trick,trick




さん、トリックオアトリートです!」


放課後、奥のテニスコートへ続く小路。
その先の木蔭から、壇の元気な声が聞こえて来た。
そして、続いて女の子の明るい声。


「はい。ハッピーハロウィン!」


その声の主が誰か、姿が見えずとも千石にはすぐに分かる。
つい、笑みが漏れる。


「わあっ!ありがとうございますです!」
「あはは。ただのチロルチョコだけどね」


壇はきっと先輩の誰かに話を聞いたのだろう。
ハロウィンには、マネージャーのがお菓子を持ち歩いていること。
Trick or Treat と言うと、それを貰えるということを。


からお菓子が貰えるかもしれないと、思い切って言ってみたのかもしれない。
もしくは、先輩たちに何やかやと追いたてられたのかもしれない。
壇の場合なら、後者である確率が高い。
いや、後者であって欲しい。
ライバルは、少ない方がいいのだから。
千石は一度立ち止まってひっそりと深呼吸し、そしていつものように軽い足取りで二人の声のする方へと近づいて行った。


「やあ、壇くん、お菓子を貰ったのかい?」
「はいっ!」


振り返った壇の顔は、本当に嬉しそうだ。
「そんなに喜ばれると、逆に申し訳ない気がしちゃうけど」とは思わず苦笑い。
でも、千石には壇の気持ちも分かる。
から小さなプレゼントを貰える幸せな気持ち。


「じゃあ、僕は部活の準備して来るです!」


壇はもう一度にぺこりと頭を下げてお礼を言い、コートの方へと走って行く。
その元気な後ろ姿を眺め、ニコニコと笑っている


「ホント、壇くんって可愛いよね」


ずっとあのままでいて欲しいなぁ。
千石も、確かにそう思う。
そう言いながら微笑むも好きだ。
が、ほんの少しだけ、複雑な気分。


が千石の方に向き直る。
目が合う前に、慌ててモヤモヤとした気分を隠し、いつものように笑う。
そして、見透かされる前に、今日が他の人間に何度も言われただろう台詞を口にする。


ちゃん、Trick or Treat ! 」


が、その後の彼女の反応は、千石が予想していたのとは全く違うもの。
てっきり、ついさっき壇にした様に、チロルチョコをポケットから取り出し、にっこり笑って「ハッピーハロウィン!」と言ってくれるものだと思ったのだが、は千石の前で目をクルリと大きく見開いた。


あ、あれ?


千石は何とか笑みを顔に貼り付けたままではいるが、戸惑いのために冷や汗が出る。
何かおかしかったかな。
しかし、次のの台詞に、さらに困惑。


「チロルチョコ、さっきので最後だよ!」
「え、えーっ!」


決してお菓子が終わってしまったことに対する抗議ではなく。


ハッピーハロウィン、千石くん!
いやー、ありがとう。ちゃんからお菓子が貰えるなんて嬉しいなぁ。
もー、相変わらず千石くんは上手いんだから!
いやいや、本当だって。


そんな展開を――展開のみを想像していたので、お菓子がないと言うのは全くの想定外。
いつもの彼なら、いや、相手が他の女の子なら、すぐさま「よーし、じゃあ、悪戯しちゃうぞー」「えー、やめてよー」と言う展開に持っていけたのかもしれない。
もしくは「残念だなー」の一言で、あっさりその場を去る可能性もありだ。
しかし、何故だかこう――彼女の前だと思うようにいかない。


「じゃあ、悪戯していいよ」
「えーっ!?」
「ええっ!?」


二人で同じようにビックリした声。
Trick or Treat って、そう言う意味だよね?
彼女の言葉に、まあ、確かにそうなんだけどと千石はもごもご言うが、これも全くシミュレーション外で、かっこ悪く戸惑うばかり。


「じゃあ、私が悪戯しちゃうよ?」
「ええぇっ!?」


それじゃあ全然意味が違うじゃないか。
そんなツッコミを入れることも忘れ、思いも寄らないの言葉に、驚きの声を繰り返すだけ。


ちゃんに悪戯されるなんて嬉しいなぁ。もうどんどんしていいよ!
もうやだー、千石くんったら!


そんな風に冗談ぽく受け流せばいいのに。
普段ならそれくらい出来るはずなのに。
今は完全に間に受けて、オロオロするばかり。


悪戯。
ちゃんに悪戯。
するのもされるのも、もちろん嫌じゃないって言うか、寧ろすごく嬉しいんだけど。
いやいや、何を考えてるんだよ、俺!


もう笑顔を作るのを忘れて、困惑の表情でを見下ろす千石。
そんな彼をじーっと見つめる


しばしの沈黙。


何か言わなければと口をパクパクしては閉じる千石に、はぷっと吹き出した。


「冗談だって。そんなに困らないでよ」
「え……」
「ホント、千石くんって可愛いよね」
「え……」
「もー!ちょっと!練習始まるよ!」


バシバシと背中を叩くの手に、千石はようやく動くことを思い出したかのように歩き出す。
きっと、自分は赤い顔をしている。
今すごくかっこ悪いことに気付き、何とか反応を返そうとする。


チラとを見る。
自分と同じ赤い顔。


「いっつも千石くんにやられっ放しだから、仕返ししようと思ったの!」
「ええ?ひどいなぁ」


真っ赤になって自分の背中を押すに、千石は少しだけいつもの自分を取り戻す。
胸の辺りがくすぐったくて、自然と口元に笑みが浮かぶのを堪え切れない。


「……だけど」
「え?」


別に冗談じゃなくてもいいけどね。
聞こえるか聞こえないかくらいの彼女の小さな声。
くすぐったかった心臓が一瞬跳ねたように感じたのは、その言葉にか、ポケットからのぞいたチョコレートにか?