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さーん、切原くんが来ましたよ」


入口の襖が開いて、嬉しそうにちょっとはしゃいだ後輩の女の子が二人顔を現した。
初めて彼がこの着付部の和室に来た時は、他の女の子たちもキャアキャアと悲鳴を上げて大変だったけれど、最近は慣れたものだ。
は綺麗に畳んだ和服を仕舞う手を止めて開いた襖の方を見ると、彼女たちの後ろからヒョコリと顔を出す切原。


!買い出し付き合えよ!」
「え、今日もまさかじゃんけん負けたの?」
「うるせーな」


彼女の都合などお構いなしに「早く来いよ!」などと大声を上げる。
けれど決してこの部屋の中に入って来ないのは「女の園」みたいな空間に抵抗があるのか、それとも単に靴を脱ぐのが面倒なのか。
隣りで一緒に片づけをしていた子が「後はやっておくから、行って来なよ」と笑って言ってくれたので、は申し訳なく思いながらもゆっくり立ち上がった。


「じゃあ、皆の分も買って来るね」
「はいはーい、ごゆっくり」


ニコニコと手を振る皆に苦笑を浮かべながら、は靴を履く。
普段、クラスなどで切原とお喋りをしていたりすると、時折女子生徒の冷たい視線やあまり楽しくない嫌味を浴びたりすることがあるが、部活の仲間はいつも気味悪い位に二人を温かい目で見守っている。
さっき、後はやっておくと言ってくれた子なんかは、「切原くんってカッコいいけど、ちょっと怖いから近寄りがたいでしょ?でもがいるおかげで少しお近付きになれた気がするんだよ」などと言っていた。
がその話を聞いた時は、そんなもんかななどと首を傾げたが。
確かによく見ればカッコいいと思うが、特に今まで怖いと思ったことはない。
テニスの試合をしている時は特に怖いのだと言う話を周りから聞いたことはあったけれど、幸か不幸か彼女はまだ一度も彼のテニスを見に行ったことがない。
また、今年の春の同じクラスになってからは、彼の方からちょくちょくに話し掛けて来るので、近寄りがたいと思うこともなかった。


廊下に出ると、腕組みをして偉そうな格好をしている切原が「遅い!」とまた大声で言う。
咄嗟に「ごめん、ごめん」と言ってしまうが、何となく納得いかない。


「早くしねーと、先輩たちにシメられんだからな!」
「それなら一人で買いに行けばいいのに」


ボソリと言ったの台詞はあっさりと無視された。
「ほら、早くしろよ!」と切原がの手を掴んでぐいぐいと引っ張る。
引き摺られるように歩くと、どことなく嬉しそうな顔の切原。
部活の途中のせいか、切原の手は少し汗ばんでヒヤリとする。
土曜日の午後で、廊下の開いた窓からは野球部かどこかの掛け声が聞こえて来るけれど、校舎内にはあまり人が残っていないのか、とても静かだった。


「あっちぃー。あんなキツい練習の後にジュース買って来いなんて、あの人たち鬼だよ、オニ!」


彼が初めてのいる部室に来たのは、夏休みの終わり。
発表会の準備のために毎日のように学校に来ていたら、たまたま同じく部活のために登校していた切原に会って。
部活の休憩時間に、じゃんけんに負けたからアイスを買いに行かなきゃいけないから付き合えと、部室までやって来た。
その時は他の着付部の女の子も突然の訪問者に大はしゃぎだったが、それから夏休みは毎日のように、二学期が始まっても土日は必ずと言っていいほど現れるようになったので、皆も「あ、また来た」位にしか思わなくなってしまったようだ。


ユニフォームの胸元辺りを手でパタパタと扇ぐ。
暑い暑いと連呼しながら舌を出して。
そんな子供っぽい仕草に、何故かは一瞬意識してしまって憎まれ口を叩く。


「わ!汗臭いよ、切原くん!」
「ええっ!?そ、そうか?」


の言葉に、切原は慌てて袖口に鼻を当ててスンスンと嗅ぐ。
別にその汗臭さも嫌ではなかったのだけど、恥ずかしくってそんなことは言えない。
眉間に皺を寄せて真剣な表情で匂いを嗅ぐ切原の様子に、照れ隠しで、あははと声を出して笑った。


「いいんだよ!青春の証しだろ!」
「あ、開き直った」
「じゃあ、お前はどうなんだよ!」


切原はまだ掴んだままだった彼女の腕をグイと引き寄せて、その首筋に顔を寄せた。
彼とそんなに接近したことも、そんな所に人の顔が近づけられたこともなくて、動揺して咄嗟に逃げ出す
でも手を放すことは許さない。


「くそー、いい匂いしかしねぇ」


舌打ちしながらそんな台詞。
「何よ、それ」と苦笑しながら、内心ホッとする。
自分の心臓を落ち着けるのに精いっぱいで、切原の赤い顔は目に入っていなかった。








向かったのは、学校に一番近いコンビニ。
最近、二人で毎週のように来ては、ジュースやアイスを買っている。
そのせいか、でもテニス部のレギュラーの先輩たちが各々どんなドリンクをよく飲むのか覚えてしまった。
切原の持つカゴに、が何も聞かずにポイポイとジュースを入れて行く。
それを若干面白くなさそうな表情で見る切原。


「――あれ?今日は違うジュースだった?」
「そうじゃねぇけど。……何で先輩たちの好みまで覚えてんだよ」
「そりゃあ、こうしょっちゅう一緒に買いに来てたら覚えるよ。切原くんは、これでしょ?」


そう言って、彼がよく買うスポーツドリンクを棚から取り出す。
「俺のだけ覚えてればいいのに」と呟いた声はあまりにも小さくて、彼女の耳には届かなかった。
は一緒に自分の部の分のペットボトルも取り出して、切原に持たせる。
一通り選び終わり、切原がレジに行こうとすると、が「あ、ちょっと待って」と引き止めた。


「何だよ?」


怪訝な顔をする彼をそのままに、はアイスの売り場へ行き扉を開けて迷わず一つを取り出した。
それは最近発売されたばかりのハーゲンダッツのアイス。


「うわっ、お前リッチだな」
「違うよー、これは切原くんの分」
「へ?」
「先週買いに来た時、これ一度食べてみたいって言ってたでしょ」
「は?」


ポカンと口を開いたままの切原の背中を押して、「ほら早く!アイス溶けちゃうよ!」とは彼をレジへと向かわせる。
まだよく分からない切原の横で、会計を済ませる彼女。
店を出て、袋からガサガサとさっき買ったアイスを取り出し、彼の前に差し出して笑った。


「お誕生日、おめでと」
「えっ!?」


知っててくれたのかとビックリする切原の前で、は少し困ったような照れたような笑みを浮かべる。


「実はさっき同じ部活の子から聞いたんだ。前もって知ってればもうちょっとちゃんとしたプレゼントとか用意出来たんだけど」
「え……」
「切原くん、さっきから、え、とか、は、とかしか言ってないね。……やっぱりこんなんじゃ嫌かなぁ」
「そっ、そんなことねーよ!すげー嬉しい!」


ちょっとシュンとしたに、切原は慌てて目いっぱい主張する。
今日は自分の誕生日なんだって、何度も彼女に話そうと考えた。
けれど「ふーん」と適当に流されたりしたらどうしようか、なんて余計なことを考え出したら言い出せなかった。
いつもはそんなこと、考えつきもしないのに。
だから――まさかにこうやって「おめでとう」と言って貰えるとは思わなくて、ちょっと、感動で涙ぐみそうになる。


「よかった。じゃあ、学校に戻ったら食べてね」
「えっ――」


食わせてくれるんじゃないの?
思わず口から漏れそうになった言葉を慌てて仕舞い込みながらも、納得行かずに「あー」とか「うー」とか唸る切原。


「んな悠長なこと言ってたら溶けちまうよ!」
「え?でも、いっつもアイスの買い出しにだって行ってるじゃない」
「いや、それは……そ、そうだ!戻ってから食ってたら、全部丸井先輩に食われちまうよ!あの人食いもんに関してはホント容赦ねーし」
「いいじゃん、少しくらい分けてあげても」
「お前は知らねーからそんなこと言えるんだよ!少しじゃなくて、全部取られるっつーの!!」


あながちそれは嘘ではない。
と言うか、ほぼ確実にそうなるだろう。
切羽詰まった切原の様子に、は「大変だねぇ」なんて暢気に笑う。


「でも早く戻らないと先輩たちにシメられるなら、その辺に座って食べるって無理だよね」
「歩きながら食えばいいじゃん」
「うん、そっか」


頷きながら、は切原の手元に手を伸ばす。
一瞬触れる彼女の指。
その感触に動揺した切原は、「な、何だよ!?」と乱暴な口調で叫んでしまった。
さっきは自分から彼女の手を握っておきながら、彼女の方から自分に触れると緊張してしまうらしい。


「だって、手が塞がってたら食べられないでしょ。ジュースは私が持つから」
「ばーか!こんな重いモンお前に持たせられるかよ!」


彼女の手を避けて、ザッと後ろに退く切原。
何だよ、そう言う時は「私が食べさせてあげる」って言うもんだろ!
何の焦らしプレイだよ!
じゃあどうするのよ、と不満顔のに、心の中でツッコミ。


「お前の手は両方空いてるだろ?」
「ん?うん、だから私がジュース持てば――」
「そうじゃなくて!お、お前が!食わせてくれればいいじゃん!」
「え?あ、ああ……そ、そっか」


照れ隠しに切原がギンッと睨めば、戸惑ったように少し赤くなる
そして眉尻を下げて笑う彼女から出て来た台詞に、切原は何となく泣きたくなる。


「何だか、おじいちゃんの介護みたいだね」
「……それ、ちょっと違くね?」


あはは、なんて笑いながらも、はアイスのカップを開ける。
「うわー、美味しそう!」と小さくはしゃぎながら、プラスチックのスプーンで一掬い。
隣りでゴクリと喉を鳴らすのは、新発売のアイスの味を想像してか、それともに食べさせてもらうことを思ってか。
そんな彼を見て、ちょっと意地悪をしたくなったは、そのスプーンを少しだけ上に上げて――自分の口の中に入れてしまった。
途端に起こる大抗議。


「えーっ!!」
「あはは、ごめん、ごめん。つい美味しそうで」
「おま……っ、サイテー!それ、俺への誕生日プレゼントじゃなかったのかよ!」
「まあまあ、一口位いいじゃない」
「最初の一口じゃねーか!」
「心が狭いなぁ、切原くんは」
「お前が言うか!」


噛み付いてきそうな切原に、大げさだなぁと暢気に言いながら、またアイスを掬う。
今度は先に食べられてなるものか、と、そのスプーンを持った彼女の手を、空いていた方の手で掴んで自分の方へ引き寄せた。
口の中に冷たくて甘い味が広がる。


「そんなに慌てなくても、ちゃんとあげるって」
「お前の言うことなんて当てになんねー」


憎らしげなことを吐きながらも、その甘さに口元が緩むのを抑えられない。
すごく甘くて美味しく感じるのは、ただ単にこの新商品の味がそうだからなんだろうか。


「うめー!」
「うんうん、美味しいね!」


そう言いながら、はまた掬って彼に手を掴まれる前に、パクリと自分の口へ。
目を丸くする切原。
つーか、お前、それ、間接キスしてんだけど!
いや、その前に俺もしたけどさぁ!
急にの口元を意識してしまう切原に対して、彼女の方は変わらない調子で笑う。


「私、この上のペーストが好き」
「ふ、ふーん」
「あ、下の方にパイ生地がある」


宝物でも発見したかのように嬉しそうにニコニコしながら、そのパイ生地部分をサクサクとスプーンで砕く。
そして真ん中のアイスと一緒に掬って「はい、あーん」なんて言って切原の口の前へ。
これ見て介護みたい、なんて言うヤツ、普通いねぇよなー。
あーん、と口を開きながら、ふとさっき彼女の言った台詞を思い出して、やれやれと思ってしまう切原。
スプーンをペロリと舐める。
口からそれを引き抜く時にもちょっと赤い舌が見えて、は一瞬鼓動が跳ねたけれど、そんな自分に気付かないふり。
またスプーンに大きな一口を掬う。


「……ちょっと待て。それは自分の分とか言うんじゃねーよな」
「え、ええっ?」


別に彼女は図星を指されて動揺したわけじゃなかったのだけど、勘違いした切原は、そうはさせるかと、そのスプーンを自分の口の中へ。
あまりに大きな一口だったので、口の周りにちょっとアイスが付いてしまい、それをペロリと舌で舐める。
またドキドキするだが、そんな彼女に気付かずに「へっへー」なんて勝ち誇った笑い。


「じゃあ、今度は俺が食べさせてやるよ」


そう言って、今度は切原がの手からスプーンを奪い、アイスを一口掬う。
そして彼女の口の前まで持って行き「ほら、あーんて、してみ?」とか言って、何だか企むような笑い。
う、うーん、やっぱりこれは介護、じゃ、ないかも……。
今頃気づいて、だんだんと顔が熱くなる
けれど、意識しないようにと切原の目を見ずに、彼の差し出すスプーンを口の中に入れた。
さっきまですごく美味しく感じていたのに、この一口はあまり味が分からない。
やっぱりこの一口も彼女には大きかったようで、口の端にアイスが付く。
きっと、いつもなら切原と同じように舐め取ってしまったと思うけれど、何だか妙に意識してしまい、彼女はポケットからハンカチを取り出した。


「えっ、勿体ねー!」


それを見た切原が咄嗟に手を伸ばし、親指でグイとその口の端を拭ってしまう。
も、勿体ないって言ったからには、これをジャージで拭くとかしたらおかしいよな!
切原はそう自分で言い訳しながら、何てことないと言う様子を装ってその親指に付いたアイスを舐め取った。


「ど……どれだけ貧乏性なのっ?」


一瞬の出来事。
意識してはいけないと思えば思うほど心臓の音がおかしくなって、でも何とか、気にしていないと言うことを主張したくて。
は何とかそんな台詞を口にする。
でもその耳は真っ赤になっていて――それが怒りのためじゃないと言うことに気が付いた切原は、また得意げに笑った。
そんな自分もちょっと顔が赤くなっていることを自覚しながらも。


「うっせー!こんなアイス、次いつ食べられるか分かんねーだろ?」


そして俺だって意識なんかしてないって、わざとらしい主張。
ふん、と大げさに胸を張るこの男が憎らしくて、は残りのアイスを山盛りスプーンに掬って彼の口に放り込んだ。
口の端どころか、唇にべったりとアイスが付いて白くなる切原。


「……お前なぁ!」
「あはは!」


アイスのカップを奪い取るけれど、それはもう空っぽ。
切原が舌打ちすると、また可笑しそうに笑う


「今度、ぜってー仕返ししてやる」


空になったカップはビニール袋の中に放り込み、彼女の手をわざと強くギュッと握る。
「いたた!」と彼女が言うと、ざまーみろとばかりに切原が笑った。


「お前の誕生日に同じコトするからな!」
「ええ?それまで切原くん憶えていられるかな」
「てめー、馬鹿にすんなよ!?」


不貞腐れてジロリと睨んだ時、ちょうど風が吹いて来て、ふわりとの匂い。
あ、やべ、俺今、汗臭いんだっけ。
不意に思い出して体が固まったけど、やっぱり手は放せなくて。


「だから……お前の誕生日も教えろよな」


前を向いたまま、不貞腐れた口調で言う切原の手は、やっぱり少し汗ばんでいて。
でも冷たくて気持ちよくて。


「えーとね……」


も、ちょっとだけ、きゅっと握り返した。