ハロウィン?




「な、何なのだ、この部屋は!」


その部屋に入った途端、真田はそう叫んだ。
まるで見てはいけないものを見てしまったかのような驚愕ぶりで、表情を歪ませている。


「うわ、すげー、何すかこれ、七夕すか」


真田の後ろで季節外れな台詞を口にする切原は呑気な表情で可愛いものだ。
真面目で融通の効かない真田の事だからこの有様を見て一言二言あってもおかしくはないだろうと予想をしていた跡部だが、その想像を上回る反応に、彼は小さくため息をついた。


「ハロウィンだ。今月末にあるだろ」
「ハ、ハロ……?こ、ここは生徒会室ではなかったのか」
「ああ、そうだぜ」


それが何か?とでも言いたげな目をして跡部は自分の椅子から立ち上がり、手前の応接セットの方へと二人を促した。


「はー、すごいっすねー、氷帝はこう言う飾り付けも本格的なんすか」


感心したような呆れたような声を上げつつ、切原はテーブルの上に置かれていたカボチャのオブジェを手に取る。


「別に氷帝がって言うんじゃねぇ。約一名が凝り性なんだよ」


跡部は樺地が運んで来た紅茶を飲みつつ、切原が器用にクルクルと回すカボチャを見た。






ここ氷帝の生徒会室は、つい昨日からすっかりハロウィンバージョンに様変わりしてしまった。
窓ガラスにはオバケのジェルジェムが貼られ、壁にはカボチャのオーナメントが一面張り巡らされている。
応接テーブルの上にはオレンジと黒のクロス。
ティーカップは普段使用している物だが、一緒に出された砂糖は一つ一つがカボチャのオバケの形をしていた。
跡部は去年のクリスマスから経験済みだし、イースターには卵の殻で作ったオーナメントで埋め尽くされたので免疫はある。
あの時はその飾り付けよりも、それを作る為に使用した卵の中身の処理に付き合わされ、毎日のようにプリンを食べさせられた方がきつかった。
全身プリンになってしまうのではないかと思ったくらいだ。
もう食えねぇ、てめえが一人で食えと言っても聞かず、ドンと生徒会長の机にプリンを並べられる。
一種の嫌がらせかと思った。


それに比べれば今回のハロウィンは殆どが偽物のカボチャで可愛いものだ。
しかし他校の生徒から見れば、やはり異様な光景なのかもしれない。


「学校は勉学に励む場だろう。それをこのような――」
「まあ、こう言う遊び心も時には必要だろ?」


真田らしい発言に、跡部は苦笑しつつそう返す。


「そーっすよ、そんなだから副部長は頑固親父って言われちゃうんすよ!」
「何だと!」


身内からの思わぬ意見に声を上げてしまう真田。
その切原の意見に内心同意しつつ、跡部は「そろそろ本題に入ろうぜ」と割って入った。


真田と切原の二人は、今度行われる合同練習の打ち合わせの為に氷帝を訪れていた。
とは言え、その練習の内容は電話やメールなどで殆ど決められていたので来る必要はなかったのだが、氷帝の施設を使用するので、やはりきちんと直接挨拶をすべきだと真田が言い張った為、「最終調整」と言うことで二人が出向いたのだ。
本来なら部室で打ち合わせを行うべきだったが、今日は部室の奥にあるジムの器具の調整で業者が入っており、やむなく生徒会室に案内したところだった。
幸い今日は跡部と樺地以外の役員は来ていない。
が、こんなことならやはり部室でやるべきだったか、と跡部は一瞬思った。
とは言っても、やはりあの部室も真田には一過言を禁じ得ないとは思うが。






一通りの話を終え、さてでは帰ろうかと真田が腰を上げかけた時、コンコンと言うノックとともに、勢いよく入口の扉が開かれた。
何事かと振り返る二人に、甘い香りが襲う。


「あれ、やば!お客様?」
……同時にドアを開けたらノックの意味がねぇって前から言ってんだろうが」
「ごめんごめん、だってもう跡部と樺地くんしかいないと思ったんだもん」


そう言いながら、さして反省した様子もなくニコニコ笑いながら入って来た少女は、廊下からガラガラとワゴンを引き入れた。
そのワゴンの上には、びっしりとカボチャのプリンが載せられている。
イースターの再来か。
某然とする真田の前で、跡部はあからさまに嫌そうな顔。
しかしその美味しそうな光景を目の前にして、切原は一人「うわ、おいしそうっすね!」とはしゃいだ声を上げた。


「でしょでしょ?結構自信作なんだ!ほら、下にはパンプキンパイもあるよ!」


そう言って、その少女――はワゴンの下からパンプキンパイの入った箱も取り出して見せる。


「おい。お前、さっき、ここにはもう俺と樺地しかいねぇと思ったって言ったよな」
「うん、言ったよ?」
「それなのに、何なんだよ、その量は」
「いやー、ジャックオーランタンを作ろうと思ったんだけど、2回位失敗しちゃって」
「あれはそれ専用のカボチャを使えよ!」
「えー、だって、どこで手に入るかよく分かんなかったし」


跡部の青筋など気にもせず、はそのプリンを三人の前のテーブルに置く。
確かにカラメルはいい匂いがして、プリンもしっとりとした見た目で、添えられたホイップクリームもフワフワとして美味しそうである。
が、物には限度と言う物がある。


「これ、食っていいんすか?」
「どうぞどうぞ!今紅茶のお代わりも淹れるね!」


うきうきと嬉しそうにティーカップを下げる
丸井先輩も来ればよかったのに、と言いながら切原は早速一切れを口にする。
確かに、彼ならこの程度の量であればペロリと平らげてしまうかもしれない。


「何なら、これ全部持って帰って貰って構わないぜ」
「え、まじっすか?すげー旨いっすよ?いいんすか?」
「ああ――」
「あ、うん、持って帰って!どうせ明日も作るし!」


自分の言葉を遮るようにして続けられた彼女の台詞に、跡部は手に持った皿を落としかけた。


「おい、明日も作るってどういうことだ」
「ジャックオーランタン作ろうとして失敗したって言ったじゃん」
「失敗したのは2回だろ?」
「うん、今日の所は」
「……つまり、まだ成功してねぇってことかよ」


こめかみをピクピクさせながら、跡部はハアッと深くため息を吐き出す。
部活の合宿や大会で見ていると、彼の方が周囲を振り回している印象があるが、この生徒会室では全く逆のようだ。


「明日は書記の岡部くんが手伝ってくれるって言うから、きっと大丈夫」


ジロリと睨みつけて来る跡部のことなど全く気にする様子なく、そう言いながら笑顔で紅茶をポットから注ぐ
こう言う光景を見ることが出来ただけでも、今日来た甲斐はあったかもしれない。
ついでに美味しいお菓子付きだ。
切原は跡部との様子を物珍しげに眺めながら、もう一皿目に手を出す。


「こら、赤也っ!お前は遠慮と言うものを――」


後輩の行動を窘めようとした真田に、の一言。


「あれっ、先生、全然召し上がってませんね」
「なっ――せっ、先生ではない!!」


まるでお約束のようなの台詞に、口に入れたプリンを吹き出しそうになる切原。
その前で跡部も紅茶を吹きそうになり、慌てて平静を装った。
普通の女子ならビビってしまいそうな真田の大声にも、は全く物怖じせず、「えっ?違うんですか!?何で制服着てるんだろうとは思ってましたけど」なんて言いながら目を丸くするだけ。


「えーっ、跡部と同い年?本当に?跡部もかなり嘘っぽいとは思ってましたけど、それ以上の人がいるなんて!」
「おい、、客に向かって失礼だぜ。いくら本当のことだからって――」
「お、お前たちは一体何なのだ!」


失礼させてもらう!と真田が立ちあがると、「まあまあ、落ち着いて下さい」とがその腕を引っ張った。
怒鳴る真田に対して、ぐいぐいと強引にソファに座らせるなど、並みの女に出来ることではない。
切原だけでなく、跡部までもが二人の様子を可笑しそうに眺める。


「苛々している時には甘い物が一番ですよ!」


ささ、どうぞ、とはプリンの載ったお皿を真田に差し出す。
一体誰のせいで苛々していると思っているのだ。
更に苛々しながらも、真田はそのお皿を受け取った。
彼の睨みなど全く意に介さないで「この紅茶も美味しいですよ!」とティーカップをスタンバイさせているを見ると、何だかだんだんと怒っているのが馬鹿馬鹿しく思えて来る。
真田は小さく咳払いを一つし、フォークでプリンを一欠片口に運んだ。


「む……」
「む?」
「うむ……うまい、な」


彼はそれ程洋菓子が得意な方ではない。
が、このプリンは確かに美味しかった。
カボチャの香りと淡い甘み、そしてカラメルの苦味が絶妙だった。


「よかったぁ!」


真田の顔は、おおよそ「美味しい」と言う感想を表現するような表情ではなかったが、その言葉を聞いて、は嬉しそうにパッと顔を輝かせた。
これだけの至近距離でそんな全開の笑みを見せるのは反則だろう。
そう思ってしまうほどの表情に、真田は一気に赤面。
その直後に、向かいの席から白けたような、冷え切ったような声。


「言っとくが、持ち帰っていいのはそこにあるパイだけで、そいつは対象外だからな」
「あははー、うまーい、跡部」
「……それ、うまいんすか」
「なっ、そっ、そんなんではない!!」


真っ赤になって叫ぶ真田に対して、はまるで他人事のようにカラカラと笑う。
跡部は口調こそ冗談めかしていたが、目は全然笑っていない。
その三人の温度差を切原が面白がって見ていると、またがあっけらかんとした声で言った。


「あ、今度のその合同練習に差し入れしよっかな」
「……明日は岡部が手伝うからもう失敗しねぇって言ったのは、どこのどいつだ」
「ハロウィン当日用にお菓子も作ろうと思ってたから、その試作品を持って行こうと思ったんだけど。だめ?」
「それは食えるもんなのかよ」
「たぶん」
「合同練習で集団入院とか、シャレになんねぇだろうが」
「大丈夫、大丈夫」


笑いながら、彼女は跡部のカップをひょいと取り上げ、お代りを注ぐ。
結局「勝手にしろ」と言ってしまう跡部は、やっぱりに甘い。
切原が「楽しみにしてるっす」と言いながら、もう一皿目に手を出した時、跡部にチラと睨むように見られた気がした。
隣りの真田は何か言いたげに口を開きかけたがすぐに閉じ、微かに赤くした顔を俯かせて黙々とプリンを食す。


今度の練習ではちょっと面白い光景が見られるかもしれない。
学校に戻ったら皆に報告しなきゃな。
そんなことを思う切原。


「あ、先生、ノルマはあと二皿ですよ!」
「だから、先生ではない!」


でもやはり真田の方が分が悪いか?
立ち上がって抗議する真田に、けたけたと笑う
お茶を一気に飲み干した後、切原はちょっとだけ苦笑した。