キセキ




部活が終わり、皆が部室で着替えをしている中、ひと際難しい表情をしている真田。
部活中は普段と特に変わりないように見えたが一体どうしたのだろうか。
皆がチラチラと気にする中、柳が代表して声を掛けた。


「弦一郎、そんな難しい顔をしてどうしたんだ」


どうやら自覚をしていなかった真田は、柳の言葉に「別に難しい顔などしていない」と否定するが、ロッカーに向き直ってまた眉間に皺を寄せる。
そんな真田を面白がってか、幸村が「何か悩み事かい?」と言ってフフと小さく笑う。
その台詞に、丸井が何かを思い出したのか「あっ」と声を上げてロッカーの扉を閉めた。
そして真田の方を向き、冗談めかした笑い。


の誕生日プレゼントでも考えてんのか?」


まさかそんなことはないだろうと思って発した台詞に。
今まで見たこともないような真田の動揺の表情。


「丸井、な、なぜそれを――っ」
「え、マ、マジ……?」


不意打ちについ取り乱してしまった真田は、丸井の引き攣った顔に我に返り、慌てて咳払い。
やや乱暴にロッカーの扉を閉めて帽子を目深に被り、鞄を肩に掛ける。
そして何事もなかったかのように部室を後にしようとして――入口で幸村に阻まれた。


「ふーん、さん、誕生日なの?」
「確か今週の木曜だったはずだぜぃ?」
「よっ、余計なことを話さなくていい!」


にっこり笑みを浮かべる幸村に、真田に代わって横から丸井が答える。
普段は怖い真田の怒鳴り声も、真っ赤な顔をしていては全く迫力がない。
そんな彼を見ながら密かに笑いを堪える幸村に、隣りにいた柳はやれやれと小さなため息。


「しっかし、丸井先輩、よくさんの誕生日なんて知ってましたね」


ネクタイを適当に締めながら飄々と話すのは切原。


「あー、この前話してんの聞いた」
「丸井っ、いい加減にせんか!」


丸井とは同じクラスで、しかも今は席も近いので友達との会話が偶然耳に入ってもおかしいことではない。
睨みつける真田に、丸井はガムを膨らませるだけ。


「で?プレゼントは決まったのかい?」
「ゆ、幸村――っ」
「その様子だとまだ決まっていないようだね?」


笑いながらも入口を足で塞ぎ、通す気はないらしい。
幸村は時折こうやって人をからかって面白がるところがある。それも徹底的に。
その標的は専ら真田や切原だったりするのだが。
困ったものだと額に手を当てる柳と、その後ろでおろおろした様子の桑原。
皆の様子をニヤニヤと可笑しそうに笑って眺める仁王の隣りで、身なりをキチンと整え終えた柳生はフムと眼鏡を上げた。


「確か彼女は図書委員ではありませんでしたか?やはり本がお好きなんでしょうか」
「女って言ったら、やっぱアクセサリーとかなんじゃないっすか?」
「いや、彼女がそう言った装飾品を身に着けていたと言う記録はないな」
「へえ、柳、さんのデータまで取ってるんだ。それを真田に教えてやったらどうだい?」
「ヒントを提供してやらないことはないが、こう言うのは自分で選ばねば意味がないだろう」


好き勝手言ってくれる。
真田は不機嫌さを隠そうともせずに鞄を背負い直す。
柳の言うことはもっともで、だからこそ真田もこの数日間は一人で悩んで来た。
しかしどうしても彼女の喜びそうなプレゼントと言うものが思いつかない。
チラリと仁王の方を見る真田。
その視線の意味を察した仁王は、心の中でほくそ笑みながらも淡々とした口調で言った。


「まあ、あの子には女の一般的な好みは当てはまらんじゃろ」


この中で一番女心を分かっていそうなのは仁王だろう。
しかし彼もまたもっともなことを言う。
それ以前に、彼は確かに女性の交友関係は幅広いが、あまり自分から何か女性に贈った経験はないので、本当はあまり意見は参考にならないのだが。


「そうだね、彼女、あまり欲がなさそうだから」
「幸村……もう放っておいてくれ」
「皆、初めて出来た真田の彼女の誕生日プレゼントを真剣に考えてくれてるんじゃないか」


とても真剣には見えない笑みを浮かべた幸村に、部活での10倍以上の疲労を感じる真田。


「何せ、俺たちは愛のキューピッドだし?」


それは単に俺たちの勘違いで強引にくっつけたと言うだけの話ではないのか……。
その言葉に即座に心の中で突っ込みを入れたのは、柳。
真田とは一年と二年の時に同じクラスだった。
あの生真面目な性格から女子だけでなく男子からも恐れられていた真田に、彼女は初めから他のクラスメイトに話すのと変わらない調子で話し掛けていた。
一年は真田と同じ風紀委員で、今年に入るとたまにテニス部の練習や試合を見に来たりして、「もしかして彼女は真田を好きなのではないか?」と最初に言い出したのは確か切原だ。
最初は冗談でそう言っただけだったのが、面白そうだからとそれに便乗したのが丸井と仁王。
委員が一緒なのは単なる偶然で、試合を見に来たのは単に仲の良い友人が仁王の応援をしたくて彼女を無理やり引っ張ってきただけだろう。
柳は冷静にそう分析し――事実その通りだったのだが――、最初は幸村も興味なさそうにしていた。
それが、一度彼女と気まぐれで世間話をして、何をどんな風に気に入ったのか、幸村まで「彼女ならお似合いだよね」などと言い出した。
真田の方はそんな風にテニス部で騒がれる前から多少彼女を意識していたようだが、幸村がそう言い出してからは、皆で本格的に二人をくっつけようとして――実際、一ヵ月程前にくっついてしまったのだった。


「いや、ここは柳の言ったとおり、俺が自分で考えねば意味がない」
「ふーん。ま、いいけど。変なもの贈って幻滅されないようにね?」
「いえいえ、きっとさんでしたら、真田くんが真剣に選んだプレゼントであれば何でも喜びますよ」
「だといいけど」
「精市……」


冗談だよ。
そう言って可笑しそうに笑う幸村。
帽子の下で困惑の色を浮かべた真田の目を見て、ちょっと苛めすぎたかと反省する。
その反省は、たぶん部室を出た途端即座に忘れ去られると思うが。


「何かあったらいつでも相談してよ」
「でも幸村部長の考えるプレゼントって、何か怖そうですよね」
「何か言ったかい、赤也?」
「い、いえ、何でもないっす!」
「――皆、かたじけない」


幸村の言葉に絆される真田。
何度も痛い目に遭っているはずなのに、根が悪い人間でないせいか、何度も騙されてしまう。








――しかし、本当に一体何を贈ったらいいのだろうか。


皆と別れた電車の中、真田は一人になって考える。
中学生なのだから高価なものは好ましくない。
手書きの書は止めておけと、先ほど別れる間際に皆に釘を刺された。
一体何を贈ったら彼女は喜んでくれるのだろうか。
笑って、くれるのだろうか。
電車の窓ガラスに映った自分が目に入る。
こんな、女性への贈り物のことで悩むなんて――たるんどる。
心の中で自分をそう叱りつけるが、しかし、こうやって悩んでいる時に彼女のことを思うと、何となく温かい気持ちになって、それが心地よかった。


確かに彼女に交際を申し込んだきっかけは幸村たちのお節介のせいもある。
しかしそれ以前に彼女のことは一年の頃から――入学当初から気になっていた。
いつもきちんとした身なりで、背筋をピンと伸ばして、自分の目を見て話してくる彼女。
風紀委員では一緒に仕事をして、今年になって試合を見にきた彼女を見つけて、切原が言う前に、もしかして少しは自分を意識してくれているのではないか、実はそんなふうに自惚れた考えを抱いてしまっていた。
切原や丸井に騒がれて、幸村にまで何だかんだと言われて、その気になってしまったと言うところはある。
とはいえ、遅かれ早かれ彼女には自分の思いを告げていたのではないだろうか。
吊革に掴まる自分の姿を前に、真田はそんなことを思う。
しかし――彼女が自分を受け入れてくれたのは。何と言うか、奇跡に近い。
口元の緩む自分に気づき、慌てて表情を引き締めた。








「――で、決まったの?プレゼントは」


次の日の部活の後、再び幸村が聞いて来た。
その後の沈黙が何よりもの回答。
「おいおい、誕生日は明日だろぃ?大丈夫かよ?」と言う丸井の顔は、どう見ても面白がっている。


「油を売っている場合ではないな。早く帰って準備せねばなるまい」
「俺たちも付き合おうか?」
「ム……し、心配に及ばん」
「とか何とか言ってー、本当に大丈夫なんすかー?」
「あ、赤也!お前は人の心配をしている場合か!聞いたぞ今日の英語の小テストで惨憺たる結果だったそうではないか!」
「うへー……やぶへび」


真田の攻撃を避けるように肩をすぼめ、切原はそそくさと部室を後にした。
「まったく、仕方のないやつだ」とぶつぶつと言い、何気なく話題を変えたいと願う真田に、そんなことさせるわけないじゃないかと言わんばかりの幸村の笑顔。


「ふふ……君の評価も惨憺たる結果にならないといいけど」
「精市……」


冗談だよ。
そう言って昨日と同じように可笑しそうに笑う幸村。
やはり昨日の反省は忘却の彼方へ消え去ってしまったらしい。


「直接に聞いたらええじゃろ」


面倒だし。
言外にそんな言葉を含んだ仁王の台詞。


「いえいえ、やはり初めての贈り物ですから、真田くんが選びたいのでしょう」
って何か可愛いイメージだし、可愛いものがいいんじゃないか?」
「へえ、ジャッカルはさんを可愛いって思ってるんだ」
「え、あっ……いや……っ」


こちらもやぶへび。
桑原は幸村の笑顔から視線を逸らし「あ、俺、ちょっと用事があるんだった!」と慌てて部室を去って行く。


「とにかく……俺も先に失礼する」
「ああ、そうだな」
「健闘を祈っているよ」


最後の幸村の言葉に、また絆される真田。
根が悪い人間でないだけに、連日で騙される。


今日もまた、真田は昨日と同じ車両で手すりに掴まり、窓ガラスに映った自分を見る。
眉間に皺を寄せて。
しかし、どこか口元がむずむずとこそばゆいような。
結局昨日から何の進展もない。
何を贈ってよいのか皆目見当が付かない。
どうせなら喜んで欲しい。笑顔を見せて欲しい。
そんな欲張りな気持ちが、どんどんハードルを上げて行く。
はあ……とため息をつく真田。
しかし困ったような仕草をすればするほど、口元が綻ぶ。
いかんいかん。
首を横に振り、顔を引き締めた。








翌朝、はいつものように朝食を済ませ鞄を手に玄関へ向かう。
その時にキッチンから母親の声。


「今日は早く帰って来なさいね」
「うん、分かってる」


誕生日の夜は、家族皆でケーキやご馳走を囲んでお祝いをする。
それは彼女が小さい頃からの習慣だ。
靴を履きながら、は元気よく挨拶し「行ってきます」と玄関の扉を開けた。


「――真田くん!」


門扉を開いて外に出ると、そこには塀に寄りかかって立つ真田の姿。
の姿をみとめると身を起して帽子を目深に被り直した。
彼がの家に来たのは一度だけ、帰りが少し遅くなってしまって家の前まで送って来た時。
なのでもちろん朝に彼女を迎えに来たことなどない。
驚きと喜びで、はパタパタと真田に駆け寄った。


「おはよう!どうしたの?」
「ああ……いや、うむ……おはよう」
「朝練は?」
「今日は休みだ」
「そうなんだ」


ぶっきら棒な様子で話す真田にも、嬉しそうに目を細めて笑う彼女。
少し照れているのかその頬はうっすらと赤く見える。
そんな彼女に、自然と真田の目も和らいでしまう。
しかし今日は真田の方がプレゼントを貰う方ではないのだ。
帽子のつばを掴み、慌てて咳払いする。


「いや、その、実は……だな」
「うん?」
「その……うむ……」
「どうかしたの?」


今度は真田の顔がどんどん赤くなっていく。
一体どうしたのか、さっぱり見当の付かないはそんな真田に驚くばかり。
少しだけ首を傾げて、彼の言葉を待つ。
その真っ直ぐな視線を見返すことが出来ず、真田は彼女に背を向けた。


「実は……その、誕生日のプレゼントと言うものを、まだ……用意できていないのだ」
「え?」


予想もしなかった台詞に、思わずは素っ頓狂な声。
そんなこと?
そう言いかけたけれど、どうやら真剣らしい真田の前で言葉を飲み込んだ。


「それで、だな」
「う、うん……?」
「その……」


祝いの言葉は、誰よりも先に言いたかったのだ。
彼らしからぬ、消え入りそうな声で発されたその台詞に、彼女は目を大きく見開いて、そして真田に負けない位に顔を赤くした。
そんな彼女の横で深呼吸する真田。
そして彼の口からはいつも通りの凛とした声。



「は、はいっ」
「誕生日――おめでとう」


照れながら、まだ顔の熱が冷めないまま、それでも彼女の方に向き直ってそう言う真田。
これって、きっと、何よりものプレゼントだ。
彼女は緩む口元を隠して、スカートの裾をきゅっと掴んだ。


「ありがとう」


実は、彼が自分の誕生日プレゼントのことで悩んでいるのは昨日から知っていた。
それはテニス部員の何人かが彼女のもとへ来たからだ。


先輩の欲しいものって何すか?」
さんはどのような本が好きなのですか?」


密かに聞き出して真田に伝えることで貸しを作るのだと馬鹿正直に話した切原。
全然「密か」になっていないのだが。
そう苦笑しながら、特にないと答えた。
図書室で会った柳生の質問には、最近読んだ本の話をした。


「ああ、さん、明日誕生日なんだってね。おめでとう」


実は前日に真田より先にお祝いの言葉を言ってしまったのは幸村。
続けて、一緒にいた柳にも言われてしまったのは、真田には内緒にしておいた方がよいだろうか。


って、欲なさそうだよな」
「ケーキ貰ったら、俺も食うの協力してやるから」


丸井と、彼に用事があってクラスに来ていた桑原からはそんな台詞。
本当に真田くんは皆に愛されてるなぁ。
は自分のことのように嬉しくなった。


「で、では学校に――行くか」
「うん」


何となくいつもより慌ただしい感じの歩調の真田に、も慌ててついて行く。
手を繋いだら――破廉恥だって怒られるかな。
空いている方の手を見て、クスクスと笑いながら彼女はその袖口をそっと掴んだ。


「真田くん。私ね、欲しいプレゼントがあるんだけど」
「む……な、何だ?」
「うん。あのね、下の名前で呼んで欲しいな」
「な、名前!?」
「うん」


付き合い初めて約一ヵ月。
二人の呼び方は以前のまま「」と「真田くん」。
いつか自然に変わるのかな、と思ったけれど、これはいいチャンスかもしれない。
駄目かな?
窺うような、期待するような彼女の目に、真田は足を止めて困ったように眉根を寄せた。
そしておさまりかけていた頬の赤みが再燃。


「それは、おいおい……」
「今じゃ駄目?」
「む……」


一層深い眉間の皺。
覚悟を決めたように口を真一文字に結ぶ。
そして、口をゆっくりと開いた。


「……


宙を睨んで、恋人の名を呼ぶにはあまりに険しい顔で。
けれどその声に含まれる柔らかな感情は、そんな表情では隠しきれない。
照れ隠しに、オーバーな咳払いをする真田に、綻ぶ口元を堪えきれず、は袖口を掴んでいた手にギュッと力を込める。


「えへへ……」
「へ、変な笑い方をするんじゃない」
「ごめん」


一年の時に風紀委員になったのはじゃんけんで負けたからで、試合を最初に見に行ったのは友達に連れられて。
確かにきっかけはどれも偶然だけれど、彼女が彼を自然と目で追っていることに気づいたのは、テニス部の皆や真田に何かを言われるずっと前のことだ。
だから、真田に交際を申し込まれたのは――何と言うか、奇跡に近い。


「ありがと」


好きになってくれて。
今日を祝ってくれて。


「――遅刻する。急ぐぞ」
「うん」


一瞬袖口から離れた彼女の手を握って、真田は歩きだした。