purgatory
既に熱を帯びた場所に挿し入れた指で、わざとらしく淫猥な音を立てて。
自分でも最低だと内心嘲笑いながら、その濡れた指を彼女の目の前に晒して。
「嫌や言うても――しっかり感じとるやん」
少し、掠れた声で忍足が言えば、は唇を噛みしめて横を向き、空を睨む。
もう何度も繰り返されたことで、彼女の感じる場所など殆ど知り尽くしている。
快楽を感じることが罪であるかのように体を強張らせて、震える呼吸の中に、湧き上がってくる感覚を必死に逃そうとする。
そんなことは無駄だと無言で追いたて、強引に上りつめさせて、僅かに洩れる嬌声に忍足は唇を歪ませる。
どうしようもなく興奮して、彼女の甘い香りに目眩がして。
本当に最低だ。
一体、今までにどれだけ同じ言葉を心の中で呟いたことだろう。
誰も幸せにならない関係。
自分はきっと地獄に堕ちる。
でも、それでも構わない。
好きなだけ堕ちてやる。
そう言って、また自身を嘲りながらその欲望を彼女に突き立てる。
跡部に、自分の婚約者だとを紹介されたのは中学卒業間近の頃。
冗談だろう。
あまりの衝撃に、忍足は間抜けな返事しか出来なかった。
「へえ……ホンマ……」
跡部の隣りに立って小さく頭を下げる彼女は、忍足が密かに想いを寄せていたクラスメイトだった。
決して目立つタイプではなかったが――恐らく目立たないように気を付けていたのだろう――何故かその姿を追いたくなる。
放課後の教室で一人泣いている彼女を見て、一体どうしたのかと問えば、さっき図書館で借りた小説を読んで泣いてしまったのだと、顔を真っ赤にして俯く。
想いを告げようかと何度も思いつつも、タイミングを逃していたら――こんな、告白。
「俺はここを卒業したらイギリスに戻っちまうから、こいつを頼む」
今まで婚約者の存在なんて微塵も匂わせなかったくせに、随分と虫のいい話だと、忍足は跡部の台詞に内心腹立たしさを覚える。
俺には出来ない。
その時、そうはっきりと言ってしまえばよかったのに、結局忍足の口から出て来たのは「まかしとき」と心にもない台詞。
拷問のようだった。
自分の前でだけ普通に仲の良い姿を見せられるのもかなりの苦痛を強いられたが、跡部が渡英した後、二人きりになってからの方がつらかった。
すぐ目の前にいるのに、自分に笑いかけるのに、決して手に入ることのない存在。
あまりの苦痛に、精神がいかれてしまったのか。
テニス部の部室で犯したのは――いつだっただろう?
もちろん、彼女は抵抗した。
絶望をその目の中に浮かべながら。
忍足だって、本当は嫌がる相手を組み敷く趣味なんてない。
けれど、自分の下でもがいて、それでも自分の与える快楽に抗い切れない彼女を見て――抑えなどきくはずもなかった。
「――跡部が知ったら、どないするやろ」
ベタな脅し文句に、自ら吐き気を覚える。
けれど、犯されても尚、高潔なままでいる彼女を、穢したい衝動にかられる。
これで、自分は親友も、愛する人も完全に失ったのだ。
それくらいは忍足自身にも嫌と言うほど分かっていたけれど、もう後戻りは出来なかった。
抱き方はいつも強引で、囁かれる台詞は愛の言葉とは程遠い。
けれど、行為の後の手付きはいつも恐ろしいほどに優しくて、切なげで――泣きそうで。
はいつもそんな彼に触れたい衝動にかられるけれど、寸でのところで堪えていた。
跡部がこのことを知ったらどうするか。
忍足は時折そんなことを口にするけれど、恐らく、彼は勘付いているだろうと思う。
それは――自分を婚約者として紹介する前から。
自分は忍足に惹かれている。
跡部に何度そう告白しようと思ったかしれない。
別に婚約を解消されるのが怖いわけではない。
それによって親の面子が潰れることを気に病んでいるわけではない。
こんなことで、跡部グループがの父親の会社との取引を止めるとは思っていない。
恐らく、がそんな告白をすれば、跡部はまるで自分の責任であるかのように取り計らって、彼女の傷を最小限にとどめた形で婚約を解消するだろう。
それは決して自身のプライドを守るためだけではない。
単なる自惚れではなく、それ位の行動を予測出来る程度に、跡部と一緒にいる時間は長かった。
跡部との将来を疑うことなど、思いもよらなかった。
自分が他の男に心を奪われることなど、一生ありえないと思っていた。
子供の稚拙な思い込み――と、単純に笑えるものではなく。
彼は、婚約者として完璧だった。
愛するのに何の不足もなかった。
なのに、何故、自分はこの目の前の冷たい表情を浮かべる男を好きになってしまったのだろうか。
自分も、無理やりにでもイギリスについて行くべきだった。
卒業間際、は何度も考えた。
今なら間に合う。
何度も何度も考えた。
けれど――ついて行かなかった。
本当に最低だ。
忍足に抱かれた時点で、は跡部を失ったことも、そして、忍足さえも失ったことを自覚していた。
部室にあるソファに押し倒されて、圧し掛かられて、どうしようもなく喜びに震えている自分に絶望した。
自身の思いを告げたら、忍足は婚約者がいながら――と、軽蔑するだろうか。
それとも、受け入れてくれるのだろうか。
しかし、たとえ受け入れてもらえても、二人は決して幸せになれない。
お互い、一番愛していた人間を裏切っているだから。
自分は地獄に堕ちるだろう。
それでも構わない。
炎に焼かれても尚余りあるほどの、苦い幸福に、今、満たされているのだから。
甘い言葉もなく突き上げられ、血が滲むほどに唇を噛みしめながら、はそんなことを思う。
これは自分の計算ミスだ――と跡部は思う。
眠れず、ベッドの上で天井を睨みながら。
もっと早くに手を打つべきだった。
今さらそんなことを悔んでも何の意味もないことは分かっている。
けれど、こんな眠れない夜には、自分の意思に反してそんな愚かな後悔が頭をめぐる。
誰にものことを教えるつもりはなかった。
それはたとえ親友と呼べる存在の忍足にさえも。
本当は氷帝ではなく、別の女子校などに通わせる方がいいのだろうとは分かっていたけれど、どうしても目の届く所に置いておきたかった。
そんな中途半端なエゴが、取り返しのつかない結末を招く。
と忍足が一緒のクラスになったときも、それ程危機感は抱いていなかった。
彼女が自分以外の男に心を移すことなど考えられない。
それは単なる驕りではなく、そう信じられる程度には長い時間一緒にいたはずだった。
忍足も――まさか、彼女に目が止まるとは思っていなかった。
二人のクラスの前を通りかかったとき、その光景を見るまでは。
窓際で友人と話すを見る忍足の視線。
それが逸らされた後、忍足に向けられたの視線。
罪の意識からか――から徐々に笑みが消えて行く。
婚約は解消してやる。
だから、お前はあいつと一緒になればいい。
跡部は彼女に何度そう言おうと思ったかしれない。
けれど、結局彼が出来たのは、白々しい紹介だけ。
彼女を頼むと、今さらな牽制を行っただけ。
お前は俺の婚約者だ。
それを忘れるな。
いっそのこと、そう言って彼女の何もかもを奪うべきだったか。
奪えれば――どれだけ楽だったか。
普段の跡部ならそれ位言えそうなものなのに、を前にすると喉に何かが絡みつく。
このまま何も気づかないふりをすれば、最後には自分のもとへ戻ってくる。
そんなことを考えている自分に吐き気を覚える跡部。
本当に最低だ。
自嘲から漏れた笑いが虚しく部屋に響く。
自分の罪が軽いとは思わない。
偽善者ぶっている自分が一番罪深いと知っている。
地獄に堕ちるなら、堕ちればいい。
跡部は目を閉じ、静かに息を吐きだした。