クリスマス -忍足-




「じゃあ、クロークにコート預けて来るわね」

そう言って手を差し出して来るお母さんに自分のコートを預けた後、私は傍にあった大きな柱に寄りかかった。家族で来たクラシックのクリスマスコンサート。
たまにはこういうのもいいだろ、なんてお父さんが言って数ヶ月前にチケットを取ったんだけど、どうもこういう所は慣れなくて落ち着かない。
所在なげに縮こまり、柱に凭れかかったまま小さなバッグをぷらぷらと揺らす。

開場間もないと言うのにロビーには人があふれ返っていて、クロークにも少し列が出来ている。
お洒落な服装をしている人がたくさん。
昔々に行ったことのあるクラシックコンサートよりも気合いの入った格好の人が多い。
有名な海外のオーケストラだから?

それともクリスマスだからかなぁ?
そんなことをぼんやりと考えながら、さっきより長くなって来たクロークの列を眺めていると、何だか何処かで見たような後ろ姿を見つけた。
うわー、その髪の感じとか背中とか、すごい似てるなあ。まさか本人がこんな所にいるとは思ってもいないから、単純に「わぁ」とその背中を見つめる。
けど、それこそすごく有名なオケのコンサートなんだから、誰か知ってる人がいてもおかしくないのかな?そう思い直して首を傾げた時、その男の人はコートを預け終わり、小さなプラスチックの札を受け取って後ろを振り返るところだった。

「えっ!」

私は思わず小さな声を上げてしまった。だって似てるって――似てるどころじゃない。
ちょっと鬱陶しそうな長めの髪に、丸い眼鏡。
そして何処となく醒めたように細められ伏せられた目。
それはどう見ても、クラスメイトの忍足くんだった。

ここは挨拶をすべきだろうか。
そんなに仲がいいと言う訳でもないけど、やはり普段「おはよう」「ばいばい」の挨拶を交わす位はしているのだから、ここでも一応――と一歩踏み出そうとした時、忍足くんの後ろからもの凄い美人な女の人が現れて、慌てて元の位置に戻った。
お化粧が決まってて、下品にならない程度に身体の線が見えるワンピースを綺麗に着こなしてて、大人の女の人って感じ。
忍足くんの腕に手を絡ませる仕草もすごく自然。そう言えば誰かが忍足くんの彼女は年上の美人って話していたような気がする。
へーそうなんだーすごいなーなんて、その時は今いち実感沸かないままそんな感想を言ってた気がするけど、実際その美人な彼女と一緒にいるところを見るのは、結構、ショックだ。
ショック?うん、ショックだ。
普段一緒のクラスで、おおよそ親しみやすいってタイプじゃないけど、それなりに挨拶とかもして同じ授業を受けている人が、私とは全然違う大人の女の人と並んでいると言うのは、結構な衝撃。
さらり、と肩にかかった髪を払うその女の人をぼーっと眺める。あまりにぼーっとしていたせいで、まるで凝視しているみたいになっていることに気付き、私は慌てて視線を逸らした。けど、それは手遅れだったみたいで、逸らす瞬間に忍足くんと目が合ってしまったことに気付く。

?」

さりげなく場所を変えようと、そろりと歩き出したら後ろから忍足くんの声。
もー、彼女連れの時は知らないふりしてくれていいのに。
小さくため息つきつつ、バッグを持つ手に力が入る。

やろ?」

背中を向けたままだった私の前に回り込んで「やっぱりやん」と眼鏡を軽く指で持ち上げる。
覚悟を決めて引きつった笑みを貼り付けるのと、忍足くんの彼女さんが横を通り過ぎるのと、同じタイミング。

「侑士、先に行ってるわね」
「ああ――」

軽く忍足くんの肩に触れて、それから私に微笑みかけて。
ああ……大人の余裕って感じで素敵。侑士、かぁ。やっぱり下の名前で呼ぶんだなぁ。
呼び慣れてる空気。呼ばれ慣れている雰囲気。

、さっきから何シカトしとんねん」
「えっ、あっ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。こ、こんばんは……」
「相変わらずおかしなやっちゃな」

ふ、と目の前で口元を微かに緩めて笑う。そう、忍足くんはよく笑うタイプじゃ全然ないんだけど、こうやって話をしてる時に、ふいと目元と口元を緩ませる。
普段が普段なだけに、こう言う表情を見ると「あ、笑った」って何だか宝物でも発見したようで嬉しくなるんだよね。

はこう言うクラシックのコンサートによく来るん?」
「ううん、何年ぶりかに来た。あまりに久しぶりでどうしたらいいかわかんないよ」
「そんなん、学校のイベントでもコンサートくらいあるやん」

おかしなやつ、とばかりにまた笑みを見せる。学校じゃないから忍足くんはリラックスしてるんだろうか、いつもよりよく笑うような気がする。
それとは真逆に私は緊張しっ放しだ。
滅多に来ないクラシックコンサートに、初めて来たコンサートホール。
その上、目の前の忍足くんはその格好のせいか、すごく大人っぽく見える。
学校での忍足くんも中学生らしいとは言い難いけど、フォーマルな感じのジャケットを着てて、それがまた着こなしてるって感じで……緊張する。
肩に力が入る私の前で、忍足くんは手をズボンのポケットにかけたまま、すいっとほんの少し右肩を後ろに反らし、視線も後方に向けた。

、一人で来たん?」
「こ、来ないよ!今お父さんとお母さんはクロークに上着預けに行ってるの」
「クリスマスイブに家族でクラシックコンサートなんて、オツやな」
「どうせなら恋人と来たかったよ」

はは、と苦笑して言う私に、忍足くんの表情が一瞬固まる。
あ、何かこれ、僻んでるみたい?「あ、いや、その」と違う話題を探そうとする私の前で、まだ忍足くんは固まったまま。
そこは軽く言ったんだから軽く流してよー。
予想外の反応に、私の方まで身動きが取れなくなる。

「お、忍足くん?」
、彼氏おるん?」

恐る恐る名前を呼んで。ようやく喋ることを思い出したかのような忍足くんから出た台詞がそれ。
ええっ、反応するのはそこなの?
そんなに彼氏いたらおかしい?
私は思い切り口を尖らせた。

「いないよ!だから、来たかったって話!」
「何や……びびらさんといて」
「ひどっ!忍足くん、ひど過ぎ!」

はあ、と深い安堵のため息まで吐き出す様に、私は思い切り抗議した。
けど当の本人は私の怒りなどさっぱり理解できないと言った目で私を見下ろす。
小首まで傾げる彼に、私はまたつい僻み根性。

「そりゃ、忍足くんはあんな美人な彼女さんがいていいけどさ」

私は自分の着ているワンピースの裾をつまむ。
お世辞にも大人っぽいデザインとは言えない。
仮にあの人みたいな服を着たとしても、出るとこ出てないし、引っ込むとこ引っ込んでないし。
ちゃんとお化粧も出来ないし。あの人に勝てるとこなんて、全然見つからないなぁ。
……いや、別に、勝ちたい訳じゃないけど。
ますます悲しい気分になって来る私に、忍足くんは更に理解出来ないって顔をした。

「は?カノジョ?そんなもん、今おらんけど」
「いやいやいや、今一緒にいたじゃん」
「は?……ああ……あれか。あれ、姉貴や」
「えぇ!?」

あ、あんなに親しげで――そりゃ姉弟なら親しいけど――いかにもお似合いのカップルみたいだったのに、きょうだい!?
何か、嘘ついてるのかな。ほら、浮気現場見られた男の人みたいに。い、いや、別に私に誤魔化す必要ないじゃん。
思わず目を白黒させていると、「勘弁してや」と心底嫌そうな顔をする忍足くん。

「で、で、でも、わざわざクリスマスイブに姉弟でコンサートなんか来る?」
「せやろ?俺もそう言うたんやけどな。男が間に合わんかったらしいわ」
「え?」
「もともとこの前まで付き合うてた彼氏と来るつもりでチケット取ったらしいんやけどな、直前で別れてしもてん。先週やったかな?そんでも、たっかい金払ってチケット買うたからって貧乏根性出してなぁ」
「……はあ」
「ぎりぎりまで別の男探してたらしいけど、まあこんな時にいい男なんか残ってへんわな。そんで弟の俺を引っ張り出してきたっちゅう話や」

口うるさく服装の指定までして来るんやで?かなわんわ。
そう言いながらうんざりとした表情で自分の着ているジャケットを見る。
忍足くん、何気に自分を「いい男」って言ったよね……。
うん、まあ、確かにいい男、だとは思うよ。
私が忍足くんを見上げると、バチリと目が合って、慌てて視線を下ろす。

「で、でも、忍足くんは残ってたんだね」
「せやねん。ほんまは今頃彼女出来てラブラブな予定やってんけど」

ああ、でもどちらにしろ今日は一緒に過ごせんかったんかな。
独り言のような忍足くんの台詞は殆ど私の耳に入らず、また妙なショックを受けていた。
何だろう。何がショックなんだろう。
忍足くんから「ラブラブ」なんて言葉が出て来たから?
……じゃないよね。好きな人がいるんだなぁ。

「せやけど、終業式の後思い切って声掛けよ思たら、そいつ、速攻帰ってもうてん。HR終わって後ろ振り返ったらもうおらんのやで?」
「……ふぅん」

そっか、同じクラスの子だったんだ。年上の女の人と付き合ってるって噂あったけど、そっか、実は同じクラスに好きな子いたんだ。
うちのクラスにも結構レベル高い子いるもんね。
木下さんとかモデルばりのスタイルだし、越野さんなんてすごい色っぽくて、忍足くんと並んだら様になりそうだよね。

ぼんやりとクラスの美人さん達を思い出していると、忍足くんの「、聞いとる?」と不機嫌そうな声。
私は「聞いてるよ!」と慌てて顔を上げた。けど忍足くんは変わらず怪訝な顔。

、何で一昨日帰るの早かったん?」
「え?私?私はちょっと用事があって……」

用事って言っても、学外の女友達とお昼を食べる約束があったとか、まあ、そう言う感じなんだけど。
もぞもぞと答えると、忍足くんは納得行ったような行かないような「ふうん」と短い唸り声のような返事をして前髪をかき上げた。

「まあ、俺も迂闊やった。さっさと引き止めとけば良かったんやな」
「はあ」
「しっかし焦ったわ、振り返ったらおらへんし、昇降口まで走ってもつかまらんし、携帯の番号なんかも知らんやろ?もう年明けまで会えんもんやと思とったわ」
「はあ……え?」

今、何か、忍足くん、変なこと話してない?
ちょっと待って。さっきまで忍足くんの好きな子の話をしてなかったっけ?

「忍足くん……私に用事があったの?」
「……どんだけ抜けてんねや、自分」

話が読めなくて思い切って聞いてみたら、ものすっごい冷たい視線が返って来た。
あほか。
こんだけあからさまに言うてるのに、何で気付かんのや。
ボロクソに言って来る忍足くん。
ちょ、ちょっと待って、ついこの間まで「おはよう」「ばいばい」位しか話さなかったのに、いきなり「あほ」とか「抜けてる」とか言われたら、いくら私でも傷付く。
でも「忍足くんひどい」と抗議したら、速攻で「ひどいんは、どっちや」と返された。

「自分や、自分」
「え?」
「ったく、こっちは緊張しながらクリスマスにデートでも誘おう思っとったのに、ほんま、拍子抜けや」
「え?デート?……え?」
「それはほんまに抜けてるん?それともとぼけたふりして俺の誘いを断ろう思ってるん?」
「さ、誘いっ?忍足くん、私を誘ってるの!?」
「……ここまで抜けとるとは思わんかったわ」

まあ、そこも可愛いとこやけど。
さらり、と恥ずかしい台詞を口にして。
呆れ顔で曲がっていた口元が、また微かに綻ぶ。
今日は出血大サービスだね。あまりの照れくささにそんな変なことを心の中で呟いて、私は必死に落ち着こうとしてる。

「回りくどい言い方が通用せんっちゅうことは、よう分かった」
「ご、ごめん」
「ほんまや。ごっつ傷付いたわ」

全然傷付いてないような、しれーっとした顔で、そんなことを言ってそっぽを向く。
でも何か私が謝るのって……変な気がする。
むむ、と眉間に皺を寄せてると「美人が台無しやで」と忍足くんの苦笑い。

「なあ、知っとった?」
「え?」
「俺が自分から『おはよう』て挨拶する女の子、だけなんやで?」
「……え?」
「でも一向に挨拶するだけの仲から進まへん。せやから思い切って誘お思たら、もうおらんし」
「……それ、さっきも聞いた」
「せやった?」

もー、わざと言ってるのか、ホントにしつこいのか分かんない。
そんなことを思いながら、だんだんと頬が熱くなっていくのが分かる。
そしてそれを隠そうとしてだんだんと肩が縮こまって行くのが分かる。

「なあ、
「うう……」
「なんでそない縮まってるん」
「だ、だって、どうしたらいいか分かんなくて」
「ああ、クラシックコンサートが久しぶりっちゅう話やな」
「そうじゃないでしょっ」
「何や、、ツッコミいけるやん」
「いけないよ!」

くく、と口に手を当てて笑う忍足くん。
もう……笑い過ぎ。喋り過ぎ。
私はもう顔の赤いのを隠すのも馬鹿馬鹿しくなって、顔を上げてあははと笑ってしまった。

「やっぱりはそう言うんがええわ」

そんな私を見て、忍足くんが目を細める。
そして私の方に手を伸ばそうとして「――っと、さすがにあかんわな」とすぐに引っ込めた。

「あそこでごっつ睨んでるおっさん、の親父さんやろ?」
「え?」

忍足くんが視線を送った方に顔を向けると、確かにお父さんとお母さんがいた。
お父さんとは一瞬目が合ったと思ったんだけど、すぐにそっぽを向かれたので、睨んでたかどうか分からない。
お母さんは何だかやたらとニコニコしてこちらを見てた。

「ここは紳士になっとかんと、未来のお父さんになる人かもしらんし」
「普段は紳士じゃないみたいだね」
「……あかん、、ツッコミどころおかしいで」

まあ――そこが可愛いとこや、うん。
さっきも聞いたような台詞を吐きながら、頭に手をやる。
少しだけ言い方に迷いがあるような気がするけど。

「いい加減急がなあかんな。で、、明日は空いとる?」
「えっ」
「イブを家族で過ごした寂しいもん同士、映画でも行こか」
「え、う、うん、映画?」
「せや、べったべたの甘いやつ」

に、って口の端を引き上げて笑って見せる忍足くん。
そう言えば、そう言うのってDVDでしか観たことないな。
忍足くんにそう言うと、映画館で観るとまた一味違うで?って少し弾んだ声が返って来た。

「忍足くん、映画好きなんだ」
「ん?好きなんはやけどな」

ん?今さらりとすごいこと言った?

、あんま赤くならんといて。お父さんの視線がますます怖くなってきたわ」

ぽんぽんと軽く肩を叩いて、忍足くんは持っていたパンフを裏返す。
お、忍足くんが変なこと言うから!
心の中で必死に抗議したけど、目の前の忍足くんは素知らぬ顔で小さなペンを胸元から取り出し、そのパンフにさらさらと何かを書く。

「後で電話してな?何時になっても構へんから」

そう押し付けるように渡されたパンフの裏には、携帯の番号。
ちょっとだけ耳元に顔を近づけて、内緒話をするような声で「ほな、また後で」と一言残して。
忍足くんは私の両親のいる方に小さく頭を下げた後、ホールの中へと消えて行ってしまった。
一人になると、あれ、やっぱり夢だったんじゃないか、なんて、ふわふわした感じ。
でも手元にはパンフが二冊。

「クラスのお友達?」

お父さんとお母さんはもうとっくにコートなんか預け終わってて、私たちの様子を離れたところから眺めていたらしい。
気まずいながら二人の方へ歩いて行くと、お母さんがさっきと変わらずニコニコしたまま聞いてきた。
私は「うん、まあ……」なんて中途半端な返事をして笑ってしまって。
さっきまでうきうきしていたお父さんは、随分と難しそうな顔で入口で配られたチラシを眺めて、私たちの会話は聞こえないふり。

と同い年とは思えないわね。背が高くて、素敵ねぇ」
「……ほっといて」
「あんな子がの彼氏だったらいいわねぇなんて話してたのよ、ねえ、お父さん?」

話をふられたお父さんは、返事もせずに相も変わらず同じチラシを凝視している。
たぶん、そう話してたのはお母さんだけなんだろうな……。

「実はお付き合いしてたりしてね?」

ふふふ、と微笑いながら聞いてくるお母さん。
お父さんのチラシを持つ手に力が入ったのを横目で見ながら、私は慌てて「そんなんじゃないよ!」と言い返した。

心の中で「……まだ」って付け足しちゃったけど。