halloween




生徒会長の一日は忙しい。
加えてあのテニス部の部長なんかやっているんだから、手の空く時間を待っていたら今日が終わっちゃうだろう。
せめて一人になる時間を狙いたいところだけど、生憎と大抵は誰かと一緒にいる。
ちょっと一人になったと思ったら、すぐに別の人につかまる。
誰も彼を一人でなんて、放っておかないのだ。


彼がどうしても一人で何かをしたい時は、生徒会室の奥の部屋に籠ってしまう。
その部屋には、よっぽどの用事がないと入っちゃいけないと言う暗黙のルールがある。
因みにそのルールは今まで破られたことはない。


さて、どうしよう。


とりあえず、朝の始業前の時間が終わってしまったので、それ以外の時間を狙わなきゃいけない。
私は授業を受けながら、ノートに跡部の居そうな場所を書き出した。
幼なじみのジローに引っ張り回されて、テニス部の子たちと一緒に遊んだりすることも多いので、何となく跡部の一日の行動スケジュールも把握してしまってたりする。
そもそも、今頭を悩ませている原因も、もともとはジローのせいだ。
今日のハロウィン、どっちが先に跡部にお菓子を貰えるか、売り言葉に買い言葉でそんな勝負に乗ってしまったのだ。


えーと、一体何でそんな話になったんだっけ?
確か昨日の夜はジローの部屋でゲームをやってただけのはずなんだけどなぁ。
眉間に寄った皺をシャーペンの背でトントンと押さえる。
とにかく、今更そんなことを思い出してもしょうがない。
この勝負に負けたら、私は卒業までジローの授業のノートを取り続けなくちゃならないのだ。
横暴だ!
そう訴えたけど、「あ、負ける気なんだぁ」って、にやーって笑うジローの顔を見たらムカついて受けて立ってしまった。
ホントに、あいつを可愛いとか言っちゃう女子の気がしれない!
因みに私が勝ったら、卒業までジローをパシリに使っていいことになっている。
寝る暇もない位、コキ使ってやる!!


さて、もう一度ノートを睨む。
Trick or Treat !って言う位なら、たぶんちょっとした隙を見て言えるんだと思う。
しかし、難しいのは仮装しなきゃいけないことなんだ。
その衣装は何故か昨日ジローから渡された。
一体、何でそんなものを用意してたんだろうか。
黒猫の仮装だと言って、猫耳のカチューシャとシッポ。
それを付けないと、もしお菓子を貰えても無効だなんて言って。
自分用には狼男の着ぐるみ。
自由なジローは、それを朝から着てる。
ついでに今も着てる。
斜め前でぐーぐー寝ているジローの頭には、フードについた耳がピコピコと揺れていた。
ジローも自由なら、この学校も自由過ぎる。
私はその耳に消しゴムを投げつけたい衝動をグッと堪えて、はぁと長いため息を吐き出した。


私はそんな自由になれない……と言うか、出来るだけそのアイテムは身に付けたくない。
跡部に会う直前にササッと付けて、言いたい。
だから、短い休み時間のほんの僅かな隙を狙ってって言うのは難しいから、昼休みとか放課後に賭けるしかない。
とりあえず、それまではジローが先に貰っちゃうのを阻止せねば。


終業のベルが鳴る。
ジローの耳――正確にはフードに付いた耳がピクリと動く。
私は教壇に立つ先生がパタリと教科書を閉じるのに合わせて、自分のノートを閉じた。
先生が教室を出て行くと当時に、ジローはさっきまで寝ていたのが嘘のように勢いよく席から立ち上がり猛ダッシュ。
いっつも授業の間の休み時間なんて、ずーっと寝てるクセに!
心の中で叫びながら、私も慌ててジローを追い掛けた。


「ちょっと待ちなさい、ジロー!」
「あ、、ちゃんと変装してないと負けだからね〜」
「分かってるよ!」


狼男と言うよりは、ただのキツネか犬のような愛くるしい着ぐるみを着たまま廊下を走るジローは注目の的。
ただでさえ普段から注目されることが多いってのに。
ジローから Trick or Treat って言うまでもなく「ジローくん、お菓子あげるよ〜」と声を掛けて来る女の子たち。
そんな彼女たちに「ありがとー!後で貰いに行くから!」と笑いかけながらも、跡部のクラスへ向かう足は止まらない。
く……実は結構足が速い。
そりゃ、あのテニス部でレギュラーやってるんだから当たり前と言えば当たり前だけど。
あと数十メートルで跡部の教室のドアの前。
その時にタイミング良く、と言うべきか悪くと言うべきか、跡部本人がそこから出て来た。


「あ、跡部!トリッ……」


すかさず声を掛けようとしたジローの背中に飛びかかり、後ろからその口を押さえる私。
必死な形相をしていたに違いない私と、ふがが、と苦しそうにしているジロー。
跡部は冷ややかな視線を向けて来た。


「……てめぇらは、わざわざ仲がいいところを見せ付けにうちのクラスにまで来たのか」
「ち、違うよ!これにはちょっと事情が……」
「あとべー、トリックオア……」


性懲りもなく、私の指の隙間から例の台詞を口にしようとしたジロー。
私は回していた自分の腕で、ジローの首を絞めた。
蛙を潰したような声を出すジロー。


「ま、せいぜい殺さねぇ程度にな」


やれやれとあからさまに呆れた表情で、跡部はさっさとどこかへ行ってしまった。
とりあえず、この休み時間は何とか阻止できたことに、ホッと安堵する。
でもこんなことしてたら、私が言う暇ないよ!
だって、私があの変なカチューシャとか付けてる間に、ジローが跡部の所に行っちゃったらアウトじゃないか。
今更そんなことに気が付いて、ギリギリと歯軋りしていると、後ろから無駄に色っぽい声。


「何や、キツネがお嬢ちゃんに襲われとるわ。エラいシュールやなぁ」
「忍足!」
「これキツネじゃないよ!狼男!」
「狼男が女の子に襲われとるんか。普通逆やろ」


呆れたって顔で、私たちを見る忍足。
放っといてって言いかけた時、ふと、思いついた。
そっか、忍足に協力して貰えばいいんじゃない?
私はジローの首を絞めたまま、忍足に事のあらましを説明し、私が変装している間だけでいいからジローを取り押さえておいて欲しいとお願いした。
本当はずっと捕まえてて欲しいところだけど、それじゃあちょっとフェアじゃなさ過ぎるかな、と思って。
忍足は、「ふーん」と興味無さそうな返事をして、私を頭のてっぺんから足の先まで一通り眺めた。


「――で?お嬢ちゃんは、何の変装するん?」
「え、私?」
「黒猫だよー。耳とシッポ付けるんだー」
「猫?」


ジローの言葉に、眼鏡が光ったように見えたのは気のせいだろうか。
そして何故かわざとらしく咳払いし、「せやな……」と腕組みして難しそうな顔をし始めた。


「協力してやってもええわ」
「ほんとっ!?」
「あ、ずるいよ、忍足!」
「その代わり、条件がある」
「ジョーケン?」


私はジローと二人でキョトンとする。
また忍足の眼鏡が光ったように見えたのは気のせいだろうか。


「跡部の前に、その変装して俺に Trick or Treat て、言うてくれへん?」
「え――」


そんなこと?
と私が言いかけた時、いつの間にか私の腕をすり抜けていたジローの飛び蹴りが、忍足にヒットした。


「ジロー!自分、何すんねん!」
「ねーねー、忍足〜。もちろん今日お菓子を持ってるんだよね?」
「な、何言うとるん……」


無邪気なジローの笑顔。
でも、長い付き合いの私には分かる。
忍足がジローに殺される!
私は慌てて間に入った。


「ちょ、ちょっと、ジロー!どうしたのよ!別にそれくらい……」
「それくらいじゃないよ!鈍チン!忍足の毒牙に掛かっちゃっても知らないよ!」
「ど、毒牙って、エラい言われようやな」
「て言うか、忍足、寧ろ自分がに悪戯したいとか思ってるでしょ!変態!」
「い、言いがかりや――っ」


でもそう言いながら、忍足の目が泳いでいるのを私も見逃さなかった。
今度は私が冷ややかな視線を忍足に投げつけ、掴んでいたジローの手を放す。
すると、二度目の飛び蹴りが忍足を襲った。








忍足以外の誰かを頼るしかない。
次の授業も殆ど聞かずに、ノートに男の子の知り合いの名前を書き出した。
やっぱりジローを押さえておくんだから、力のある男の子じゃないと無理だ。
無難なのは、テニス部の子だよね。
うーんと悩んでいる内に、また終業のベル。
今度はさっきよりも少し早く追いつくことが出来て、自分たちの教室のすぐ前でジローを捕まえることが出来た。


「やあ、ハロウィンの仮装かい?」


クスクスと笑いながら前からやって来たのは、滝くん。
私に飛びかかられたまま、ジローはくじけずに笑って言った。


「あ、滝!トリックオアトリート!」
「Happy Halloween」


流暢な発音でそう言った後、滝くんはポケットから飴を取り出してジローに差し出した。
もー!こう言うところが憎くって、呼び捨てに出来ないんだよね!


ちゃんは?」
「えっ」
「一緒に仮装はしないの?」
「う、うん……今はちょっと」
「そっか、残念。ちゃんに悪戯されてみたかったな」


さっきの忍足と同じようなことを言ってるのに、ジローが飛び掛かって行かないのは、すぐに滝くんが「冗談、冗談」って微笑ったからか、それとも元々の人徳か。
よし、ここは滝くんにお願いしてみよう。
滝くんはジローに甘いから、今いち不安と言えば不安なんだけど。
と言うか、滝くんだけじゃなくてテニス部の皆がジローに甘い。
いや、この学校全体がジローに甘い気がする。


「うん、構わないけど。昼休みはちょっと用があるから放課後なら」


滝くんに説明すると、あっさりとOKしてくれた。
あまりにあっさりし過ぎていて不安になってしまうくらい。
怪訝な顔をする私を見て、「どうしたの?」って可笑しそうにクスクス笑う滝くん。


「えー!、ずるいー!」
「ずるくないよ!」


そして何とか昼休みと休み時間を乗り切り、やって来た放課後。
今日は部活がオフの日だから早くしないと跡部が帰っちゃう可能性もある。
とにかくジローを滝くんに引き渡さねば、と思ってたら、先に滝くんの方が私たちの教室まで来てくれた。


「じゃあ、ジローのことは俺に任せて。跡部のところへ行っておいで」
「えっ、変装する間だけ押さえててくれればいいよ!」
「そんな甘いこと言ってると、ジローに先を越されちゃうよ?」
「滝、放してよー!」


口を尖らせながらも、大人しく滝くんに捕まっているジロー。
うーん、ここは迷っていられない。
滝くんに甘えることにして、私は鞄から例の変装グッズを取り出した。


「ごめん、ありがとう!滝くん」
「行ってらっしゃい」
「ぶーっ」


変装グッズを手に持ったまま、私は跡部のクラスへと急ぐ。
早くしなくちゃ!ってことしか頭になかった私には、もちろん、その背後でこんな会話がされてた何て気付かなかった。


「どうせジローだって、先にちゃんを跡部のところに行かせるつもりだったんだろ?」
「そんなことないよ!」
「そう?」
「……だってぇ、跡部、全然動いてくれないんだもん」
「そうだねぇ。これでうまく行くといいけど。今日のジローは狼男じゃなくて、恋のキューピッドの変装の方が合ってたんじゃない?」








跡部のクラスに行くと、時既に遅しで本人の姿は見えなかった。
近くにいた親切な子の「今日は生徒会の仕事があるって言ってたぜ」と言う台詞に、私はお礼もそこそこに生徒会室へと走る。
廊下を走るなと言う先生の声は聞こえないふり。
生徒会室に辿りつき、ノックと同時にドアを開ける。
重厚なそれを開けると、中には樺地くんしかいなかった。


「あ、あれ?跡部くんは?」


ぜぇぜぇと肩で息をしながら聞けば、樺地くんは奥の扉を指差す。
嫌な予感。


「――中に、います」
「えーっ!」


そこは、跡部が一人で何かに集中したい時に閉じこもる会長室だった。
先にも言ったように、特にそんな規則があるわけじゃないけど、本当に切羽詰まった用事でもない限り他の人が入ることは許されない。
絶望的な気分で、茫然とその扉を見つめた。


「い、いつ頃出て来る予定……?」


一応聞いてみたけど、樺地くんは「分かりません」と短く答えるだけ。
「すぐ終わるのかな」と聞いても、やっぱり同じ答え。
ガックリと肩を落とす私の前に、樺地くんは椅子を持って来る。
ここで待てってことなのか。
はああ、とため息を吐き出し、その椅子に腰掛けた。


もちろん、ずっと奥に閉じこもってるわけはなくて、いつかは出て来るだろうけど。
でもそんな悠長なこと言ってたら、流石にジローだってここに来ちゃうよ!
そしたら絶対ジローの方に先にお菓子を上げるはず。
だって、ジローに一番甘いのは跡部だからね!
私なんかより、絶対ジローに上げる。
……あ、言ってて悲しくなてきた。
私は椅子に座ったまま、膝を抱えた。


「――大丈夫、です」


何かを察してくれたのか、ぽつりとそう言う樺地くん。
さっきこの部屋に入って来た時、ショックで足元に落としたカチューシャを拾い、パンパンと埃をはたいた後、それを私の頭に付けてくれた。
そうだよね、出て来た時にすぐ言えるように、変装しておいた方がいいよね……。
私は「ありがと」とお礼を言って、同じように埃をはたいて差し出してくれたシッポを受け取った。


抱えた膝に頭を乗せたまま、私はその奥の部屋のドアを見上げる。
このドアの向こうに跡部がいる。
でも、何だかすごく遠く離れているような気がしてしまう。
いつもそうだ。
ジローのおかげと言うべきか、跡部と一緒に行動する機会は、結構多い方だと思う。
触れようと思えばすぐ触れられそうな位置にいる。
けど、やっぱりジローなんかよりもずっとずっと遠くにいるんだ。
ジワリと涙が出そうになって、私は慌てて膝の間に突っ伏した。


「――騒がしいと思ったら、お前か」


そんな時、ドアが開いて跡部のため息交じりの声。
タ、タイミング悪いよ!
待ち望んだターゲットの登場にもかかわらず、私は涙が滲んでしまってすぐに顔を上げられない。


「まさか、これ、ハロウィンの変装のつもりか?」


ツカツカと近づいて来たかと思ったら、そう言いながら、私のカチューシャを引っ張る。
思わず「いたたっ」と言ったら「そんなわけねぇだろ」と冷たい答えが返って来た。
カチューシャの端っこが当たる耳の裏の部分が痛いんだってば!
私は急いで涙を拭った。


「と……Trick or Treat!」
「……随分唐突だな」
「いーの!お菓子ちょうだい!」


私が半ばヤケクソに手を差し出すと、やれやれと言った感じのため息。
それから「おい、樺地」と呼んだかと思うと、樺地くんが鞄から小さな包みを取り出して跡部に手渡した。


「ほら」
「え……」
「菓子が欲しいんだろ。ほら、やるよ」
「え……あ……うん」


ポカンとお馬鹿みたいに口が開いたままの私の手に、跡部はその包みを落とす。
キングス・イングリッシュな発音で Happy Haloween と付け足して。
勝った。
……勝った、のか。
でも何だろう、あまりに呆気なくて――


「何だよ。それじゃあ不満なのか?」
「えっ!ち、違うよ!えーと……ありがとう」
「ああ」


椅子の上で縮こまったまま、包みを手に跡部を見上げる私。
腕組みして私を見下ろす跡部。
お互い黙って見つめたまま、二十秒、三十秒。
跡部は奥の部屋に戻らない。
そう言う私も、跡部の碧い眼から目を離せずに、この部屋から立ち去ることを忘れちゃってる。


「――どうした」
「何でもないよ!」


顔を傾けて、ちょっとだけ跡部の口角が上がる。
その表情に、私はやっと彼から目を逸らすことが出来た。
そして俯こうとした時に、目に入ったお菓子の包み。
濃茶の、いかにも高級そうな小さな箱。


「もしかして、跡部って、わざわざハロウィン用にお菓子用意してたの?」
「あん?何言ってやがる」
「だって、普段はこんなお菓子なんて持ってないでしょ?」
「俺様はいつもそれ位の物は持ってんだよ」
「……持って、ません」
「樺地!余計なことを言うな!」


上体を後ろに反らして腕組みしていた跡部が、ポツリと言った樺地くんの一言に動揺してる。
そっか、跡部くらいになるとハロウィンって言ったら、きっと色んな子がお菓子貰いに来るんだろうなぁ。
でもこんな時のお菓子まで妥協しないで、立派な物を用意するなんて……流石って言うか何て言うか。


「うわー!準備がいいね!」


私がビックリしてそう言ったら、跡部は小さく舌打ちして吐き捨てるように言った。


「お前が来るって言うから、用意しておいてやったんだろうが」
「えっ?」
「ジローのヤツが、今日お前が俺の所に菓子貰いに来るから何か用意しとけって言いやがるから――」
「えっ、わ、私用!?」
「それなのに、てめぇはジローとイチャイチャしてぱっかりで全然来やしねぇ」


そしてもう一度、今度は盛大に舌打ちしたかと思ったら、「やっぱり、やめだ」と私の手からヒョイとお菓子の包みを取り上げた。
えーっ!ちょっと待って!
私が取り返そうとするより早く、跡部は私が座っている椅子の背凭れに手を突き、その顔を私にずいと近付けた。
慌てて、息のかからない位置まで距離を置こうと後ろに体を反らせるけど、椅子の背凭れが邪魔して殆ど距離なんて稼げない。


「ま、待ってよ、跡部!そのお菓子がないと私卒業までジローのノートを……」
「知ったことかよ」
「ひどっ!」


にやり、と意地悪く笑って、跡部は身を屈めるようにして更に私に顔を近づけて来る。
触れようと思えばすぐ触れられそうな位置にいる。
けどやっぱりジローより遠い――とか言ってる場合じゃない!
その目は反則だ!
いや、目だけじゃなくて、その眉も鼻も唇も全部が反則だけど!
自分の顔が熱くなって来るのが分かる。
こ、これって、息を止めてるからってだけ……だよね?


「なあ、お菓子をやらなかったら悪戯するんだろ?」
「え……ええっ?いや、でも、その、普通は皆お菓子を渡すものだから……」
「悪戯して貰おうじゃねぇの」
「ええっ!?」


何で悪戯をされる方がそんなに偉そうなのよー!
って、ちょっと樺地くん!何で奥の部屋のドアをそっと開けたりしてるの!?


「相変わらず気が利くじゃねぇか、樺地」
「ウス」
「ウスじゃないよ!」


絶対そこに入るもんか!
私は膝を抱え直し、ぎゅーっと身を固くする。
でもそんな努力も空しく、私の身体は宙に浮いた。
最初は何が起きたのか分からず、急に変わった視界に目を丸くして言葉を失ってしまう。
けど、すぐ傍に現れた跡部の顔のドアップに、私は「わーっ!」と悲鳴を上げた。


「色気のねぇ悲鳴だな。きゃあとか言えねぇのかよ」
「おっ……下ろしてー!」


これは世に言うお姫様抱っこと言うヤツじゃないだろうか?
私は何とか声を上げるけど、その台詞とは裏腹に、落ちるのが怖くて跡部の首にしがみついてしまう。
こ、これは不可抗力だと思う!


「いい加減限界なんだよ」
「な、何が?」
「幼なじみだか何だか知らねぇが、ベタベタしやがって」
「え――もしかして、ジローを私に取られたって思ったの?」


それは、跡部が一番ジローに甘いのは知ってるけど。学園中の周知の事実だけど。
そんなに好きなの?
「大丈夫だよ、ジローは好きだけど、それは幼なじみとしてだから!」と安心させるようにニッコリ笑って言うと、跡部はこれ以上はないって位に顔を歪めた。
すぐ隣りに立っている樺地くんを見ると、さっと目を逸らされた。


「……てめぇのその大ボケな性格は、奥の部屋でしっかり直してやる」
「何よ、大ボケって!」


私の抗議など何のその。
跡部は私を抱えたまま、奥へと進んで行く。
ちょっと待って!樺地くん、何でドアを閉めてるのよー!


「後は頼んだぞ、樺地」
「ウス」
「いや、だから、ウスじゃないから!」


って、聞いる!?樺地くん!
ガチャッて、今鍵掛けなかった!?


学校の施設って言うよりは、まるで書斎みたいな部屋。
ふかふかの絨毯に、どっしりとした大きな机、座り心地の良さそうな革張りの椅子。
――なんて、初めて入る部屋にワクワクしてる場合じゃない。


「さて――じゃあ、悪戯してもらおうか」


その大きな背凭れの付いた黒い革張りの椅子に私を下ろすと、何故か目の前で自分のネクタイを緩める跡部。
一体どんな悪戯を期待してるって言うの!


「あ、跡部、悪戯じゃなくて――っ」
「ぐだぐだやってっと、こっちから行くぜ?」
「それって、もうハロウィン関係ないじゃん!」


外からジローの声が聞こえる。
樺地くんに Trick or Treat って言ってる場合じゃないから!
私は助けを求めようと慌てて立ち上がろうとする。
――けど、結局椅子から離れることは出来なかった。
跡部に阻止されて。
跡部の唇が、私の唇に重なって。


唇が離れても茫然としている私に、跡部がニヤリと笑って、さっき一度は私にくれたお菓子の箱をヒラヒラと見せる。
外に聞こえないような、小さな声で。


「今逃げたら、これはジローにやっちまうぜ?」
「ず……ずるい」
「何とでも」


目も眉も鼻も髪も何もかも反則だけど、やっぱり一番反則なのは、その唇だった。
ほんの僅かな時間重なったその感触をもう一度――って、半ば無意識にネクタイを引っ張ってしまう。


「――で、さっきの自分のボケっぷりは訂正する気になったか」


そんな私に意地悪い笑みを浮かべて言う跡部の台詞は、分からないふり。


「跡部ー。子供は作っちゃ駄目だからねー」


外から聞こえたジローの台詞も聞こえないふり……は出来なかったけど、跡部の唇の柔らかさと熱い位の舌に、もうどうでもよくなってしまった。


結局、この勝負は私の変装がシッポを付けていなかったってことで失格。
次のクリスマスに持ち越されることになった。
クリスマスって、一体、今度は何をする気よ?


でも、それが決まったのは、もう少し後の話。