haggard 1




さ、さっきの問題分かってたよね」


日直当番だったが、放課後に残って日誌を付けていると、不二が掃除を終えて教室に戻って来た。
二人は殆ど会話なんかしたことがなかったから、このときも挨拶だけで不二の方がすぐに部活へ向かうと思われた。
けど、の側へ来て、この台詞。
一瞬何のことか分からなくて、隣りに立っていた不二を見上げ、首を傾げる。


「……え?」
「さっきの国語の授業。先生の出した問題に誰も手を挙げなかったじゃない?でも、は分かってたよね」


何のことを言っているのかは分かったけれど、何故いきなりそんなことを言い出すのかは相変わらず分からなくて戸惑う。


って、いつもそうだね」


でも、その声に好意は含まれていないって言うのは分かった。
今まで聞いたことのないような冷たい声。
顔はいつものように優しそうに笑っているけど、逆にそのアンバランスさがの不安を掻き立てる。


「ちょっと待って。何を言ってるのか分からないよ」
「分からなくないだろ?、さっきの問題分かってたのに手を挙げなかったよね?」
「そう……だけど……」


確かに。
本当は分かった問題だったけれど、何となくタイミングを逃して手を挙げなかった。
さっきの授業だけじゃない。
は何となく「タイミングを逃す」ことが多くて分かっていても手を挙げないことが多かった。
大概彼女以外の人がちゃんと答えてくれるし、たとえ手を挙げた人が一人もいなくても―――別に授業が止まるわけじゃない。
別にそれで誰かに迷惑かけてるわけじゃない。
いつもそう自分を言い聞かせてた。


のそう言うところ。すごく、不愉快だよ」


あからさまな嘲笑。
あからさまな―――敵意。
何故急に不二くんにそんなものを向けられるのか全然理解できないまま、は表情を凍りつかせた。








バサバサと大きな音と共に、の足元に紙が散らばる。
クラスの皆から集めた国語のプリント。
今日は日直でもないのに先生に直接「頼むよ」と言われてしまい、が集めて職員室へ持っていくところだった。


「あー・・・・・・」


我ながら、あまりに豪快な散乱振りに思わずそんな声が漏れる。
そして前屈みになりながらプリントを拾い集め、何をやってるんだろうと、ため息も漏れる。
昨日の放課後から、どうも心ここにあらずと言った状況だ。
原因は考えるまでもない、不二の台詞。


思った以上のダメージだった。
少なからず好意を抱いていた人物に、あからさまな不快感を表されればそれも仕方ないだろう。
自分の欠点らしき箇所を指摘され、「直した方がいい」と言われたなら、まだ前向きに考えられたかもしれない。
けれど―――


不愉快だよ


そんな風に言い放たれてしまうと、何だか、狭い狭い檻に閉じ込められてしまった気分になる。
これもやっぱり自分への言い訳だろうか。
そしてまた気分が暗くなる。


「あれー?大丈夫?


のろのろとプリントを拾っていると、同じクラスの菊丸が通りかかった。
目の前の惨劇を見て、ピョコンとしゃがみ込み一緒になって拾ってくれる。
けれどその拾い方が豪快で、の手に渡されたプリントはしわくちゃになっててちょっと苦笑い。


「ありがとう、菊丸くん」
「どーいたしまして!大変だねー、日直でもないのに」


彼の明るい声と笑顔に、にも自然と笑みが零れる。
でも逆に菊丸の方はちょっと眉間にしわを寄せた。


「何か、今日のおかしくない?」
「え?」
「何となく、元気なく見える」


そう言って難しそうな顔をしたまま下から覗き込んでくる菊丸に、は思わず後ずさる。
そんな誰にでも分かってしまうくらいにあからさまだっただろうかと言う驚きと、不意に近くなった彼との距離に。


「・・・・・・そんなことないよ」
「そう?ならいいけど!」


一瞬だけ、「本当に?」と言う感じで訝しげな目をしたけれど、すぐに明るい笑顔に戻る。
そしての頭をぽんぽんと撫でた。
小さい子にやるように。
クラスメイトからそんな風に接せられることなんて今までなかったは、また戸惑う。


「悩み事とかあったら言えよ?俺じゃああんまり頼りにならないかもしれないけどさ!」


普段そんなに親しく話したことなんてないはずなのに、何で今日に限って菊丸はこんなに優しいのだろう。
ありがとう、大丈夫。
そう言って笑おうと思ったのに、その目から涙が零れてしまう。


「えっ!!?」
「ご、ごめん、何でもないのっ」


思いがけない優しさに涙腺が緩んでしまったのかもしれない。
後でそんなことを冷静に考えたけれど、そのときは自身も驚いてしまって、涙も拭わずにとにかく逃げるように走り出した。
廊下に取り残された菊丸。


「何でもないわけないじゃん・・・・・・」


もう姿の見えなくなった彼女に向かって呟くように言う。
まさかその原因が、すぐ隣りに立っている人物にあるなんて思いもよらずに。


「何が何でもなくないの?英二」
「わ、わーっ!不二!?いつからそこにいたの!?」
「いつって・・・・・・今来たところだけど。どうかした?」


にこにこと温和な笑みを浮かべて首を傾げる不二。


「さっき、と一緒にいたみたいだけど?」


そう続けたときの笑みも何も変わらなく見えたから、菊丸も特に何も気にせずに続けた。


「うん。何かさー、今日のっておかしいと思わない?」
「・・・・・・そう?特にいつもと変わらないように見えるけど」
「うーん、そうなんだけどさー、そんな変わらないんだけどさー、でもやっぱりちょっと違う」
「何、それ?」


不二がクスクスと小さく笑うけど、さすがに今泣いていたし、とは言えず菊丸は黙りこむ。
そんな彼を見て、不二は口元から笑みを消した。


「―――英二ってさ、よく、のことを見てない?」
「えっ、そう!?そんなことないよ!」


その指摘に自分が動揺してしまって、その時の不二に表情の変化には気づかない菊丸。
ぶるぶると何度も大きく首を横に振る様が、あからさまに「図星です」と言っていることにも気付かない。


「英二ってみたいなタイプが好きだったんだ」


そう言う口元が嘲りに歪むことを抑えきれない不二。
けれどそんな小さな表情など菊丸の目には止まらない。
だから違うって!
真っ赤な顔で、力いっぱい否定するだけ。


「たださ、何か、ってほっとけないタイプじゃない?」
「……そう?どっちかというと、しっかりしている方なんじゃないの?」


不二は一般的な評価を口にする。
はどちらかと言うと落ち着いて見えて、教師からも信頼は厚い。クラスメイトからも頼られる方だ。
けれど菊丸はその不二の台詞に納得いかないように首を傾げた。


「うーん……でもさ、いつも笑ってるじゃん?ムカついた顔とか、つらそうな顔って見たことないんだよね。だからさ、結構無理してるんじゃないかって思って」


菊丸のその言葉に、不二は一瞬だけ目を見開く。
まさかこんな身近に、自分と同じように思っている人間がいたなんて。
ぎゅっと拳を握る。


「やっぱり―――のこと、よく見てるんじゃないか」
「だっだから違うって!そうじゃないんだよ!えーと、何て言うか……」


腕組みして、うんうんと大げさなくらい唸る菊丸。
暫くして、何か答えを見出したのか、ぱっと明るい顔を上げた。
そして不二を指差す。


って、不二に似てるんだ」