仔猫みたいな子だな、と思った。


「あ、拓海くん、いらっしゃーい。」
「どうも・・・。」


涼介さんたちの家に行くと、ちゃんが、読みかけらしい本を片手に、玄関まで俺を迎えに来てくれた。
でも俺が挨拶し終わらないうちに、ニコニコ笑ったまま、パタパタと居間の方へ走っていってしまう。
何となく物足りない気がしながら、俺もその後を追う。
居間に行くと、既に今日のミーティングの面子が揃っていた。


「すいません、遅くなりました。」
「いや、悪いな、休みの日に呼び出して。」
「あ、いえ、平気です。」


ソファに腰掛けていた涼介さんが、こっちを振り返って微笑み、俺を隣りに座るよう促してくれる。
その向かいに座っていた史浩さんは手に持っていたファイルを閉じて、いそいそとビデオテープをデッキに入れる。
啓介さんは煙草を咥えながら何か雑誌を広げていて、ちゃんはその近くに寝そべり、持っていた本を読み始めた。


「おい、。お前邪魔だからあっち行ってろよ。」
「った!お尻叩かないでよ、変態っ!!」
「んなちっけぇケツの一つや二つでウダウダ言ってんな。」


今度は立ち上がったちゃんの方が、啓介さんのお尻を、持ってた本で叩く。
啓介さんがジロリと睨むと、あっかんべ、と少し離れたダイニングへと逃げて行った。
そう言うやり取りが、いかにも親しげで、とても「元」恋人同士とは思えない。


「お前たち、静かにしろよ。」
「相変わらずだなぁ。」


そう笑いながら言う涼介さんと史浩さんも、そんな二人のじゃれ合いは見慣れていて、全然気にしない様子。


俺が涼介さんたちの家に行くと、大抵ちゃんがいる。
親同士が仲良しで、昔からよく出入りしているらしい。
来たいときに来て、帰りたいときに帰るのだと、以前涼介さんがやれやれと言った感じで話してくれた。
確か、そのときもちゃんはマイペースで、一人黙々とテレビゲームか何かをしていた気がする。


「こいつと付き合ったのは、人生最大の失敗だ。」


ちゃんを小突きながら、むすっとした顔で言う啓介さん。


「ふーん。こっちこそ!」


いーっ、て歯を見せるちゃん。
でも、次の瞬間には二人とも笑ってる。
それはもちろん、恋愛なんて色々だと思うけど、別れた恋人同士が、こんなふうな関係でいられるもんなんだろうか。
俺にはよく分からないけど―――ちょっと、羨ましかったりする。


ビデオの映像が途切れて、俺はふと、ちゃんのいたダイニングの方を見る。
すると、本に飽きちゃったのか、その奥のキッチンに引っ込んで、何やらガサゴソと忙しく動き回っていた。


「どうした、藤原。」
「あ、いえ・・・。」


誰も、別にちゃんのことは気にしない。
ちゃんも、俺たちのことは気にしない。
何か、俺ばっかり気にしちゃってる。


キッチンでの忙しない物音は続く。
ちゃんは、いつでも、自分のしたいことをする。
本を読みたいときは本を読んで、ゲームをしたいときはゲームをして。
そう言えばこの前は、俺たちが目を話した隙に炎天下の中、庭の水撒きをして日射病になりかけた。
危なっかしいけど、でもやっぱり、マイペース。
それで、かまって欲しいときには、するすると近くに寄ってくる。
涼介さんとか、啓介さんとか、時には史浩さんのところに。


俺の方にも来てくれないかな。
―――なついて、くれないかな。
俺よりいっこ年上のはずなのに、何か、本当に仔猫みたいで、そんなことを思ってしまう。


ミーティングの間中、ずっとキッチンからガタゴト音がしてて、そろそろ終わりにしよう、という頃に、何やらすごい甘い匂いが漂ってきた。
それはもちろんキッチンから。


「・・・あいつ、何やってんだ?」


あまり甘いものが好きじゃない啓介さんが、額に青筋を立てていると、ちゃんがキッチンから現れた。


「あ、打ち合わせ終わったの?」
「お前、何やってんだ?くせぇんだよ!」
「じゃあ、お茶淹れてくるね。」
「って、無視するなよ、おいっ!」


噛み付く啓介さんを相手にせず、ちゃんはヒョコヒョコとまたキッチンに戻る。
俺も手伝おうとその後を追って入れば、むせ返るような甘い匂い。
甘いものが平気な俺でも・・・結構くる。


「・・・何か作ってたんですか?」
「うん。ブラウニー、拓海くん食べたことないって前に言ってたでしょ?」
「え・・・?」


そう言えば、以前なぜかお菓子の話題になって・・・ああ、そうだ、皆でファミレスに行って、ちゃんがデザートを注文したときだ。
彼女がブラウニーを作るのが得意だって言ってて、俺はブラウニーが何なのか分からなかったんだった。


「うわっ、このクソ暑いのにそんな甘ったるっこいもん作んなよ!!」


紅茶と一緒にそのお菓子を居間へ持って行くと、啓介さんがげっ、て顔して叫んだ。


「別に啓介は食べなくてもいいよ。」
は藤原に食べてもらえれば、それでいいんだよな。」
ちゃん、藤原がお気に入りだからなぁ。」
「・・・えっ?!」


ずず、と紅茶をすすって皆のやり取りを何となく聞いていた俺は、最後の涼介さんと史浩さんの言葉に反応してしまった。
え?今、何て言った?
ちゃんは別に否定もせずに、ニコニコ笑ってそのブラウニーの入った籠を俺の前にドンと置く。


「だって、拓海くんって仔犬みたいで可愛いんだもん。」
「か、かわ・・・。」


可愛いって・・・そんな、ちゃんみたいな人に言われても・・・。
俺は何も言えなくて、口を開けたまま、目の前で笑っている彼女を見る。
その横から、また涼介さんと史浩さんの声。


「玄関まで迎えに行くのって、藤原が来たときだけだよな。俺のときも、小さい頃は来てくれたんだけどな。」
「俺なんか、一度もないよ。」


ちょ、ちょっと待ってください・・・。
いきなりのことに、俺は頭がついていかない。
ちゃんは、相変わらず俺を見て、にっこり笑ったまま。


「たくさん食べてね、拓海くん。」
「え・・・あ・・・はい。」


俺は混乱したまま、その茶色いかたまりを手に取る。
何か、じーっと見つめられながら食べるのって・・・すげぇ緊張する。
その視線を避けるように、ちょっと俯いてそれを口に入れる。


・・・あ、うまい、かも。


「うまい・・・です。」
「ほんと?」


ちゃんが、笑顔全開で俺を覗き込んでくる。
これって、なつかれてんのかな。
それとも―――俺が餌付けされてる?


「藤原ぁ、最後にお前が食われねぇようになー。」


広い広い居間に、啓介さんの頭を直撃するスリッパの高らかな音が響いた。