eyes




「―――ふう」


は障子をパタリと閉めて息をついた。
少し離れた大広間から、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
ついさっきまで同じ場所にいたのに、すごく遠い空間に感じてしまう。


年に数度しか訪れない祖父母の家。
来るたびに、その独特の雰囲気に緊張してしまう。
殆ど顔も知らない親戚たちと交わす挨拶。
ちゃんも美人になったなぁ」と笑って言う叔父たちに向ける愛想笑い。
―――でも、を落ち着かせなくする一番の理由は、他にある。


腰を下ろして、畳に手をつく。
ひんやりとして気持ちがいい。
少し冷たくなった手で、頬を冷やす。


忍足侑士は、祖父の主治医の息子だったか何だったか。
昨年の正月に一度紹介されたが、はその瞳に吸い込まれそうになって、それに抗うのに必死であまりその時のことをよく憶えていなかった。
その名前も、後で本人から直接聞いて改めて知ったほどだ。
父親と同じく医師を目指し、医学部に通っているのだと、祖父と話しているのを聞いた。
多くの親戚が集まっている中で、何故か祖父は彼が気に入った様子でしきりに酒を勧めていた。
母に言われても彼にお酌をすると、「おおきに」と聞きなれない関西弁。
その低くて甘い声に、はまるで自分がお酒を飲んだように真っ赤になってしまって、逃げるようにその場を去ったのを憶えている。


気が付けば彼はもう帰った後で、逃げ出してしまった自分を後悔した。
そして―――今日、また会えるのではないかと、密かに期待をしていた。
どうせまたろくに言葉を交わすことも出来ないのにと思いながら、彼にもう一度会いたいと願った。


明かりもつけず奥の小さな座敷で休んでいると、障子越しに人影が映る。
その影は男性のもので、はドキリとした。
もしかして―――彼、かもしれない。
それは期待と言うよりも、今は確信に近い。


「―――ちゃん?具合でも悪いん?」


その「確信」通りの低い声に、の心臓は一層跳ねあがる。
返事をしようと口を開くが、何故か喉が痞えて声が出ない。
ゆっくりと、音もなく障子が開かれる。
そこには和服に身を包んだ忍足の姿。
陽の光が邪魔をしてその表情ははっきり見えなかったけれど、柔らかい雰囲気は伝わって来た。
そんな彼が、一瞬、ちらりと廊下に視線を向ける。


「―――忍足、さん」


そして、ようやく名前だけを言葉に出せたの方に向き直り、唇に指をあてた。


「どないしたん?」


障子を後ろ手に閉め、トーンを抑えた声でそう問いながらの方にゆっくりと近づいて来る。
どうした、なんて。
それはあなたの視線に耐えられなかったから。
自分の前に屈み、顔を覗き込むように見る忍足の視線を避けるように俯きながら、は心の中で呟いた。


最初は気のせいだと思った。
本当に再会できたことが嬉しくて、初めはの方から挨拶をした。
でもやっぱり簡単な挨拶をするくらいが精いっぱいで、緊張してしまって気の利いた会話も出来ない。
その後に現れた振り袖姿の着飾った女の子たちが、楽しそうに笑って彼と話をするのを少し離れて眺めるばかり。
諦めて母たちの手伝いをしようとその場から離れようとしたとき―――感じたのが最初の視線。
何気なく振り返ると、忍足と目が合った。
偶然だと思った。
けれど彼は、楽しげに笑う華やかな女の子たちの中にいながら、じっとの方を見て、自分から目を逸らさない。
何か気に障ることをしてしまっただろうか?
そんなことを思いながら、は去年と同じように逃げるようにその場を去ってしまった。


その後、祖父の新年の挨拶の最中も―――ふと顔を上げると忍足と目が合った。
宴会の準備で、配膳を手伝っているときも、気が付くと見られている。
宴会が始まってお酒の補充などで大広間を歩き回っていると、祖父と話している彼が、その会話の合間にに視線を向けている。


今年も母親に言われて、祖父らにお酌する。
忍足に酒を注ぐ時も、祖父に注ぐ時も、じっと見られているのは気付いていたが、敢えて気付かないふりをして視線を逸らした。


「―――おおきに」


今度はきちんとごあいさつなさいよ。
母親にしつこくそう言われたというのに、また、その声に、は何も考えられなくなる。
去年よりその声が―――雰囲気が違って感じるのは、気のせいだろうか?


何だか、忍足も、自分自身も怖くなって、は大広間から抜け出した。
母親のお小言が嫌でコッソリと。
きっとここなら誰も来ないだろうと、一番奥の小さな座敷に。






「熱でもあるんか?」


額に触れようと伸びて来た忍足の手に、はビクリと過剰なまでに反応してしまう。
そんな自分が恥ずかしくなって俯くと頭上から小さな笑い声。


「―――ちゃんは、振袖とか着ぃへんの?」
「え……う、うん……」


年に一度、晴れ着を祖父母に披露する、と言う考えもあるのだろうが、の両親はちゃんとお手伝いが出来るようにと言って、普通の訪問着しか着せない。
ただでさえ緊張する場所だから動き回っていた方が良いと思っているは、特にその両親の考えに不満を抱いたことはない。


「自分で着付けとかするん?」
「う、ん……」
「大したもんやなぁ」


まるで感心したようにそう言う忍足の笑みが、さっきまで大広間で見せていたものと少し雰囲気が違って見えるのは、この部屋の明かりが足りないせいだろう。
そう思おうとする。
―――思おうとするが、体は何故かジリジリと後ずさってしまう。


「―――どないしたん?」


畳の上で、後ろに逃げようとしていたの手の上に忍足の手が重なる。
その大きさと温かさに驚いている間もない。
自然と少し前のめりになった忍足の顔が、の息のかかりそうな場所にまで近づく。
忍足の和服にたきしめられた香が、まるで麻薬か何かのようにの思考を奪い去って行く。
眼鏡を取り去った彼の目は一層深く吸い込まれそうで―――けれど、もう抗うことも出来ない。


恐怖と、何かを期待する自分。
のコクリと小さく喉を鳴らす音に、忍足がクスリと微笑う。


「こないな人気のない奥の部屋に誘い込むなんて―――も大胆やな」


耳朶を甘噛みされて、そんな台詞。
は否定しようと口を開いたけれど、声は彼の舌にすべて絡め取られてしまった。


「――――ぅ……ん」


言葉の代わりに出てくるのは甘い吐息だけ。
初めは驚いて逃げていたの舌も、長く長く続くそれに抵抗する力を失い、気が付けば自らも絡めている。
ゆっくりと離れた忍足の唇は、薄暗がりの中でも濡れているのが分かった。


「誰か……来たら……」
「ここに入るのは誰にも見られてへんから大丈夫や」


は畳の上に横たえられ、忍足は器用に彼女の和服を解いて行く。


「―――ああ、でも……」


首筋に舌を這わせ、思い出したようにそう言い、意地悪く笑みを零す。


「声は我慢してな?」


太腿を撫ぜ、既に潤っているそこに触れて。
可愛い声は今度別の場所で聞かせて。
そう言った忍足の声は、もうの耳に届かなかった。