twist




眼下に広がる夜景を見下ろす。
最高級ホテルのスイートルーム。
たぶんもう二度と足を踏み入れることはないんじゃないだろうか。
こんな状況じゃなきゃ、もっといろいろ探検したい。
見たことのないような綺麗な夜景にはしゃぎ回りたい。
……こんな状況じゃなければ。


大きな窓ガラスに男の姿が映る。
すぐ後ろにある大きなソファにドカリと腰を下ろす姿を見て――私の顔は一気に紅潮MAX。
クルリと振り返り、その男に向かって指をさして叫んだ。


「ちょっとー!なんて格好してるのよ!」
「あーん?俺様がどんな格好しようが勝手だろうが」


何言ってやがる、といった目で私に一瞥をくれ、その男――跡部はテーブルの上に用意されていたシャンパンボトルを手に取る。
ノンアルコールのシャンパンなんて初めて見た。
つーか、そんなものを子供が頼むな!


「そう言うてめーの格好は何だ。色気のねぇパジャマだな」
「ほっといて!パジャマに色気があってどうするのよ!」
「ま、てめーじゃ素っ裸でも欲情しねぇだろうけどな」


鼻で笑う跡部に、私は近くにあったクッションを投げつけたけれど、あっさりとかわされた。
ボスッと間抜けな音とともに床に落ちるクッション。






春休みに、志摩だったか伊勢だったかにあるという、跡部グループが経営しているリゾートホテルにテニス部のレギュラーメンバーが招待された。
そして、跡部が「ついでだ」と言ってマネージャーをやっていた私にも声を掛けてくれたのだ。
建物はイタリアの有名な建築家が全て設計したとかで、スパとかレストランも充実していて、以前友達とも「行ってみたいね〜」なんて話していた所。
その友達には悪いな〜と思いながらも、もう、すっごく楽しみで。
出発する日は用事があったんだけど、無理やり夕方から向かうことに。
他の皆は午前中の新幹線で名古屋に向かったんだけど、跡部は方向音痴の私を一人で移動させるのは危なっかしいと言って一緒に夕方の新幹線で行ってくれることになった。


――けど、友達の呪いだろうか。
移動途中で思いがけない車両トラブル。
本当なら1時間半くらいで名古屋に着けるはずなのに、私たちは4時間近く新幹線の中に閉じ込められてしまった。
跡部の機嫌はみるみる悪くなってって、気が気じゃないったら。
しかもようやく名古屋に着いてみたら、もうホテルに行くための電車もバスも終わってしまっていたのだ。


「あんな狭い所に何時間も閉じ込められて、この上車になんか乗ってられっか」


跡部なら、呼べばすぐに迎えの車くらい飛んで来たと思うんだけど、そんなことを言って駅の改札を出てどこかへ歩きだしてしまった。


「ちょ、ちょっと跡部、どこ行くの?」
「近くに知ってるホテルがある。そこに行くぞ」
「ええっ!リゾートホテルは!?」
「明日になったら移動すればいい」


ちょっと待って。跡部と二人でホテル!?
予想もしてなかった展開にあたふたするけれど、跡部が私の意見なんか聞くわけもない。
ずるずる引き摺られるように、わがままキングについて行くしかない。


当然のように通されたスイートルームで、跡部は出歩くのも億劫だと言ってルームサービスを頼んで。
何だか現実のことなのか夢の中の出来事なのか、頭が回らないまま、最初私は茫然とするばかりだった。
先にシャワー浴びて、そのバスルームの広さに驚いたりして。(だって、私の部屋より絶対広い)
ぼーっと夜景を眺めていたら、携帯に忍足からメール。


襲うなよ。
と一言だけ。最後に笑顔のマーク付き。


「何で私が跡部を襲わなきゃいけないのよ!」


三人は余裕で眠れるんじゃないかと言うくらいの大きさのふかふかのベッドに携帯を投げつけ――枕に埋まったそれを見ていたら、急に緊張が襲ってきた。
い、いや、でも、跡部はきっと私のことなんて女と思ってないに違いない。
じゃなきゃ――そんなバスローブ姿で寛げるわけがない。


「――ちょっと待って、跡部。まさかとは思うけど、そのバスローブの下にちゃんと下着はつけてるんだよね」
「は?何でバスローブの下に、そんなもんつけなきゃいけねぇんだよ」
「寛ぎすぎだー!ばかー!」


再び手近なところにあったクッションを掴んで投げつける。
跡部は「あぶねーだろ」と眉を顰めたけれど、さっきと同じく軽々とかわした。
優雅な手つきでシャンパングラスを手にとって――って、足を組むなー!!


「そんなところに突っ立ってねーで、こっちに来て座ったらどうだ」


その余裕な態度がムカつく……!
私はどうしても差し出されたグラスを手に取ることが出来ない。
何で私一人でこんな意識してるんだろう。
……そうだ、忍足が変なメールを送って来るのが悪いんだ。


今頃皆でスパとか楽しんでいるに違いない忍足の小憎らしい顔を思い浮かべて歯ぎしりしていると、跡部がソファから立ち上がった。
途端ビクリと跳ねる私の心臓。
く……いつもなら、どんなに破天荒なことしても、今さら跡部の行動になんか一々反応しないのにっ!
自分で自分にそうツッコミを入れるけれど、体は跡部から離れるようにじりじりと後ろへ下がってしまう。
そんな私を見て、何かに気づいたように、にやりと底意地の悪い笑みを見せる跡部。


「さっきから何赤い顔してんだ?あん?」
「あっ赤くなんかなってないよ!」
「妙に挙動不審だし。……ああ、挙動不審なのはいつものことか」
「どういう意味よっ!」


虚勢は張ってみるけれど、近づいて来る跡部から後ずさりながらじゃ、全然迫力ない。
必死に睨むように見上げる私と、余裕っぽい笑みを浮かべる跡部。


「――お前、俺に襲って欲しいのか?」
「はっ……はぁっ!?――って、わっ!」


跡部の台詞に動揺して、私の足がもつれる。
後ろに倒れ込んだら、お約束みたいにベッドの上。
にやり、と、更に意地悪そうな笑みを深くして、跡部がゆっくりと近づいて来る。


「積極的じゃねーの」
「ちっ……ちがうっ!断じてちがう!そんなんじゃないっっ!」


慌てて起き上がろうとしたけれど、跡部が上に覆いかぶさる方が早かった。
わっ……わーっ!バスローブはだける!つーか、はだけてる!!


「よっ、酔ってるの?跡部っ!!」
「あーん?酒も飲んでねぇのに酔っ払うわけねぇだろ」


跡部の顔が近付いて来る。
その顔はある意味殺人的だ。
いい加減慣れて来たとは言っても、ドアップはやばい。
はだけたバスローブから見える胸板だって、別にいつも着替えをしているところに居合わせてるんだから見慣れてるけど――
目をぎゅっと瞑ったら、今度は跡部の匂いがした。
ああ、もうっ!どうしたらいいの!?


「――さっき、忍足からメールがあったんだよな」
「え……?」


恐る恐る目を開けると、やっぱりまだすぐ近くに跡部の顔がある。
慌てて目を逸らそうとしたけれど、顎を掴まれてそれを許してくれなかった。


「据え膳食わぬは男の恥だとさ。親友の意見は素直に聞くべきだと思わねぇか?」


ちょっとー!
あの男、何言っちゃってんの!?
つか、あんたも変な手付きで人の顔撫でない!
ボタン外そうとしないーっっ!


「普段は人の意見なんか聞かないクセに、こんな時ばっかり素直に聞かないでよー!」


抵抗しようとしたら、跡部の格好が更に乱れた。
ぎゃあ!
どうしていいか分からなくて、とりあえず目を瞑ったまま足をバタつかせる。
そんな私の上から呆れたようなため息と、小さな笑い声。


「そこまで俺とやるのが嫌か」
「そっ、そうじゃないけど――」
「へぇ。嫌じゃねぇのか」
「いっ、いやっ、そうじゃなくなくないけどっ!!」


もう自分で何言ってるのか分からない。
顔を真っ赤にして叫ぶと、今度は可笑しそうな笑い声。
そして、ぽんぽんと私の頭を撫でる手。


「冗談だ」
「え――」
「そんなガッカリした顔すんなよ」
「してないっ!」


私の上から体を起こして、バスローブを元に戻す。
ついでに私のパジャマの裾も綺麗に整えてくれた。


「まあ、あの馬鹿からメールが来たのは本当だけどな」


そう言ってソファに座りなおす跡部。
忍足め……絶対私たちで遊んでるに違いない。
明日会ったらただじゃおかないんだからっ!
復讐の決意を新たにしていると、また跡部が呆れたように笑った。


「問題なのは、素っ裸のてめぇを見ても欲情しねぇとこだよな」
「またそこに戻るの!?」
「しょうがねぇだろ、事実なんだから」


私の裸なんか見たことないくせにっ!
グラスを呷る跡部に、私はまたクッションを投げつけた。
ふりだしに戻る。
でも跡部はそれをかわさず、空いていた右手で受け止めた。


「――急ぐことでもねぇだろ」


そう言って笑みを浮かべて。


「とりあえず、今はお前が俺の側にいればいい」
「え――」
「もう少し胸が大きくなったら襲ってやるよ」
「はっ!?」
「ああ、でも一生そのままかもな」


高笑いする跡部。
何だかすごく大事なことを言われたような気がしたけれど――まあいいか。
私はこの部屋で一番大きいクッションを投げつけた。