ナツノオワリ




「―――おや、実家に帰ってなかったんですか?」


夕方―――とは言ってもまだ陽が傾く前。
昼過ぎから女子寮の自室で本を読んでいた私は、気分転換にと外へ出た。
そうしたら、男子寮の方から歩いて来る人影。
その微妙な癖のある歩き方に、私は足を止める。
やっぱり、同じクラスの観月くんだった。
台詞の割には驚いていないような目で私を見る。


「妹とかうるさくて、早めにこっちに戻ってきた」
「夏休みくらい妹さんの面倒でも見たらどうですか?」
「余計なお世話デス」


観月くんの台詞には何となくムカつくけど、本当にただ「何となく」なのですぐ忘れる。
私が歩き出すと観月くんも並んで歩き出した。


「どこへ行くんですか?」
「ちょっと散歩。アイスでも買いに」
「暑いからと言って冷たいものばかり食べているとお腹を壊しますよ」
「……何か一言付け加えないと気が済まないよね、観月くんって」
「そんなことありません」


心外だ、とばかりに肩を竦める。
私もやれやれと肩を竦めた。


普段は賑やかな寮の敷地も、さすがに夏休みは静かだ。
運動部の大会も殆ど終わってしまったし、寮に残っている生徒はほんの僅か。
賑やかなのが嫌いなわけじゃないけど、しんとした広い空間に自分の足音だけが聞こえる―――とか、好きだ。


「観月くんは帰ってないの?」
「先週少しだけ帰りましたよ」
「薄情だなぁ」
「滞在期間の少なさがそのまま情の厚さに繋がるとは思いませんけどね」
「はいはい」


観月くんに口で勝とうなんて思っちゃ駄目だ。
私は思い切り伸びをしながら、おざなりな返事をする。
でも、こんなやり取りも、今年が最後かもしれない。
そう思うと、ちょっとだけ寂しい。
ちょっとだけ。


私たちは、寮に一番近いコンビニを通り過ぎ、裏通りを抜けた所にあるお店に入る。
まっすぐアイスの所に行く私に、「本当に買うんですか」と呆れ顔の観月くん。


「じゃあ観月くんは買わないの?」
「買いますよ」
「そう言えば、観月くん、何か別の用事があったんじゃないの?」
「忘れました」


ガリガリ君のコーラ味を取り出す私に「邪道ですね」と言いながら、観月くんはラムネ味を取る。
何だか観月くんにガリガリ君って似合わない。


「……何ですか?」
「何でもない」


つい笑ってしまった私を訝しげに見る。
そして私の手からアイスを取り上げ、すたすたとレジに持って行ってしまう。


「ここは御馳走してあげます」
「じゃあ、明日は私が奢るよ」
「……明日もアイスを食べる気ですか?」


繊細そうな眉を寄せて、会計を済ませたアイスを私に差し出してくる。
私は頷く代わりに笑ってそれを受け取った。






すぐそばに見えた小さな公園。
どちらからともなく足を踏み入れ、奥に一つだけあった古びたベンチに腰を下ろす。
ちょっと寂しげな蝉の声がすぐ上で聞こえる。
この鳴き声は、何て言う蝉だっけ?
そんなことを考えながら、アイスの袋を開ける。


「―――もう、夏も終わりですね」


不意に隣りでそう呟く観月くんの声も、どことなく物悲しい。
私はわざと明るく言った。


「でもまだまだ暑いよ?」
「でももう―――終わりです」


そう言って、少しだけオレンジ色に染まり始めた空を見上げる観月くん。
去年の秋に編入してきて、ずっと、この夏のために頑張って来た、彼。
もちろん全部を見てきたわけじゃないけれど、テニス部のために、すごく、すごく頑張っていたのを知ってる。
その夏が終わる―――。


「また夏は来る」


観月くんにとって、それがどんなことなのか。
私にはうまく想像出来なくて、無神経かもしれない、と思いながらもこんな台詞を吐いた。
また怒られるかな……と思ったのに、隣りの観月くんはちょっと目を細めただけ。


「そうですねぇ」


しかもそんな意外な言葉まで呟きながら。


「観月くんは……高校はこのまま進むの?」
「その予定ですよ。こんな志半ばなままで引き下がるのは悔しいですからね」
「じゃあ、高校でもテニス続けるんだ」
さんはどうするんですか?」
「……うーん、どうしようなかぁ……」


実際、私は迷っていた。
別に部活動でいい成績を残せたわけじゃないし、勉強も―――この観月くんには負けてばかりだし。
この学校は好きだし、友達ももちろん大好きだけど、このままいていいのかなぁと、漠然と思っていた。


「ライバルが減るのは困りますね」
「ライバル?」
「そうですよ。試験ではいつもあなたに抜かれるんじゃないかと冷や冷やです」
「うそ」
「こんな嘘をついて、何か僕に得があるんですか?」


前髪をいじりながら、私をチラと見る。


「まあでも……遠距離恋愛と言うのも悪くないでしょう」
「―――は?」
「『は?』じゃありません」


観月くんの眉間に皺が寄る。
でも皺を寄せたいのは私の方だと思うんだけど……。


「遠距離……って誰が?」
「今、あなたの話をしていたと思うんですが?」
「誰と?」
「ここで僕以外に誰がいるんですか?」


何変な顔をしているんですか―――って、そりゃ、変な顔にならない方がおかしいと思う。


「本当に鈍感な人ですね」
「ど、鈍感て……」
「部活も引退して用もないのに、普通、寮に残ってるわけないでしょう」
「……私、残ってるけど」
「あなたは特殊です」


即答の観月くんに私は反論する気力がなくなる。
食べ終わったアイスの棒を丁寧に袋に入れて立ち上がる彼。
そして差し出された手を、思わず反射的に取ってしまう。
ひんやりとした、繊細そうでいて、実は大きな手。


「明日はが御馳走してくれるんですよね?」
「ん、まぁね」


あまりに自然だったから、呼び方が変わってることに暫く気付かなかった。


「ではその次の日は僕が紅茶を淹れてあげましょう。その次の日はの番」
「夏休み終わっちゃうね」
「でもまたすぐ夏は来ます」


そうでしょう?
くすっと笑う観月くん。


「そしてまたすぐ次の夏が来る?」
「分かっているじゃないですか」


私も立ち上がる。


「遠くにいても、近くにいても、夏は来ますよ」


そうだね。
私は観月くんの手を少しだけ強く、握った。