クリスマス -向日-




「クリスマスケーキはいかがですかー?」

目の前の通りを足早に去ろうとするサラリーマンをターゲットに、は声を張り上げる。
にっこり笑顔も付けてみたけれど、その男はチラと横目にこちらを見ただけで、その歩くペースを緩めることなく行ってしまった。
残念。

切り替え早く、駅の方から歩いて来る家族連れにターゲットを変更。
しかしよく見れば子供の手には既にケーキの箱らしき物が。

そうだよなぁ、もうこんな時間じゃ、皆買ってるよなぁ。
は腕時計に視線を落とし、ふぅと小さく息を吐く。
土曜日の夜7時と言えば、ファミリークリスマスならもう家でケーキのロウソクを消している頃だろうし、恋人どうしなら、家やレストランに落ち着いてこれから盛り上がろうって時間だろう。

因みに、父親が洋菓子店を経営しているの家では、クリスマスはあってないようなもの。
今日のように彼女自身が手伝いにかり出されることは稀だが、一ヶ月前位から両親ともに忙しくなり気が付いたらいつの間にか終わっている。
小さい頃は駄々をこねて困らせたこともあった気がするが、さすがに小学校の高学年に上がる頃には諦めた。
クリスマスの朝にはいつも枕元にプレゼントが置いてあるので、両親は両親なりに頑張っているのだ。

時折吹く冷たい北風に腕をさすりながら、は周囲を見渡す。
こんな小さな商店街の通りでは、これから人通りが増えるとは考えにくい。
頃合いを見計らって貼っていいと言われている、半額の貼り紙。
そろそろこれを発動してもいいのではないだろうか。

ケーキはあと3個。
多いような多くないような。
よし。貼ってしまおう。
は小さく頷き、ケーキを乗せている台の裏から貼り紙とテープを取り出す。
そしていざそれを貼り付けようと思った時「あれ?何だよ」と聞きなれた声が聞こえてきた。

「今年はお前が売ってんの?」
「岳人!」

振り返ると、大きな紙袋を手にした幼なじみの姿。
大きな目をいっそう大きく見開いて、の方へ駆け寄ってきた。

「めずらしいじゃん」
「今日入ってたバイトの人がインフルエンザになっちゃったんだって」
「うわ、マジかよ、ついてねーな」
「だよね、クリスマスにインフルエンザなんてさ」

向日の言葉に同意しつつが深いため息を吐き出すと、一瞬、向日はキョトンとした顔をした。
それから「そうじゃねーって」と苦笑い。

「まあ、らしいよな」
「何が?」
「何でもねーよ!で?あと何個残ってんの?」

台の裏側を覗き込む向日。
しかしもうそこにはケーキはなく、残っているのは台の上に乗っている分だけだ。
は、このクリスマスの為に作られたケーキ用の赤い箱を軽くぽんぽんと叩く。

「3個だよ」
「あと一息じゃん」
「そう、あと一息なんだけどねー……もう、30分近く3個のままなんだ。で、そろそろ半額にしてもいいかなぁって思ってたとこ」
「半額ぅ!?お前んちのケーキが半額なら俺が欲しいぜ」
「岳人んちは、おばさんが午前中に買いに来てくれたよ」
「いや、2個ぐらい余裕でいける」
「岳人、ブタさんになっちゃうよ」

同じ幼なじみの一人である芥川の方がケーキが大好きなイメージがあるが、実は向日も結構甘いものを食べる。
量的には向日の方が多いかもしれない。
その割には全然太らないのは部活をやっているせいなのか、はいつも羨ましいと思っているが、さすがにケーキ2ホールは食べ過ぎだろう。
が自分の鼻を指で少し押し上げて見せると、向日は口を尖らせながら、小さい声で「……まあ、らしいよな」とまた呟いた。
が、次の瞬間には持っていた袋を脇に置き、「よしっ」と気合いを入れる。

「じゃあ、ちゃっちゃと売っちまおうぜ!」
「え、岳人、手伝ってくれるの?」
「何だよ?悪いかよ?」
「そうじゃないけど!……どこか行く予定だったんじゃない?」

がその脇に置かれた大きな袋を見ると、向日は「ああ、気にすんなって」と言いながら彼女の持っていた貼り紙をヒョイと取り上げた。
そして手際よく貼り付けると、ぱんぱんと手を叩く。

「部活の連中と集まってクリスマスパーティーがあんだけどさ、200人もいんだから1人位遅れてったって問題ねーって」
「200人も集まるの!?すごいね、学校でやるの?」
「いんや、部長んち」

何てことないようにそう言った後、向日はすうと息を吸い込み「いらっしゃいませー!」と商店街中に届くのではないかというくらいの元気な声を張り上げた。
通り過ぎて行こうとする人々がびっくりして振り返るのを見ながら、も慌てて「クリスマスケーキ半額ですっ」と隣りで叫ぶ。
すると何人かが立ち止まり、ちょっと年配のお父さんが1個買ってくれた。
「ありがとうございましたー!」と二人で元気よく笑って言うと、その男性は何処となく照れくさそうに小さく頭を下げ、いそいそと去って行く。
岳人すごいなぁ!
こう着状態と思っていたのに彼が入った途端いきなりケーキが売れて、目を丸くする

「ありがとう、岳人」
「は?まだ礼言うのは早いだろ!まだ2個残ってるぜ?」

そしてまた大きな声で客を呼び込みながら、向日は自分の首に巻いていたマフラーを解いた。
どうしたんだろうと首を傾げる間もなく、その長いマフラーが今度はの首にぐるぐると巻かれる。
マフラーの上にマフラー。
首の後ろで緩く結んだ後、口まで覆われてもこもこになったを見て笑いながら、「これでよし!」と満足そうな声。
マフラーから伝わって来る向日の体温と、懐かしい匂い。
中学から別々になってしまったこともあって、最近は殆ど会うこともない。
――けど、こう言うところは昔から変わらないんだなぁ。
はちょっと俯くようにして、そのマフラーに鼻まで埋もれさせる。
それからハタと気付き、彼女は自分がもともと巻いていたマフラーを引っ張り出そうとした。

「あっ、お前何してんだよ!」
「だって岳人の方が風邪引いちゃうよ!」
「俺は平気だって!……つーか、お前、ホントに何してんだよ」

向日のマフラーの下から無理やりに引き抜こうと思ったら上手く出せなくて収拾がつかなくなって来た。
それでも強引に端を引っ張ったら首が絞まって「ぐえ」と小さな声を上げてしまった。
呆れ顔を通り越して冷たい視線の向日。
そしていつの間にかそこに立っていた若い女性客のくすくす笑い。
は慌ててそのままの体勢で「いらっしゃいませ!」と頭を下げた。

「よっしゃ!あと1個だな!」
「岳人、もう大丈夫だよ、ほんとにパーティー遅れちゃうよ」

そう言いながら、は向日の首にマフラーを巻き付ける。
「大丈夫だって言ってんのに」とぶつぶつこぼしながらも、向日は大人しくされるがまま。
そして最後にきゅっと結ぶと、一瞬だけ目を細めて肩をすぼめた。

「ほら、やっぱり寒かったんじゃん」
「……っ、ばーか!そうじゃねーよ!」

ぐしゃぐしゃとの髪をかき回し、再び街行く人に元気よく声をかけ始める向日。
は慌てて「大丈夫だから、パーティー行って来なよ!」と彼のコートの裾を引っ張った。

「まだ大丈夫だって」
「でもさ、遅れて怒られちゃったら大変でしょ」
「別に平気だって。それにここでお前放って行く方が亮たちに怒られちまうよ」
「そう言えば、亮やジローは一緒に行かないんだね?」
「あー、亮は後輩と待ち合わせして行くんだと。ジローはプレゼント買うの忘れてて慌てて店に買いに行ってる」

あいつひでーんだぜ?買い忘れてるの気付いた時、俺んち来て乾電池をプレゼント用に包んでくれとか言いやがって。
ケタケタと笑う向日。
確かに彼なら言いそうだ。
もつられて笑う。

残りの1個もそれから間もなく売り終わることが出来た。
最後のお客は老夫婦。
二人を見て「可愛らしい天使のようね」とニコニコと笑う老婦人の方が、には天使に見えた。

「本当にありがとう、岳人!もうダメかと思ってた」
「諦め早いよ、お前!」

ビシッと突っ込みを入れる真似をして、向日は紙袋を手に取る。

「さっきおばあちゃんが天使みたいって言ってたけど、私にも岳人が天使に見えるよ」
「は?天使はお前の方じゃね?」

こともなげにそう言い、よいせ、と荷物を肩にかける。
何固まってんの?っての方を怪訝そうに見て。

「――岳人は岳人だよね」
「え?なに?」
「何でもない!……って、あっ!マフラーマフラー!」

じゃあなーって行ってしまおうとする向日を呼び止め、あたふたとマフラーを外そうとする
けれどすぐに「いいって!」と止める向日の声。

「それ、やるよ」
「えっ」
「代わりにこれもらう。いいだろ!」

そう言いながらの物だったマフラーの端を手で持ち上げる。
「じゃあ、プレゼント交換だね」と照れ隠しに笑ってが言ったら、向日も少し顔を赤くして「お互い使い古しだけどな!」と悪戯っぽく笑った。

「そんじゃ、あと一息、頑張れよ」
「うん」

最後にポンポンとの頭を撫で、あっと言う間にその背中が小さくなって行く。
うーん、天使って言うより、慌てんぼうのサンタ……?
ほんのちょっとの寂しさを感じながら、そんなことを心の中で呟きながらはふふと笑った。

年末の買い出しに出かけたとばったり会った向日が、彼女のマフラーをしていて。
も向日のマフラーをしていて。
一緒にいた芥川に「二人とも気持ちわるーい」と言われながら互いに照れくさそうに笑ったのは、その数日後の話だ。