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!聞いたか!?」


大学の掲示板前で、今日の講義をチェックしていたら宍戸さんが走って来た。
相変わらず朝から元気な人だ。
一体どこから走ってきたんだろうか、珍しく息を切らせている。


「長太郎くんのことですか?はい、聞きました」
「そうだよな!のところにまず連絡してくるよな!」


まだ呼吸が整わない宍戸さんは、そう言いながら苦笑い。
そのニュースを一刻も早く私に伝えようとしてくれたのだろうか。
私は嬉しさと照れくささの混じった笑みを零す。


昨日、オーストリアに留学している長太郎くんから、急に帰国できることになったとメールが来た。
中学でも短期留学をして、高校でも数ヶ月行って。
大学はついに向こうの大学に進んでしまった。
ちゃんとお付き合いを始めたのは高校二年から。
数ヶ月会えないだけでもつらかったのに、何年もロクに会えないなんてきっと私には耐えられない。
そう思って高校卒業と同時に別れることも考えたけど、長太郎くんがどうしても納得してくれなくて、とりあえず頑張ってみることになったのだ。
宍戸さんまで巻き込んで、ドタバタ騒ぎをしてからもう一年半。
私は宍戸さんの家に足を向けて寝られない―――と思っている。


「あいつも、もうちょっと早く連絡してくればいいのにさ」
「うーん、でも私は急なくらいの方がいいです」


だって、そんなに前から教えられてたら、きっと寝不足で倒れてしまう。
昨夜もドキドキして殆ど眠れなくって、今日欠伸をかみ殺した回数は数え切れない。
でもそんなこと宍戸さんには恥ずかしくて言えない。
私の返事に「そうか?」と納得いかなそうな顔をする宍戸さん。


「もうじき空港に着く頃だな」
「そうですね。迎えには行きたかったなぁ」
「でも今日、大学終わったら会うんだろ?」
「はい。宍戸さんは?テニスする約束してるんでしょう?」
「おう、明日の朝な」
「朝から!?元気だなぁ」


長太郎くんも長旅で疲れるだろうに無茶なことする。
でもきっと、宍戸さんと少しでも早くテニスをしたかったんだろう。
なんだかんだ言って、二人共テニスバカなのだ。
思わずクスクスと笑ってしまうと、宍戸さんは「別にいいだろ」とちょっと拗ねた顔をした。


暫くして、長太郎くんから携帯に短いメールが届いた。
帰ってきたよ
って。








講義の時間中、こんなに時計が気になったことはない。
気持ちを落ち着けようと昼休みに入った図書館は、結局何も出来ずにすぐ出てきてしまった。
最後の講義の終了を知らせるベルが鳴ると、待ち合わせの時間まで余裕があるにもかかわらず、どうしても落ち着かなくて走り出してしまった。
そんなに早く行ったって、まだ長太郎くんは来てないよ!
自分で自分にそう言い聞かせるんだけど、体が言うこと聞いてくれない。


待ち合わせ場所の、駅前広場に行く。
この前夏休みに1週間だけ帰ってきたときは―――1週間と言っても、長太郎くんは色々と挨拶回りをしたり何だりと忙しくて、その中で会えたのは2日だけだったんだけど―――待ち合わせ場所をキャンパス内にしたんだけど、そうしたら次々と知り合いに捉まっちゃって、なかなか二人になることが出来なかった。
彼はお人よしだから誰にでも優しくて、適当にあしらうって言うことを知らないのだ。
もちろん、それが彼のいいところだって言うことは分かっているけど。
待ち合わせ時間の30分以上も前。
まさかまだいないだろうと思いながら、キョロキョロと辺りを見渡すと、後ろの方から懐かしい声。


!」


―――ああ、変わらない。
ほんとに変わってない。
何でこの人って、こんなに変わらないんだろう。


右手をほんの少し上げて笑う様子は、半年前から―――ううん、付き合い始めた頃から変わらない気がする。
思わず懐かしさに瞼の裏が熱くなりかけたけど、「長太郎くん、早い!」って驚いたふりをして誤魔化した。


「何だか家にいても落ち着かなくってさ。もしかしたらも早く来てくれるんじゃないかと思って、早めに出て来ちゃったよ」
「もー、風邪ひいちゃうよ?」
「でも俺が来てなかったら、が30分待ってたんだろ?よかった、に風邪引かせなくて」


ニコニコと笑ってそんなことをサラリと言う。
私にはすごく照れくさい台詞なんだけど、長太郎くんは昔から結構普通に言ってしまう。
でも、手を繋いだり腕を組んだりするのは、妙に恥ずかしがったりするのだ。


「さ、行こう?」


彼の言葉に私は頷いて彼の手を握ろうとする。
―――と、それより一瞬早く、彼の方が私の手を握ってきた。
ちょっとだけビックリしてしまった私に、長太郎くんは小さく微笑う。
外国生活が長くなってきて―――スキンシップに慣れてきたのかな?
そんなことを思いながら、彼の手をきゅっと握り返した。


長太郎くんが予約を入れてくれたレストランまで、少しの距離を歩く。
色々話したいことがあるはずなのに、「元気だった?」って言う彼の言葉に「うん、まあ」なんて気の利かない返事しか出来ない。
ああもう、何から話していいんだろう?


「あ、宍戸さんと連絡取った?明日のテニスすごく楽しみにしてたよ?」


とりあえず、困ったときの宍戸さんネタ。
メールでも、何を話していいのか分からなくなってしまうと、つい彼の名前を出してしまう。
本人に取ってみればいい迷惑だろうなぁと思いながら。
私が笑いながら話すと、一瞬、手を握る力が、ちょっとだけ強められた気がした。


「うん、俺も楽しみだよ。半年振りだからね」


でも、その後の長太郎くんの笑みはいつもと変わらなかったから、気のせいかな?






駅から少し離れた所にあるレストランは小さな一軒家の可愛らしいお店だった。
留学中の長太郎くんが何でこんなお店を知っているんだろう。
ウェイターに引かれた椅子に腰掛ける長太郎くんの姿を見ながら、そんなことを不思議に思う。


「―――何か、こう言うお店に入るのって、変な感じだよね」


私がそう言うと、長太郎くんも「そうだね」と笑う。


「高校生の頃はこんなお店に入れなかったから、いつも帰りに寄るのはマックだったし」
「私たちも大人になったんだー」
「こんなところで大人を実感するなよ」


相変わらずだな、そう言ってまた笑う。
そんなところだけじゃないよ。
その笑い方も、昔とはちょっと違う気がして、ドキドキする。
もちろん昔から長太郎くんはニコニコといつも笑っていることが多くて、笑顔のイメージは強いけど、でもそんな風にちょっと目を伏せて唇の端を緩めるような笑い方は、あまりしたことがなかった気がする。
大人になったのかな。
最初に会ったときは変わらないと思ったけど―――やっぱり、変わったのかな。
ドキドキするのと同時に、ちょっと寂しくも感じる。


私はその寂しさを隠そうと、いろいろな話題を引っ張りだした。
高校の頃の友達が今どうしてるとか、よく行ったお店がリニューアルされて全然雰囲気が変わってしまったとか、大学の友達の女の子に面白い子がいるとか、この前行ったコンサートがよかった、とか。
飲み会の後にコンビニに寄ったら、そこで宍戸さんがバイトしててビックリしたとか。
とにかく色んな話を、一生懸命話していたら、あっと言う間に時間が経ってしまった。
こうやって向かい合ってたくさん話が出来ることがすごく嬉しい。
でも、本当にあっと言う間で、これで長太郎くんの帰国中に一緒に過ごせる時間が少し減ってしまったって思うと―――やっぱり、寂しいかも。


お店を出て、時計を見る。
門限まであと一時間とちょっと。
ため息をつきかける私の肩を、長太郎くんが自分の方にぐいと引き寄せる。


「―――時計なんか、見るなよ」


ビックリして見上げると、拗ねたように口を尖らせる長太郎くん。
その表情は昔のままのようだけど、こんなふうに肩を抱くことも、そんな低い声も初めてで―――私の心臓は跳ねあがる。
かぁっと熱くなる顔を隠すように俯いて、最後の抵抗のような台詞。


「長太郎くん、海外で暮らすようになって、仕草まで外国人ぽくなっちゃった?」
「そうじゃないけど―――何もしないとがどんどん変わっちゃうような気がするから」
「私が?変わっちゃう?」
「……宍戸さんの話ばかりするし」
「それは―――」


長太郎くんの大好きな先輩の話をすれば喜んでくれるかもって思って―――
そう言いかけたけど、長太郎くんにぎゅって抱きしめられて最後まで言えなかった。


「宍戸さんに取られちゃうかもしれないと思って―――こうやって一緒にいられる時は、ちゃんと自分の気持ちをストレートに表現しなきゃって思ったんだ」
「しっ、宍戸さんにって……っ」


それはもちろん、大好きな先輩だ。
寂しいときにどれだけ助けられたか分からない。
でも、そんなこと―――考えたことないよ。


「本当はウィーンまで連れて帰りたいくらいだ。―――今日だって、帰したくない」


私の耳元に顔を埋めて、囁くようにそんな台詞を口にする。
か、変わり過ぎだよっ。
その声だけで、私は足がふにゃふにゃになって、崩れ落ちないように彼にしがみつく。


「お……おかしいよ、長太郎くん」
「おかしくないよ。付き合い始めた頃から、いつもそう思ってたんだから」


そんな、いつも私の門限を気にしてくれていたのに。
実は本当にそんなことを思っていたんだろうか。
俺だって健全な男の子だからね、そう冗談めかした言葉が私の頭でぐるぐる回る。


「私も―――帰りたくないって思ってたよ」


でも、だって、長太郎くんはいつも「早く帰らないとお母さんに怒られちゃうね」って笑いながら言うから、そんなことを考えてるのは私だけかと思ってた。


「でも、ごめん……今日、長太郎くんと夜に会うってお母さんに言っちゃった……」
「そっか。じゃあ帰らないと明日大変になっちゃうね」


苦笑いを浮かべる長太郎くんの顔は、ちょっと赤い。
でもきっと、私の方がその何倍も赤い気がする。


「―――じゃあ、帰ろうか」
「うん」


今度は私の方が先に彼の手を握った。


「でも、、ドイツ語は勉強しておいてね」
「え?」
「オーストリアの公用語ってドイツ語だから」
「うん?」


ニコニコと、でもちょっと意味深に見える長太郎くんの微笑。
その言葉の意味は深く考えなかったけど、とりあえず、次の日に「基本ドイツ語会話」と言うテキストを買ったのは内緒。