まったその啓介の様子に、苦笑する。


「これから、あいつ、うちに来るからさ。頼むよアニキ。」
「―――あいつが?来るって?」


が大人しく俺と一緒に行こうとするなんて。
―――あいつが?
思わず顔を上げて、まじまじと見る俺に、啓介は「よろしく」と片手を上げ、そそくさと自分の部屋へと戻っていく。


大人しく家に来る
大人しく騙される俺。
――― 一体どれが、誰の意思なのか。


すでに合格発表の紙は貼り出されていて、その前には学生やら父兄やらが集まっていた。
不安そうな顔で必死に番号を探す者。
自分の番号が見つかって、友達や親と喜び合う者。
―――どうやら、見つからなかったらしい者。


そして、すぐ隣りにも、緊張した顔で受験票を握り締め、自分の番号を探している人物。


「―――何番なんだ?」


俺がチラリとその紙を覗き込むと、は慌ててそれを背中の後ろに隠した。


「だめ。自分で見つけるの。」
「それじゃあ俺が来た意味がないんじゃないか?」


意地悪く笑って言うと、は俺を見上げて小さく睨む。
こいつは強情だ。
一度言ったら聞かない。
俺は肩を竦め、黙って見守ることにした。


「学部を間違った、なんて言うオチはなしだぜ。」
「・・・涼介さん、黙ってて。」


いつもと違う表情のがあまりに可笑しくて、
思わずそんな茶々を入れてしまいながら。


俺たちがそうしている間にも、すぐ隣りで歓喜の悲鳴が上がったりする。
この光景は、いつになっても、どこの大学でも変わらないものだな。
そんなことを思いながら、ふと口元を緩めると。


「―――あ。」


の小さな声。
見下ろせば、一点をじっと見つめているの顔。


「―――あったか。」
「・・・うん。」
「そうか。」
「・・・うん。」


こくり、と頷く
全く心配はしていなかったものの、やはり思わず安堵のため息を漏らしてしまう俺。
ただ、少しの間、お互い静かにその場に立って。
隣りではしゃぐ女子高生の声を、二人で、聞く。


「―――よかったな。」


大学の門を出て、駐車場へと戻る途中、漸く思い出したように俺は祝いの言葉を口にした。
いや、祝い、と言うには、あまりにも素っ気なさ過ぎるか。


「うん。」


そしてまた、これも素っ気ないの返事。
二人とも足を止めず、駐車場へと向かう。


ところどころ残る雪。
頬を掠める風。
ほんの数十分前のものと変わらず、冷たいはずなのに―――。


信号が、青に変わる。
俺たちは、歩き出す。


「―――これからだな。」


半歩前を歩くの頭を、ぽん、と撫でる。


「―――うん。」


が、後ろを振り返る。
いつもの顔に戻って―――静かな笑みを浮かべて。


「これから。」


その、頬の微かな赤みが、周囲の景色にまで伝染して。
モノクロの世界に、色が差し込む。


隣りに並ぶときに、ふと掠めたの手は、温かくて。


―――春は、そこまで、来ている。