果たしてそう上手く行くかな
そいつとは、三年で初めて同じクラスになった。
確か去年そいつは滝と同じクラスで、滝に用があった時にチラッとだけ見たことがある。
お嬢さま〜って感じの友達何人かと話して控え目に笑っているその姿は、何て言うかおしとやかな感じで、そう、滝とか鳳が好きそうなタイプ。
ほんのちょっとだけ印象に残る位には可愛かったんだけど、何て言うか、自分とは無縁な子だなぁって思った。
同じクラスになった後もそのイメージは変わらなかった。
たぶん向こうもそう思ってたんじゃないかなぁ。
用がなければ絶対話し掛けて来なかったし。
それがちょっと変わったのは、何度目かの席替えで隣りの席になってからだ。
「よろしくね」
「おう!よろしくな!」
また近くの席だねーって前の席の女子と笑って話した後、俺の方を向いてそいつは笑いかけて来た。
ちょっとビックリした。
いや、そりゃあ隣りになった奴に挨拶するのなんて普通だけどさ。
そいつが俺にそうやって笑いかけるなんて、信じられない光景って言うか――
俺も笑って返したけど、内心すごく焦っていた。
顔赤くなったの……ばれてないよな。
休み時間は、俺はいつもツルんでる連中と下らない話をしてて、そいつは友達の所に行って楽しげに話してる。
結局そんなんで最初は殆ど話す機会はなかったんだけど、ある日、そいつは俺が持っていた羽根の飾りに反応した。
「それ、可愛いね」
「え、そ、そうか?」
その辺にいる女友達だったら「そうだろ」なんて言って自慢げにするはずなのに、俺は突然のことに挙動不審になってしまった。
視線とか泳がせちゃって、カッコ悪い。
ガシガシと頭をかく俺の様子は気にせず、その机の上に出ていた飾りを覗き込むそいつ。
「それって、鳥の羽だよね?大きいね」
「ああ、前に拾ったんだ。珍しい羽根だなーと思って取っといたんだよ」
「え、もしかしてそれって向日くんの手作りなの?」
手作りって程大した手間の掛かっていない代物だ。
羽根にちょっと編み込んだ紐を付けただけ。
でもそいつ――は、嫌味な様子なく「すごいねぇ、器用なんだ」と感心の声を上げた。
「別にそんな大したもんじゃねーよ」
「でもすごいよ、私、そう言う細かい作業って得意じゃないから尊敬する」
「もっとすごいの沢山作ったことあるぜ!今度持って来て見せてやるよ」
「本当?見たい見たい」
見てもいい?と言ってその羽根を手に取って眺める。
俺は機嫌よく続ける。
「って手先器用そうに見えるけどな」
「そう?全然そんなことないよ、だからお裁縫とか苦手で、『もーっ』ってなっちゃう」
「へーっ、ならパパッとやっちゃいそうに見えんのに」
「きっと向日くんの方が上手いよ」
「そりゃねーだろ〜」
信じらんないくらい、会話が弾む。
俺はいつも通りに笑って、もいつものように控え目にだけど笑っていた。
そんな笑顔が俺に向けられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
もっと笑う顔が見たい、もっと話がしたい。
だって、何か、すげー楽しい。
その日俺は家に帰ると速攻で今まで作った羽根飾りを探しまくった。
次の日にに見せてやると「すごい!」と本当に感動したような声をあげた。
「これ、可愛いね」なんて言いながら一つ一つを手に取って眺める。
俺はその笑顔を見て、すごくくすぐったい気分になる。
がこう言うものに興味があるなんて知らなかった。
知ってたら、もっと早くに見せてやればよかったな、なんて思う。
そんな俺の前で、はその中の一つを興味深げに見ていた。
小さい羽根をいくつか繋げて作ったストラップだ。
「それ、気に入ったんならやるよ」
「えっ?」
俺の口からは咄嗟にそんな台詞が出て来た。
それは俺も結構上手く出来たと思っていたヤツで、だから、がそれを分かってくれたみたいで嬉しかったから。
でもは「いいよ、ダメだよ」と慌てて手をパタパタと振ってそれを俺の机の上に戻した。
顔は恥ずかしそうに赤らめている。
「向日くんの大事にしてる物でしょ?貰う訳にはいかないよ!」
「でもほら、こんなにあるしさ。がいらないって言うなら無理にとは言わないけど」
そう言いながら、俺はさっきまでが手にしていたそれを取り上げて、彼女に差し出す。
いらないって言われたらどうしよう。
そんなことを考えてどきどきしながら。
けど、はおずおずと言った様子で手を伸ばして、そのストラップを受け取った。
「――ありがとう、大切にするね」
「お、おう」
「何か、物欲しそうに見ちゃってたのかな、ごめんね」
「そんなことねーって!」
自分がすごくホッとしていることに気づく。
うわ、俺、何してんだよ!
何だか自分で自分が恥ずかしくなって来た。
俺、もしかして、が好きなのかな。
まだ少し顔を赤くしながら、隣りでふわりとした笑みを浮かべるそいつを見ながら、俺はぼんやりとそんなことを思う。
「わー!岳人、何これ?可愛い!」
暫くして、クラスの女子が俺の机の上に広げている物を見てわらわらと集まって来た。
いつもよく俺がダベっている奴ら。
彼女たちが近付いて来て、の顔は笑ったままだったけど、ちょっと緊張したのが分かる。
普段が話すようなタイプじゃないから。
さっきまでの柔らかい笑顔が変わったのを見て、俺は身勝手にもこの空間に入り込んで来た奴らに内心舌打ちをしてしまった。
「えー!もしかしてこれ岳人が作ったの?すごーい!」
何でだろう。
さっきが言った台詞と殆ど変らないはずなのに、俺はあんまり嬉しくなかった。
一度言われて免疫が付いた――って訳じゃないよな?
「これ可愛い〜」と口ぐちに言いながら、それぞれに気に入ったのを手に取って行く。
でも、さっきに向って言った言葉は、口から出て来なかった。
「これ、ちょうだいよ、岳人」
「えっ、だ、だめだ!」
しかもその中の一人の言葉に、俺は思わずそんな風に返してしまった。
きっといつもなら「別にいいぜ」って気軽に言ってるはずなのに、俺はそこにあるものを――がいいって言って触れたものを、他の奴にやりたくないと思ってしまったんだ。
俺、すごく心狭くね?
何か焦ったけど、でも前言撤回する気にはなれなくて、冗談っぽく言ってそれを取り返す。
「お前ら、何か、すぐなくしちまいそうだし」
「ひっどーい!大切にするよー!」
が遠慮がちに、何か言いたげな顔をして俺を見ているのが目に入る。
けど、俺は気付かないふりをして、「ほら、返せ返せ!」と軽い調子で言って皆からそれらを回収した。
お前はいいからって、心の中でに言いながら。
「けちー」とか口を尖らせながら退散して行く奴らに「うるせーよ!」なんて言いながら、俺はチラとの方を見る。
机の上に乗せられた両手は柔らかく握られていて、その端から、さっきのストラップがちょっとだけ見えている。
その小さい手に柔らかく包まれているストラップを見て、俺は、妙に照れくさくなって慌てて目を逸らした。
「……本当にいいの?」
小さい声でが言う。
「いいんだよ!」
俺も同じくらい小さい声でそう言ったら、はまたホワリとした笑みを浮かべた。
好きなのかな、じゃない。
俺、が好きだ。
机に広げていた物をガサガサと乱暴に袋に仕舞いながら、俺は、そんなことを考えていた。
自分の気持ちを自覚したら、次に気になるのは相手の気持ちだ。
は一体俺のことをどう思ってるんだろう。
それから俺はのことを頻繁にチラチラと見るようになってしまった。
たまに目が合うと、はちょっと驚いたような不思議そうな顔をして、そしてフフと小さく笑う。
俺は秘密がばれた子供みたいな気分になって、笑い返すどころじゃなかった。
たぶん、俺のことは嫌いじゃないと思う。
嫌いな奴にはあんな笑顔見せないはずだ。
挨拶だって毎日するし、最近は休み時間もたまに二人で話すことも増えて来た。
あのストラップがの携帯に付けられているのも知ってる。
の話すことは俺の知らないことが多くて、俺の話すことはが知らないことが多くて。
でも全然つまんないって思わなくて、一つ一つのことを知って行っている気がして嬉しかった。
も、きっと、つまんないとは思ってない――はずだ。たぶん。
でもいっつも相手を気にしているのは俺の方だけな気がする。
はただの「隣りの席の奴」って思って接してるんだろうか。
じゃあ、他の男が隣りになっても、同じように話したり笑ったりするんだろうか。
そんなことを考えたら――ムチャクチャ腹が立った。
「何や、岳人。ご機嫌斜めやなぁ」
昼休み、屋上で自分のネガティブな妄想に打ちのめされてたら侑士がニヤニヤ笑いながら近寄って来た。
コンクリートの上にゴロンと横になってた俺は、自分の横にしゃがみ込んだ侑士をジトリと睨む。
けど、次の侑士の台詞に、俺は仰天してガバッと起き上がった。
「さんのことか?」
「なっ、何で知ってんだよ、侑士!」
「あんな分かりやすい態度取ってたら、誰でも分かるわ、あほ」
呆れ顔の侑士。
分かりやすい?まじで?
俺のそんな心の声もバレバレだったのか、侑士はやれやれとため息をついた。
「あんなやらしい目で見られてたら、さんも分かりそうなもんやのになぁ、大した鈍感さんやわ」
「やっ……やらしくねー!」
「まあ岳人もお年頃やから」
言いたい放題言いやがる。
俺は思いっきり睨んだけど、でも正直自信はない。
もしかしたら、そう言う目で見たことがあるかも……しれない。
だって、俺、とそう言うこと、してーもん。
うわ!でもにばれてたら最悪だ!
赤くなったり青くなったりする俺に、侑士は「しゃあないなぁ」と呆れ笑い。
「さんはきっと気付いてへんやろ、岳人がさんを好きってことも、欲情してることも」
「だ、だから、してねーっつーの!……て言うか、やっぱ、って気付いてねーのかな」
「まあ、たぶんなぁ。そんなしょっちゅう見てるわけやないから、よう分からんけど」
侑士はたまに俺のクラスに来ることがある。
大体部活関係の連絡だったり、部活オフの日に遊びの相談するためだったり。
俺が侑士のクラスに行くことの方が圧倒的に多いはずなんだけど――そんな数回の間にバレてたのか……。
もうこうなったら隠す必要もない。
俺は胡坐をかいて、足をゆさゆさと揺する。
「の方はさぁ……どうなんだと思う?」
「さーなぁ?仲良う見えるけど、岳人のこと特別好きかどうかは分からんなぁ」
ニヤニヤと、意地悪い笑み。
あー、やっぱ聞くんじゃなかった。
言った直後にそんな後悔。
俺はガクリと肩を落とす。
「当たって砕けたらえーやんか。そんなウジウジしとんの、岳人らしくないで」
「砕けたくねーっつーの!ったく、他人事だと思って」
「岳人は砕けてなんぼやろ」
「何だよ、それ!」
俺は真剣に悩んでるって言うのに、侑士は可笑しそうに笑ってる。
「思った以上に本気なんやなぁ」って――俺を何だと思ってるんだよ!
「何かこう、いい手はねーかな」
「いい手?」
「だから、その……俺だけ見てもらえるような……」
言ってて恥ずかしくなる。
でもって、そんな俺の態度がまた侑士を喜ばせる。
ククと笑う侑士に悪態をつきながら、俺はまた足をゆらゆらと揺らした。
で、ふと、方法を思いつく。
「――なあ、やっぱさ、俺が一番カッコよく見えんのって、テニスしてる時だよな!」
「自分で言うところがなぁ……。まあそうやないか?」
「じゃあ、一度俺がテニスしてるトコを見てもらうってのが一番よくねえ?」
暫く公式戦はないけど、練習試合とかで、こう、カッコよく勝利する俺を見たりしたらさ、あいつも意識しちゃったりするんじゃねえの?
俺はそんなシーンを想像して、ワクワクする。
けど、目の前の侑士は妙に冷やかな顔。
「果たしてそう上手くいくやろか」
「えっ、な、何だよ」
「まあ――ええんやないか?何かしら進展はあるかもしれんしな」
視線をどこかに向けて、意味ありげな発言と表情。
言いたいことがあるならはっきり言えよ、と口を尖らせてたら、今度は気持ち悪い位の笑みを浮かべて言った。
「ああ、ほなら、確か今日は後半ゲーム形式の練習にするって言ってたやん。見に来るよう誘ってみたらどうや?」
「お、おお!……でも、あいつ、来るかな」
「そこは岳人の腕の見せ所やな」
まあ頑張り。
ポンポンと肩を叩き、侑士はどっかに行っちまった。
一体何しに来たんだよ、侑士。
心の中でそんなことを呟き、俺もヒョイと立ち上がる。
パンパンと制服を叩きながら、どう言ってを誘おうかと考える。
自分で思いついたはいいけど、あいつって別にテニスとか興味なさそうだよな。
普通に「見に来いよ」って言っただけですぐに「うん」って言ってくれんのか?
自然に誘うための上手い理由がないかと頭を捻るけど、そんなもん、俺に思いつくわけがなくって。
あー、どうせなら侑士にも考えてもらえばよかった。
はぁとため息を吐き出し、結局俺は直球勝負で行くことに決めた。
「あのさ、、今日練習見に来ないか?」
「え?」
でもあまりに直球勝負過ぎて、は何のことを言っているのか分からないって感じで最初キョトンとした。
そりゃそうか、だって今まで部活の話なんてしたことがない。
失敗だ!
そう思ったけど後には引けなくて、変なジェスチャーしながら俺は続けた。
「いや、えっと、試合形式の練習があるんだよ!結構面白いからさ、えっと……どうかと思って」
「そうなんだ」
ちょっと戸惑った目で俺を見た後、にこりと笑った。
「うん、じゃあ、ちょっとだけ見に行っちゃおうかな。委員会があるから少し遅くなるけど」
「え!ほんとに!?」
思わず声が弾むのを堪えられない。
もう一度コクリと頷くを見て、俺は我慢出来ずにバタバタと侑士の所へ走って行った。
あいつは「そらよかったなぁ」なんて適当に言いやがったけど。
これはチャンスだ。
俺、絶対今日は勝ってやる。
早く放課後にならないかって、そんなことばっかり考えて、午後の授業なんて全然頭に入って来なかった。
待ちに待った放課後、俺は前半の基礎練からすげー真面目にやって――「一体どうしたんだよ」って宍戸が気味悪そうな目で見やがった、くそ――後半の試合は準レギュラーの奴とシングルスで対戦することになった。
こんな奴相手なら、別に跳ぶまでもなく勝ってやるぜ。
コートに入ってボールをポンポンと地面につく。
ギャラリーの声に、俺は周囲を見渡して見る。けど、の姿は見当たらなかった。
まだ委員会の仕事してんのかな。
そんなことを思いながら、俺は地面についていたボールを今度は空に向って投げた。
結局――俺は、その日の練習が終わるまで、いや、終わっても、を見つけることが出来なかった。
俺がただ単に見つけられなかっただけなのかな。
委員会が長引いたのかも。
急な用事が出来たのかもしんない。
俺は必死に自分を言い聞かせたけど、どうしても落胆の色は隠せなかった。
「何なんですか向日さん、さっきからため息ばっかりついて鬱陶しいですね」
部室で着替えてると、日吉がそう言いながら本当に鬱陶しそうな目で見て来た。
てめー、敬語を使えばいいってもんじゃないんだよ!
「うるせーな!」と睨むと、日吉はフンと鼻を鳴らした。
「そんなことだから、後半立て続けに3ゲームも取られるんですよ」
「何だと!?」
「まあまあ、二人とも」
割って入って来た侑士に、日吉はフイと目を逸らして黙々と帰り支度を再開する。
俺もムカムカがおさまらないまま、ジャージをぐしゃぐしゃとバッグに放り込んだ。
確かに、後半ちょっとやばかったんだけどさ。
あいつが全然来なくって焦るし、もともと対戦した奴はネチッこくてあんまり得意なタイプじゃない。
「確かに、今日の岳人はあんま調子ようなかったなぁ。最初はガンガン攻めてたのに」
「……」
「ただ単にペース配分を間違っただけだろ」
今の今まで一人無関係って顔して着替えてた跡部が、一言そう言って、バタンとロッカーの扉を閉めた。
俺はカッてなったけど侑士が肩を掴んで、「何だよ?」って言ってる間に跡部は「お先」と言ってさっさと出て行ってしまった。
「まあ、そう言うことにしといた方がええやろ」
「何だよ、それ」
「落ち着き、岳人。いろいろ追及されたら困るの自分やないんか?」
その侑士の言葉に、もしかして跡部にも色々ばれちゃってたんじゃないかって、思った。
もちろんこの侑士にも、だ。
俺はまたガクリと肩を落とし、侑士と一緒に部室を出た。
「ほんまに、岳人は分かりやすいなぁ。さんがすぐに帰ってもうたからって」
「――えっ!?」
帰り道、侑士の言った台詞に、俺は目を丸くする。
え?って、見に来てたのか?俺気付かなかったぞ!?
口をパクパクする俺を見て、侑士は何かを察したのか、ふうと息を吐いて困ったような呆れたような顔。
「コートに来たと思ったら、すぐに帰ってたからなぁ」
「え、あいつ、来てたのかよ!?」
「来てたで」
「何ですぐ帰っちまったんだ?」
「さあ、何でやろ」
侑士は首を傾げたけど、でもその表情は何かを知っているようだった。
「別に何も話してへんで。もう帰るんか?とは聞いたけどな」
「そ、それで?は何て答えたんだよ?」
「うん、って」
それだけかよ!
どうせ話しかけたんなら、もうちょっと引きとめておいてくれてもいいじゃねーか。
俺はそんな勝手なことを思う。
「もうちょっと見てやってって言うたけど、ごめんなさい言うて、走って帰ってもうたわ」
「何だよ、それ……ごめんって、何か、用でも出来たのか?」
「んー、まあ、そうやないと思うけど」
また意味深な笑み。
勿体ぶった侑士の態度に俺は焦れたけど、「気になるんなら明日自分で聞き」と言うだけだった。
「ここからが踏ん張りどころやで」
最後にボソリと言った侑士の台詞は、俺にはその意味がよく分からなかった。
とりあえず――明日聞いてみるしかない。
とにかくちょっとは見に来てくれたんだ。
そう思うと、ちょっとだけ慰められた。
「――おはよう」
次の日の朝、俺が朝練を終えて教室に入って行くとはいつものように挨拶してくれたけど、何だかちょっと笑顔がぎこちなかった。
微妙に視線も逸らされた気がする。
すぐに帰っちゃったから気まずいのか?
「昨日来てくれてたんだろ?俺、全然気付かなくってさ」
「あ、うん……ごめんね」
「別に謝ることじゃねーよ!えっと、よかったら、また来てくれよな」
ちょっと緊張しながら、でもなるべくいつもと同じ調子になるように気を付けながら言った。
けど、相変わらずは何だかぎこちないまま。
うんって頷いてくれない。
どうしたんだよって聞こうと思ったとき、の友達が教室に入って来て、はホッとした顔をして立ち上がった。
「あの、ごめんね、それじゃあ……」
「えっ、ああ、うん」
はパタパタとその友達を追いかけて行ってしまう。
その「ごめん」って、何に対する「ごめん」なんだ?
俺は突然のの態度の変化に、妙な胸騒ぎを覚えながら、そいつの後ろ姿を目で追った。
それから、は以前のように、休み時間になると友達のところに行っちまって、殆ど会話をすることがなくなってしまった。
昔に逆戻り、いや、昔より悪い。
だって、かろうじて挨拶はしてくれるけど、全然目を合してくれないし、笑顔もどんどん減って行ってる。
俺、気付かないうちに何かの気に障るようなことしたのか?
悶々としていると、部活後にまた忍足が「最近元気ないなぁ」なんてニヤニヤ笑いながら話し掛けて来た。
「……うるせーな」
「そんなウジウジ考えたりせんで、本人に聞いたらええやん」
「――っ、侑士、お前何か知ってんのかよ!?」
何で俺の考えてることが分かるんだよとか、もうそんな疑問はすっ飛ばして、その侑士の台詞に思わず声を荒げちまった。
だって――この前からそうだったけど、まるでの何かを知っているかのような言い方。
「何も知らんけど、でも大体の想像はつく」
「どんな想像だよ」
「さんはその辺のキャピキャピしたミーハーな子やないし。別にそんな積極的な方でもないやろしな」
「だから。何が想像つくって言うんだよ?」
回りくどい言い方に、俺は苛々する。
けどそんな俺の態度を面白がってるような侑士の顔。
そんでもって、ますます俺は苛々する。悪循環だ。
「まあ――俺らはもうずっとあんなやから慣れてもうたけど、うちの部活、めっちゃギャラリー多いやん?」
「え?」
「特にゲーム形式の練習だったり、他校との練習試合だったりするとその数は倍増や」
「ま、まあ……そうだよな」
確かに、うちの部活は妙にギャラリーが多い。
俺たちが入部するまではそれ程じゃなかったらしいんだけど、入学早々跡部を見に色んな奴らがやって来て、それ以来、練習中に部外者が観客席にいるのは珍しいことじゃなくなった。
その殆どが跡部を見に来てて、あとは、侑士のファンも多い。
中には俺を見に来てる奴もいるってのは知ってる。
たまに俺の名前を呼ぶ声が聞こえるし。
それは日常的で、すごい当たり前のことで、別にもう気にならなくなっていた。
日吉とかはまだ慣れないのか、すごい嫌がるけど。
「結構、知らん奴が見たら、あれは引くと思うで?」
「えっ!?」
じゃあ何だよ、はあのギャラリー見て引いちまったって言うのか?
まさか、自分とは違う――とか何とか思っちまったのかよ?
以前、俺がに思ってたように。
頭の血が、すーって下がって行くのを感じる。
「そんな悲観せんでもええやん」
「って、お前が言うなよ!」
「別に岳人自身に引いたわけやないし」
何でかフォローの台詞がグサリと胸に突き刺さる。
俺自身に――って、絶対ないとは言えないじゃんか。
「それ自体は些細なことやろ」
「どこがだよ?」
「岳人、そんなウジウジ悩んでるとハゲるで?」
「そこで茶化すか!?」
くく、と相変わらずムカつく笑い。
ギリッて睨んでもこいつには全然効果ない。
「言うたやろ、ここが踏ん張りどころやて。こんなトコでカッコつけててもしゃーないで」
「……意味分かんねーよ」
侑士はそれに対して何も返事をせず、一人さっさと先に帰ってしまった。
あいつって、たまにああ言う回りくどい言い方するよな。
アドバイスしてくれるんなら、もっと直接分かりやすいように言ってくれればいいのにさ。
俺は侑士の言葉を反芻しながら、とぼとぼと家路につく。
踏ん張るって……一体何をどうしたらいいんだよ?
次の日も、もちろん昨日と何も変わることなく、はぎこちない感じで挨拶するだけで、話し掛けようとしてもスルリとどこかへ行ってしまう。
俺に対する興味って――には全然ないんだろうか。
そんなことを心の中で思うと、自分でもびっくりするくらい、すんごく悲しくなって来た。
ああ、こんなことなら練習見に来いなんて言わなきゃよかった。
机に突っ伏して、それでも未練がましくの方をチラリと見る。
――で、俺はそいつの手にあった物を見て、反射的にガバッて起き上がった。
が鞄から取り出した携帯――俺の上げたストラップが付いていなかった。
ガタンと言う椅子の音に、は驚いた顔をして俺を見る。
そして、俺の視線が自分の手元に向けられていることに気付いて、気まずそうに目を逸らした。
俺はもう、頭の中がグチャグチャになって、何て言っていいのか分からなかった。
「何で――何でだよ?」
声を出したら、ジワリって目が熱くなった。
ほんのちょっと前に、大切にするって言ったじゃん。
ずっと付けててくれてたじゃんか。
涙が出そうになって、顔を顰める。
「信じ……らんねぇ」
もう泣くのを我慢出来なくなって、俺はその場から慌てて走り去った。
後ろからの呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、立ち止まらず走り続ける。
気が付いたら部室の前まで来てて、俺は涙をゴシゴシと拭いながら中に入った。
すごく暴れたい気分になって――「くそーっ!」って叫んで近くにあった椅子を蹴る。
足の痛みなんか感じなくて、そのままソファに突っ伏して、まるで駄々っ子みたいに足をバタバタさせながら泣きまくった。
悲しいって言うか、悔しいって言うか――寂しいって言うか。
もう、色んな感情がグチャグチャになって押し寄せて来る。
「のバカヤロー!」
手足をバタつかせながらそう叫ぶと、不意にドアをノックする音がした。
ビクリ、と俺は動きを止める。
誰だ?
テニス部の奴なら――レギュラーならって言う条件付きだけど――ノックなんかしないで勝手に入って来るはずだ。
俺はゆっくり起き上がって、近くにあったティッシュで鼻をかんだ。
「……向日くん?」
一瞬耳を疑った。
え、俺、のことばっかり考えてるから、全部の声に聞こえるようになっちゃったのか?
思わずそんな馬鹿なことを考えてしまう。
そうしたら、もう一度ノック音がして――もう一度、の声が聞こえた。
「向日くん、いない?」
もう幻聴でもいいや。
俺は飛び起きて、ドアをカチャリと開ける。
すると、そこには俯いてちょっと戸惑ったような顔をしているの姿。
「?」
自分の出した声が、ビックリするくらい涙声ですげー恥ずかしくなる。
きっと顔も酷いと思う。
とどめに鼻をすする俺。
でも、は顔を上げて俺を見ても、ただ、少し顔を赤くするだけだった。
「あの……あのね、ストラップは……こっちに入れていたの」
そう言って、小さな布の袋を開ける。
その中から出て来たのは、俺の上げた羽根のストラップだった。
「最初、携帯に付けてたんだけど……もし取れちゃったら嫌だなと思って」
「え……ああ……そうだったんだ」
要は俺の早とちりだったってことか。
うわ、それで教室飛び出して、こんな所で大泣きって、俺、馬鹿じゃん!
顔を更に真っ赤にする俺の前で、はまたそのストラップを大事そうに袋に戻す。
その時、始業のベルが遠くから聞こえて来た。
でも、も俺もそこから動こうとしない。
「あの……向日くん、私、話したいことがあるの」
ちょっと震えたような声でそう言ったに、俺はちょっと戸惑いながら、ドアを大きく開いた。
「俺も、話したいことあるんだ」
奥の部屋にあったソファに並んで座る。
俺もも、なかなか口を開こうとしなかった。
部屋はすっげー静かだ。
壁が厚くてしっかり防音されているし、余計な音のするものが部屋になくて。
お互いの呼吸する音まで聞こえてしまいそうだった。
ちょっと姿勢を直すと、ソファの革の音とかがギシギシうるさい。
「――ごめん」
長い沈黙の後、俺は何とかそれだけ口にした。
とにかく、さっきのことは謝ろう、そう思ったから。
はすぐにプルプルと首を横に振る。
「本当は、ちょっと……嬉しかったから」
「えっ?」
「あの……私こそ、ごめんなさい。この前、せっかく誘ってくれたのに、すぐに帰っちゃって」
もちろん、それがあの練習のことだってすぐに分かった。
侑士の話が頭を過ったけど、敢えて触れないようにする。
「いいって!にも、色々用があるよな」
は、そんな俺の台詞に何かを考え込むような表情。
一体、はこれから何を言うんだろうか。
何とか笑顔を作りながら、俺は何か宣告を待つかのような気分だった。
「別に、用事があったわけじゃないの」
「え、ああ、そう……なのか?」
「うん……コートに行ったら、すごく女の子たちが沢山いて、ビックリしちゃった」
「あ、ああ!そうだよな!あいつら、殆ど跡部の追っかけなんだけど、遠慮がねーから」
やっぱり侑士の言った通りなのか。
俺は苦いものを飲み込んだような気分になりながらも、何とか笑って続ける。
すると、は更に考え込むように俯いた。
「……向日くんのファンも、沢山いたよ?」
「ええっ!?そうだったか?」
「うん、皆すごく一生懸命応援してた」
数は圧倒的に少ないはずだけど。
でも確かにちょっとはいたかもしれない、試合ん時、声は聞こえたから。
は、膝の上に置いていた手で、ぎゅっと拳を作る。
「向日くん、テニスもすごく強くって、女の子にも人気があって――すごいんだなって思った」
気が付くのが遅いよね。
そう言って、顔を上げて笑うは、何だかちょっと寂しそうだった。
がどんどん離れて行くような気がして、俺は慌てて否定する。
「べ、別にすごくなんかねーよ!そりゃ……テニスはちょっと自信あるけどさ!別に、俺、と何も変わんねーよ!」
俺が力いっぱいそう言うと、俺の意志に反して、はポロポロと泣き始めてしまった。
えー!何でだよ!?
「ごめん……向日くんがそうやって接してくれるから、私、勘違いしちゃって……。でも、この前、やっぱり向日くんってすごく遠い存在なのかもって思ったら、すごく悲しくって……」
「だから!全然遠くないっつってんじゃん!」
俺はハンカチを取り出そうとする。
けど、手がもつれてポケットからなかなか出て来ないから、ロッカーまで走ってタオルを引っ張り出した。
そしての顔をぐしゃぐしゃと拭う。
……つーか、ちょっと待てよ。
今、、勘違い、とか言ったか?
「もっと好きになっちゃう前に、距離を置いて諦めようって……思ったの」
え?ちょっと……ちょっと待てって!
何?今、好きとか、言ったか!?
つか、諦めるって何だよ!
「でも――このストラップは持ってても、いいかな」
そう言って、さっきの小さな袋を見つめる。
何だか、嫌な方向にどんどん進んでる気がして、俺はそれを止めたくって、の手を掴んだ。
「待てよ、!勝手に諦めるとか言ってるなよ!」
「え、だ、だって……」
「俺の気持ち知ってて、そんなこと言うのか!?」
「え、き、気持ち……?」
「さっき勘違いしたって言ったじゃんか!それ、勘違いじゃねーし!」
「でも……」
「俺、が好きなんだよ!」
言っちまった。
こんなオロオロした感じで、しかもきっと目ぇ腫れてるぜ?
あー!もうちょっとカッコよく言いたかったのに!!
「うそ……」
「嘘じゃねーよ!こんなトコで嘘ついてどうすんだよ!」
しかもは速攻で嘘とか言って否定しやがった。
ほんと、泣きそうになる。
何でこいつ、こんな頑ななんだよ!?
俺は何とか分かってもらいたくって、の両肩を掴んで俺の方を向かせた。
真っ赤になって俯いている。
俺は一度目を閉じて深呼吸した。
「俺――のことが好きだ」
ちょっとは、カッコついたかな。
でも目が腫れてるのは変わんないだろうけど。
「だから、テニスしてる俺を見て――も俺のこと好きになって欲しいって、思ったんだ」
俯いたままのの顔に、サラリって髪がかかる。
俺はちゃんと顔が見たくってその髪をそいつの耳に掛けたんだけど、その時に指が頬に触れて、もっとちゃんと触りたくなった。
そろり、と片方の頬に手を伸ばす。
「もっと前から――好きだったよ」
ポツリってそう言うが、すごく可愛くて、もっともっと触りたくって、もう片方の手も頬に伸ばした。
こいつのほっぺた、すっごく熱い。
「――ずっと、俺の近くにいて?」
恥ずかしそうに、小さく頷く。
あー!もう、すごい好きだ!
俺がぎゅって抱きしめたら、も恐る恐るって感じで、俺の背中をきゅって掴んでくれた。
カッコいいとこ見せようなんて思わないで、もっと早くに好きって言えばよかった。
でも――こうやって、泣きながら俺のこと好きって言ってくれるも、ちょっといいよな。
そんなことを思ってしまった。
「――なあ、侑士。いっこ聞きたいんだけど」
部活の後、着替え終わった俺はロッカーの扉を閉めながら侑士の方を見た。
侑士は掛けても掛けなくてもいい丸眼鏡のレンズをキュッキュと磨いてる。
「何や」
「何であいつを部活の見学に誘うって言ったとき、止めてくれなかったんだよ?あいつが引くって分かってたんだろ?」
何だそんなことか。
そう言いたげな侑士は、前髪をかき上げて眼鏡を掛ける。
「だから、言うたやん。そう上手く行くやろかて」
「絶対引くからやめろって、普通止めないか!?」
「ええやんか、あれで色々進展したんやから」
「あれが進展かよ!?」
思わず声が大きくなる俺に、何事だと他の部員がこちらを見る。
俺は気にせず侑士を睨みつけた。
「あのままやったら、どうせ岳人は『あいつは俺のこと好きかな〜』とか、んなことばっか言うて、全然進まんかったやろ?」
「な――っ」
「まあ、さんはいつも岳人が付き合うタイプとは違ぉうたから、相手の反応が気になるのも分かるけどなぁ。いい加減、見てて痺れが切れた言うか……」
「そんなら、もうちょっとマシな方法教えてくれてもいいじゃねーか!」
「こう言うのは自分で考えんと、意味ない」
しれっと言って、鞄を肩に掛ける侑士。
往生際悪く恨みがましい目をする俺に、侑士はニヤリと意地悪く笑った。
「ほら、今日も教室で待っとんのやろ、さん。はよ行ってやり」
「何か納得いかねー」
そう言いながらも、俺は部室を後にする。
けど、何だかんだ言って俺って単純だな、って思った。
教室の窓から俺に手を振って来るを見て、侑士のことはもうどうでもいいって言うか――むしろ感謝したくなっちまってるんだもん。
あー!三階の窓まで一気に跳べたらいいのに。
俺はにブンブンと手を振りながら、昇降口へと走った。