クリスマス -宍戸-




温かい日差しの降り注ぐ冬の日の午後。
宍戸は思い足取りで食堂へと向かう。
本当なら期末テストも終わって思い切り部活に励めると言うのに、何故補習なんか受けなくてはいけないのか。
彼らしくなくのろのろとした歩調が、その憂鬱さを物語る。

期末テストの最終日。
そんな晴れ晴れした日の午後に、テーブルマナー講座の補習があった。
どちらかといえば「参加することに意義がある」というような講座。
テストと言っても参加した皆で一斉に食事を取り、その様を数名の教師がチェックするだけのもので殆どが合格。
そんな中で、見事に宍戸は補習対象者に選ばれてしまった。
こう言うの苦手なんだよなぁと一緒にぼやいていた向日はあっさりとパス。
裏切り者め、とこんな所で恨み言を言っても相手に届くはずもない。

食堂に行くと、入り口の所で教師がしっかりと出欠を取っていた。
そして自分の座るべき場所も指定される。
これでは出欠だけ取ってばっくれると言うのは無理そうだ。
宍戸は覚悟を決めて、指定された席へと向かった。

もともと学生食堂とは思えない豪奢な空間ではあるが、今日は綺麗なテーブルクロスまで掛けられ小さな花まで飾られ、そしてナイフやフォーク、お皿がずらりと並べられていて、ちょっとしたフレンチレストランのようだ。
しかも小さくクラシック音楽まで流されてしまっている。
どれを取っても宍戸の緊張感を煽るものばかりだ。奥へ行けば行くほど肩に力が入って来る。
自分の席に座ろうと思ったら、普段はいない給仕が近づいて来て宍戸より早く椅子をすいっと引いた。
まさかもう試験が始まっているのか?
冷や汗がたらり。
もう、この初っ端から苦手なのだ。別に椅子など人に引いてもらわなくても自分で出来るし、座る時だって自分で椅子くらい引ける。
ぎこちない動作で椅子に腰掛け、宍戸はとりあえず給仕に礼を言う。

少し時間が早かったのか、他の生徒はまだ二三人しか来ていなかった。
いや、もしかしたら補習を受ける生徒自体少ないのかもしれない。
いくらマンモス校とは言え、この講座の対象は宍戸の学年だけだし、何せ前述の通り殆どが合格する代物だ。
大きな丸テーブルの前で一人ぽつんと佇む宍戸。
一分一秒でも早くこの場から去りたいと言うのに、何故人より早く来てしまったのか。
ついつい約束の時間の10分前には来てしまう癖が出てしまった。
目の前の皿を睨みながら宍戸は自分の愚かさを嘆く。

そうして時計の針がほんの少しでも早く進むよう念じながらじっと下を向いていると、斜め向かいに人の座る気配。
テーブルクロスの擦れる音と、椅子がカーペットを滑る音に宍戸が顔を上げる。
と、そこには去年同じクラスだった
あまりに予想外の人物の登場で、宍戸は目を見開くだけで言葉を失ってしまった。
どう考えても彼女はこんな補習に出るようなタイプじゃない。と言うか「補習」と名のつくものには縁がないような子だ。
そう言う隙のなさ故に何となく敬遠して殆ど会話らしい会話を交わしたことがない位だ。

の方もまさか知り合いが来ているとは思っていないのか、姿勢を正して真っ直ぐ前を向いたままだ。
そのピンと伸ばされた彼女の背すじに、ああ変わらないなぁと懐かしくなり、少しだけ緊張がほぐれた。
ふと表情を緩める宍戸の前で、はふうと息を吐き出し、ほんの少しだけ宍戸の方に顔を向けた。が、やはりまだ知ってる顔が座っているとは思ってもみないようで、そのまま顔を元に戻そうとして――宍戸の視線に気が付いた。

「え……宍戸くん?」
「……よう」

気まずそうな笑みを浮かべる宍戸の横で、は驚いて目を見開いたまま。
それからちょっとして目を細めて微笑んだ。

「びっくりした。宍戸くん髪切ったんだね。気付かなかった」

つまりは彼女と宍戸が最後に顔を合わせたのは夏以前の話で、元クラスメイトと会う頻度など、その程度のものだ。
「おう。まあな」と宍戸は照れ隠しのような苦笑い。

がこんな補習に出るなんて珍しいな」
「そうかな。実は講座当日、具合が悪くて早退しちゃったんだ。とてもかしこまってご飯が食べられる状態じゃなかったから」

肩をすぼめて笑う彼女に、ああなるほどと宍戸は納得する。そう言う理由ならここにいるのも納得が行く。

「でも宍戸くんも補習に出るってイメージじゃないよ?」
「いや……俺はほんとこう言うの苦手なんだ」
「そう?でもそうやって座ってる宍戸くん、サマになってるよ?」
「そんなわけないだろ」

サマになってるって言うのは、今のみたいなことだ。そんなことを心の中で呟きながら再び苦笑い。
の方は、ほんとなのになぁと独り言のように言って天井のシャンデリアを見上げた。

ぽつぽつと生徒が集まり、ピシッとスーツを着た、講師らしき女の人も入って来る。
笑顔だけど目が笑っていない、細かい事に口うるさそうな、もとい、厳しそうな講師。
どことなく萎縮したように見える生徒たち。

もうこの雰囲気自体が苦手だ。
跡部の家や別荘でコース料理を食べることもないことはなく――跡部の家で食事をするとなると大体決まってナイフとフォークだ――その時は慣れないながらもそれなりに普通に食事が出来ているし美味しいとも思えるのに、こう言う場だと忽ち混乱し味覚までも麻痺してしまうと言うのは、一体どういうことなのか。
ため息を吐き出しているうちに、前菜が運ばれて来る。
宍戸は慌ててナプキンを膝に乗せる。
目の前に置かれたのは、生ハムにキノコのマリネに小魚のフリット。そしてグリーンサラダ。
大体想定どおりだ。
一番外側のナイフとフォークを掴み、慎重な手つきでグリーンサラダをフォークに乗せようとする。
そんな眉間に皺を寄せている宍戸の横から、「すごい、盛り合わせなんだ」と感嘆の声。

「グリーンサラダがちょこんと出て来る程度なのかなと思ってた。本格的なんだね」
「だよな。何もこんなに景気よく盛りつけなくてもいいのによ」

しかしグリーンサラダだけと言うのも結構な苦行だ。
葉っぱをフォークに乗せて口に運ぶ作業を繰り返し強いられるのはつらい。
難しい顔をしてそろりそろりとフォークを口元へ運んでいると、今度は「ふふ、そうだね」と小さな笑い声。
横を見ると、がひょいと生ハムを口の中に入れるところだった。
うん、美味しいと頷く彼女に宍戸は思わず拍子抜けする。

「ったく、暢気だなあ、お前」
「ええ?宍戸くんが可笑しな表現するんだもん」

笑いながらも慣れた手つきでナイフとフォークを使いこなし、一つ一つ片付けて行く
「別に可笑しくなんかないだろ」と言いながらついつられて笑う宍戸も、気が付けば普通に食べ終わっている。
この前は前菜一皿攻略するだけでぐったりと疲れてしまったはずだったが。
空になった皿を片付ける給仕をポカンと見上げてしまう宍戸に、また彼女は小さく笑った。

「どうしたの?物足りなかった?」
「ば――っ、そんなんじゃねえよ」

口をへの字に曲げる宍戸の前に、今度はすぐにスープが運ばれて来た。
淡い緑色のポタージュ。
この外側のスプーンで音を立てずに飲み干せばいいはずだ。
普段だってスープを音を立てて飲んだりしないのに、こんな場だと妙に慎重になる。
スプーンを手に取り恐る恐るスープ皿に差し込もうとした時、隣りから「綺麗な色だね」とまた暢気な声が聞こえて来た。
訝しげに顔を向ければ、が同意を求めるような視線を送って来る。

「そ、そうか?」

宍戸はスープ皿に視線を落とす。正直ポタージュの色などどうでもよかったのだが、確かにそう言われれば、普段あまり目にしないような色の液体だ。
同意のようなそうでないような曖昧な返事をしていると、傍にいた給仕が「グリンピースのポタージュです」と短く料理名を告げ、ほんの少しだけ微笑んだ気がした。
料理を運び自分たちを評価するだけのロボットか何かのような気になっていたが、そうか、やはり普通に笑うのだな、と当たり前のことに気付く。

「すごい、美味しいよね。もしかしてこの辺りの料理も跡部くんの家のコックさん監修だったりするのかな」
「ああ、ありうるよな。あいつ食いもんにはホントうるせーからよ」

いや別に食いもんだけじゃねーか。
ぶつぶつと言い直すと「跡部くんと仲悪いの?」とくすくすと笑う声。

「ホントにうるせーんだって!拘りどころが俺たち庶民には理解出来ないって言うかさ」

思わず力説してしまうと、隣りを通りかかった講師に小さく咳払いをされてしまった。
やばい。
宍戸も咳払いし神妙な顔つきでスプーンを持ち直す。
しかしの方はまた可笑しそうに笑った。

「グリンピースのすり潰し具合とかに拘ってる跡部くんとか面白いね」
「……お前なあ、あんま喋ってると単位落とされるぞ?」
「大丈夫だよ、これくらい」
「ほんとかよ」
「たぶん」

随分頼りねえな。
呆れ顔の宍戸に、肩をすぼめる

「だって、食事って言うのは楽しく取らなきゃ」
「楽しくったってなぁ……」

こんな状況で楽しめって言うのは無理がないか?
やれやれと呆れながらポタージュを掬う。
でも確かに――今、結構楽しいことに気付く。
この前はただの白っぽい液体でしかなかったスープが、今日は味も香りも感じることが出来る。
が、宍戸はあまりグリンピースが好きではないので、これだけは味わいたくなかったところだが。
一瞬顔を顰めたことに気付いたがどうしたのかと問いかけてくるので、素直に白状する。
するとまた彼女は微笑った。

他のテーブルを見渡せば皆一様に緊張した面持ちで目の前の料理とにらめっこしている。
それはそうだ、殆どが一度は不合格という烙印を押されている生徒なのだから、次はないと緊張するのは当たり前だろう。
けれど――きっとそう言うことではないのだろうな、と宍戸は思う。
別に彼女がこんなふうに普通に笑いながら食事が出来るのは、合格とか不合格とか、関係ないのだろう。

「ここだけレストランみたいだよな」
「うん、何だか宍戸くんと――」

宍戸の言葉に頷いて、が何かを言いかける。
けれどそれは最後まで続けられることなく、は途中で俯いた。

「どうしたんだよ?」
「ううん、何でもない」

そう言って上げられた彼女の顔は少し赤くて、けれどまたすぐに元通りの笑顔になったので宍戸はあまり気にとめなかった。
すぐにメイン料理が運ばれてきて、気にするどころではなかったと言うこともある。
でも、この後のメインの魚料理からデザートまでも、あまり緊張せずに済んだ。
この雰囲気はやはり慣れないが、先日みたいに「早く終われ早く終われ」と念じることもなく。

「どうしたの、宍戸くん?」

最後の最後、講師が全員の合格を告げてにっこりと笑った時、ほっとするより何より、拍子抜けした。
皆が疲労感と解放感に満たされて席を立つ中、何だか複雑な顔をして立ち上がる宍戸。
そんな彼を見ては小首を傾げた。

「いや……何かあっけねぇなと思ってさ。俺別に何もしてねぇのに」
「ご飯食べるのに、特別なことなんかしなくていいんだよ?」

おかしな宍戸くん。
くすくすと可笑しそうに笑って言うの台詞に、宍戸は「そっか、そうだよな」と今さらのように頷く。
特別なものなんか何もないのに、特別だと思い過ぎて苦手意識ばかりが先行して、きっと、前回はガチガチに緊張しすぎていたのだろう。

「――でも、宍戸くんが一緒でよかった」

食堂を出る時、並んで歩いていたがちょっと躊躇った後、そう言った。
意外な台詞に宍戸が驚いた顔をすると、彼女は少し恥ずかしそうに笑う。

「本当は結構憂鬱だったんだけど」
「ええ?そうは見えなかったぜ」
「ほんとだよ!だって、知らない人たちと顔合わせながら食事するなんて、それだけで緊張するもん」
でもそうなのか?」
「そうだよ!でも宍戸くんがいてくれたおかげで緊張しないで済んだよ。ありがとう」
「いや、礼を言うのは俺の方だって。が同じテーブルだったおかげでマジで助かった」

彼女がいなかったら、この前の繰り返しでボロボロだったかもしれない。
いや、確実にそうだっただろう。
あの食堂に入った時の空気。針のむしろの上に座らされたような感覚。
けれど――他の知り合いでも同じように緊張が解れたのだろうか?

「でもってマイペースって言うか、肝が据わってるよな」
「ええっ?そんなことないよ」
「いや、そんなことあるだろ。まさかそう言うヤツだとは思わなかったぜ」

はは、と笑いながら宍戸が言えば、は「そんなことないのに」と口を尖らせる。
その不満げな表情がまたどこか愛嬌があって、笑いを誘う。
去年はどんなヤツかも理解しないまま、勝手に敬遠して、殆ど話もしなかった。
今になって、ほんの少し、宍戸はそれを後悔する。
その時、ふと、さっき彼女が言いかけたことを思い出す。
一度思い出すと何だか無性に気になり始める。

「そう言えば、さっき何か言いかけてやめたよな?あれ、何だったんだ?」
「え?」
「ほら、途中でさ……いつだったっけか、確かメインが出てくる前くらいに俺がレストランみたいだなって言った時のことだよ」
「え?……あ、ああ……忘れちゃったよ」

そう言って上を向く彼女。
その顔はだんだんと赤みを帯びて来て、とても「忘れた」と言う表情ではない。
けれど宍戸は素直にその言葉を信じ、まあ、そりゃそうだよな、と納得した。

「ま、いいけどよ」
「……デートみたいだねって」
「え?」
「何だか宍戸くんとデートしてるみたいだねって、言おうと思ったの」
「デ、デート!?」
「ほらー!もう、絶対そう言う反応するだろうと思ったから言うのやめたの!」

さすがに大声出しちゃったらかなり減点されるだろうし。
プリプリと頬を膨らませて、ずんずんと前を歩き始める
その顔はさっきよりもずっと真っ赤だ。
何だよ、こっちまでつられて赤くなっちまうじゃねーか。
宍戸は下を向いたまま大股で歩き、彼女に追いついた。

「で、でもよ、出来ればああいう堅苦しい場所っつうのは、その、デートには使いたくねえよな」
「え?う、うん……まあ、確かにそうだよね」

それにまだ中学生では、レストランで食事なんて言うデート自体も無理だ。
あはは、とぎこちなく苦笑する
だろ?とぎこちなく笑い返す宍戸。

「だからさ、その……違う場所にしようぜ」
「うん?」
「いや、だから、その、デートするなら違う場所にしないかって」

がよければ、だけどさ。
思わず言ってしまった自分の台詞に宍戸はいたたまれなくなり、もごもごと続ける。
も最初目を大きくして宍戸を見たが、すぐに、ふわりと微笑んだ。

「うん。私も、宍戸くんとデートしたい」

ああ、やっぱり、こんな笑顔を見るチャンスをもっと作ればよかった。
ちょっとの後悔と、たくさんの期待。
まだ居心地の悪さを残しながらも、その彼女の笑顔に引き込まれるように、宍戸も口元を綻ばせた。