「藤原くんっていい子だよね。」


彼女に笑顔でそう言われるたびに、拓海は複雑な気分になる。
嬉しいけれど、くすぐったいけれど、素直に喜べないような。
だから、いつも、帽子を深くかぶり直して顔を隠す。


は拓海の上司で、入社当時から色々と面倒を見てくれた。
周りの人間が面白がってからかうくらい、もとい、羨ましがるくらいの世話焼きぶり。
三人兄弟の末っ子だった彼女は、いかにも母性本能をくすぐるタイプの拓海が部下として入社して以来、弟が出来たみたいだと言って大張り切りだった。


「お前がちゃんの弁当食いたいって言ったら作ってくれるんじゃねぇの?作ってもらったら一口食わせろよー。」


先輩社員が通りすがりにそう言いながら拓海の肩をバンと叩き、抗議の目を向ける暇なくトラックに乗り込んで行く。
人の気も知らないで。
そんなことをブツブツ思いながらも、の手作り弁当と言う響きにちょっとドキドキした。


男に混じってきびきびと仕事をするはすごくかっこよかった。
仕事を上がるときのスカート姿は可愛かった。
たまにちょっと天然ボケするところに何となく親しみを感じて、皆で冗談言い合いながら見せる笑顔に惹かれた。
「どんどん頼ってね。」と彼女は言うけれど、実際仕事ではまだまだ頼りにしっぱなしだけど。
本当は自分が甘えるよりも甘えられたいし、「いい子」って言われるより「いい人」って言われたい。


なんて、年上の女の人にそんなことを思うのって失礼なのかな・・・。
拓海は運転しながらぼんやりとそんなことを考えて、ちょっと恥ずかしくなった。








その日はいつもより少し荷物が多く、配達を終えて営業所に戻ったのは陽が沈みきった後だった。
「お疲れ様です。」と、殆ど人のいなくなった事務所に入りボードを見れば、朝話しかけてきた先輩もも既に退社。
小さいため息とともに自分の机の上に帽子と伝票をバサリと置いた。
すると、その下から弱々しい声。


「お疲れ〜。」
「わ!」


思いもかけない場所から声がして、拓海が慌てて机の下を覗き込むと。床を這うの姿。


「・・・何してるんですか?」
「え、えへへへへ・・・。」


ばつの悪そうに笑う。聞けばロッカーの鍵を落としたのだと言う。


「で、ずっと探してたんですか?」
「ず、ずっとって言っても6時からだから・・・」
「もう1時間経ってますけど。」
「あ、あれ・・・。」


珍しく間髪入れずに指摘してくる拓海に、は少し弱気。
ただ残業して疲れているからなのか、今日はもう帰ってしまったと思っていたに会えたことに対する嬉しさの裏返しなのか、拓海自身もよく分からない。


「ロッカーの鍵なんて総務に言えばマスターキーで開けてもらえるんじゃないですか?」
「だ、だって総務の木村部長、今度なくしたら減俸だって言うんだもん・・・。」
「って、何回なくしてるんですか?」
「3回・・・いや・・・4回・・・かな。」


で、でも、ちゃんと次の日には見つかってるんだよ!
慌てて言い訳するの言葉は、拓海の盛大なため息に吹き飛ばされた。


「あっあの、藤原くん、一人で探せるから。」


一緒になって探し始める拓海を慌てて止めるけど、「そう言ってもう1時間探したんでしょう?」と言われれば返す言葉もない。大人しく「ありがとう」と言うのが精一杯。


「藤原くんって、いい子だね。」


ほわりと笑って、また、そう言う。
からしてみれば、ただの褒め言葉。悪気はない。
でも拓海は何だか悔しくて、と言ってもをこのまま放っておくことも出来なくて、聞こえなかった振りをした。


それから約30分。


とりあえず事務所の中は、くまなく探した。
机の周りはもちろん、給湯室、ロッカールーム、シャワールームだって探したし、男子トイレまで見た。
でも見つからない。
ロッカーの鍵なんて、仕事中にそうそう出し入れするものではないだろう。半分絶望的な顔をしながら、拓海がぽつり。


「・・・本当になくしたんですよね?」
「な、何よーっ、だって手元にないんだからなくしたって・・・。」


そこまで言いかけて、彼女の動きが止まる。口は「あ」の字に大きく開いたまま。
・・・まさか?
嫌な予感がしながら、彼女の次の言葉を待つ。が、彼女はだんだん青ざめていくばかり。


「・・・さん?」


恐る恐る、聞いてみる。
彼女は何とか口は閉じたが、なかなか体は動かない様子。


さん?」


もう一度名前を呼ぶと、今度は顔が青から赤に変わった。


「ご・・・ごめん、藤原くん・・・。」


おずおずと、自分の財布を開ける彼女。
その中を見て、ああしまったと言う顔をする。
そしてそこから摘み上げたのは―――今の今までずーっと探し続けていたもの。
今度は拓海の口が閉まらなくなる。


「そう言えばなくしちゃいけないからって、今日からしまっておく場所変えたの忘れてたー!」


その彼女の声に、怒りを通り越し、脱力感が拓海を襲った。


「ごめん!何でもお詫びするから!あっそうだ!お腹減ってない?ご飯食べて帰ろうか!!」


ガクリと机に突っ伏す拓海の周りをぐるぐる回る
この人はどうしてこう―――仕事が終わると可愛くなってしまうんだろう?
必死に拓海の顔を覗き込んで来るをぼんやり見上げながらそんなことを考えて、つい、口元が緩みそうになって慌てて隠す。


「俺、さん・・・の飯、がいいです。」


誰もいなくなってしまった事務所。
皆がいつも言っているような冗談を真似してみた。
けど、顔がどんどん赤くなっていって、今いち、決まらなかった。


「え?」
「だから・・・さんの作ったメシ・・・とか・・・。」


既にこの時点で大後悔。
こうやって繰り返し言っているうちに、自分がものすごく図々しいことを要求しているようで、恥ずかしい。
の方も、「うん、いいよ〜。」なんていつものように軽く言い返せばよかったのに、目の前の真っ赤な拓海を見ていたら、どんどん自分にも伝染して来てしまった。


「すいません・・・何でもないです。」
「いっいいよ!まかせといて!!明日はちょっと無理だけど、今度お弁当作ってきてあげる!!」


そう言って笑う彼女は、いつものお姉さんの顔のような、ちょっと違うような。
「じゃあ、約束ですよ。」と、まだ少し照れたように言う拓海も、いつもよりちょっと大人っぽく見えるような。


「と、とりあえず今日はもう帰ろうか。」
「そうですね。もう遅いし・・・。」


うっかりそう言うと、はガクリと肩を落とす。
その肩をぽんぽんと慰めるように軽く叩く拓海。そんなほんの僅かの接触にも、少し、どきどきした。
やっぱり女の人の肩って細いよな、とか。
よくこんな細い肩で力仕事してきたよな、とか。


「あ!」


そんなことを考えている拓海の横で、は何か思いついたのか、また財布を開けた。
そして取り出したのは、小さな鍵。
さっきまで探していたもの―――と、もう一つ、まったく同じもの。


・・・スペアキーって言うのは、違う場所に保管しておいてこそ効果が発揮されるんじゃ・・・。


二つのロッカーキーを眺めながら、今までの緊張も一気に引いて、そんなことを思う。
でも彼女は拓海のそんな心の声を気にせず、その鍵の一つを「はい。」と拓海に差し出した。


「・・・え?」
「藤原くんが一つ持ってて?その方が安心だから。」


呆然としながらも無意識に手を伸ばし、それを受け取る。
ニコニコと笑う彼女の前で、その鍵をまじまじと見る。


これって―――合鍵?


そんなことを不意に考える自分が恥ずかしい。
そして、本当はロッカーの鍵じゃなくて―――なんて考えてしまう自分が、さらに恥ずかしい。


「藤原くんって、まだ若いのにしっかりしてるよね。」
さんがおかしいんです。」
「ひどっ!!」


肘で小突いてくるを避けるようにして、笑いながら、その鍵をポケットに仕舞う。


「藤原くん、実は結構イジワルだったりするの?」
「そんなことありませんよ。」


口を尖らせてジトリと上目遣いに睨む彼女に、さらりとそれだけ返したけれど。
いい子と言われるより、イジワルと言われる方が、少しだけ、嬉しい気がした。