いち
高二のとき、一度だけ下駄箱に手紙が入っていたことがある。
雨の日の朝。
淡い青の封筒に、同じ色の便箋が一枚。
好きです―――って、一言だけ。
封筒の裏を見たら、インクが滲んでしまって差出の名前は分からなくて。
迂闊なやつだなぁと少し呆れながら、制服のポケットにしまった。
もしインクが滲んでいなくて、知らないやつの名前が書いてあったら捨てていたかもしれない。
いや、知っているやつでも―――あいつ以外なら取っておいたりはしなかった。
もしかしたら―――あいつかもしれない。
そう思ったら捨てられなくて、今も家の机の中に眠っている。
俺は、あいつの中で、どんな位置を占めているんだろう。
男子の間で女子に点数をつけることはよくあるけど。
その中で、いつも密かに高得点だった子がいる。
がそいつで。
別に、普段クラスで目立つ存在って訳でも、表立って人気があるわけでもないんだけど、男子の間では結構人気があった。
そう言う俺も、興味がない振りをしながら、彼女にはいつも高い点をつけていた。
消しゴムをなくして困っているときに、自分のを半分に切ってその片方をくれたり。
そう言う些細なことが、だんだん、だんだん心に積もっていった。
いつもは、この俺が天然ボケかって思うくらい、的外れなことを言って笑わせたりするくせに、
ちょっと困ったときとかに、すぐ気が付いてさりげなく助けてくれる。
本当に―――ずるいよな。
俺は、斜め前にある彼女の顔を盗み見て、知らずため息を漏らした。
昼休み。
売店に行ったら珍しくがそこにいた。
なかなかパンの所まで辿り着けずに右往左往している。
昼の売店は殺気立っていて、とにかく買ったもん勝ち。
順番も何もあったものじゃなくて、遠慮しているといつまでも買えない。
はいつも弁当で、なおさらこの雰囲気に慣れなくて困っているんだろう。
しょうがないな。
そう思いながらに近づく俺の足取りは、やけに軽かった。
「―――買えないのか。」
「あ、藤原くん。」
まずいところを見られたとでも思ったのか、は俺を見上げて少し頬を赤くした。
その表情を目にして、逆に俺の方が気まずくなって、ふいと目を逸らす。
「そんな所にいたら、ずっと買えないよ。」
「う、うん・・・。」
「・・・別に何でもいいのか?」
俺は返事を待たずに、そこから売店のおばちゃんに声をかけた。
毎日ここに通っている俺は、少し要領を得ている。
おばちゃんが俺に気付いたのを見て、人を掻き分けてずかずかと前に進む。
呆然としているの前に、俺はカレーパンとメロンパンを差し出した。
「・・・ありがとう。」
ぽそりとそう言うの顔は、まだぼーっとしていた気がする。
「藤原くんって、いつもパンなの?」
「ああ、うん。」
「ふうん・・・お腹すいちゃわない?」
「まあ・・・平気。」
何となく流れで、俺とはそのまま一緒に屋上に出た。
今までだって、別に普通に会話をしたことはあったけど、昼飯を一緒に食うなんて初めてで。
どこに視線をやればいいのか、よく分からなくて。
じっと自分の手元を見つめて、黙々とパンを食べてしまう。
ちらりとに視線を移すと、もカレーパンを齧っていた。
秋の初め。
陽はまだちょっと熱くて、時折吹く風は、少し冷たい。
パンを食べ終えて水を飲む。
ボトルを煽るときにふと目に入った空は、すごく、高く感じた。
「―――綺麗だよね。」
「え?」
そのの声に振り返ると、彼女もまた空を見上げていた。
そして、ふと口元を緩める。
「秋の空って、私、好きなんだ。」
「・・・ふうん。」
「真っ青なんだけど、夏の空の青とは違って―――。」
俺も、もう一度空を見上げる。
その青を見つめながら―――俺はあの手紙を思い出していた。
そう言えば、こんな色じゃなかったかな、そんなことを考える。
俺は、の中で、どの位置を占めているんだろう。
は俺の中で、どんな位置にいるんだろう。
流れている雲みたいに、そんなことを思って。
結局、ふと口から零れたのは、短い言葉。
「俺も―――。」
秋の空が好きで、この青が好きで―――こいつが、好きだ。
あの手紙にあった言葉。
あれはたぶん、俺も言いたかった言葉。
ああそうか。
そう思ったら、急に胸がすっとして、何かが体の中に広がって。
じんわりと、温かくなっていく感じがした。
目を閉じても、その空の青が消えない。
「私―――藤原くんが好き。」
秋の空が好き。
そう言うのとまったく同じように、自然と発されたような、の台詞。
俺も、何故か、すごく自然に受け入れて。
自然に、返した。
「俺も―――お前のこと、好きだ。」
口に出した後、すごく恥ずかしくて、照れくさくて。
だけど、すごく気持ちがよかった。
二人で、一瞬だけ顔を見合わせて、また空を見上げる。
あの手紙は―――捨てようと思った。