クリスマス -滝-




さん?」

駅前のバス停で思いがけない人物に出会い、滝は意識せずその名を口にする。
すると、呼ばれた彼女の方は手元の文庫本から顔を上げ、声のした方に視線を向けた。

「滝くん!」

彼女もまた、滝に会うとは思わなかったのだろう、目を大きく見開き、その持っていた本を放り投げてしまいそうな程に驚いた顔をした。
そしてその直後、表情を綻ばせる。

「びっくりした」
「それは僕の方だよ。さんて、家、こっちの方だった?」

つられるように滝も口元を綻ばせて笑えば、彼女はほんの少し躊躇った後、列を外れて滝の後ろに回った。
そんな彼女の背中を押し、すいと、自分の前に促す滝。
滝と彼女が同じクラスになって半年以上。
学校の行き帰りに一緒になったことは一度もなかった。
滝の方は部活があって朝も夜も時間は不規則ではあるが、同じバス停を利用していて全く一緒にならないと言うのも不思議な話だ。
それに、何かの折に確か数駅先に住んでいると聞いて、案外近いのだなと思ったような記憶がある。
「ありがとう」と小さく言った彼女は縮こまるように彼の隣りに立ち、持っていた本を鞄にしまう。

「家はこの先のF駅にあるんだけど、これから英語教室のクリスマスパーティーに行くところなんだ」
「へえ、さん、英語教室に通ってるんだ」
「うん。って言っても、子供同士でただ遊んでるだけみたいなユルい教室なんだけど」

はは、と笑いながら、彼女は眼鏡を小さく押し上げる。
彼女はいつも困ったり照れたりしたとき、そうやって笑いながら眼鏡を押し上げるのが癖だった。

「滝くんは、おうちに帰るところ?こっちの方だったんだ」
「うん、夕方にまた出かけるんだけどね」
「やっぱりクリスマスパーティー?」
「そう。跡部の家でね」
「うわ、何か、すごい豪勢そうだね」
「確かに、初めて行ったときはちょっとびっくりした」

滝が少しおどけた風に言うと、彼女はまた可笑しそうに笑う。
この、少し控えめな、でもどこまでも柔らかい笑みが、自分は結構好きだったのだな、と滝は思う。
そして、それを見ることが出来るのは、もしかしたらあと数ヶ月しかないのだな、とも。
加えて、これから約2週間は偶然の力を借りては決して見ることはできないのだとも。
ついさっきまでは特に意識もしなかったこと。
恐らく何も考えずに漫然と2週間が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、それを失ったことに気付きもしないで――
滝は、すうと目を細める。
馬鹿馬鹿しい考え。
けれど、その馬鹿馬鹿しい考えに、胸が小さくツキリと痛む。

「――バス、遅れてるね」
「うん、そうみたい。年末って何だかバス遅れることが多くない?何でだろ?」

はあ、と手に息を吐きかける彼女。
ふわふわと、白い息が空へと舞って消える。

「これ、使いなよ」

滝が鞄から取り出して彼女に差し出したのは、毛糸の手袋。
「僕は使わないから」と付け足したけれど、彼女は「いいよ!大丈夫!」とぱたぱたと手を振る。

「滝くんが使って?」
「僕は大丈夫だよ、実は結構体温高いんだ」

ほらね。
そう言って、何でもないことのように、自分の体温を伝える為に、彼女の手を軽く握る。
温かいでしょう?と同意を求めるように微笑って見せると、彼女は戸惑ったように俯いて、けれど「そうだね」と言ってちょっと微笑った。

「手袋より、こっちの方が温かいかな」

冗談めかして滝が言えば、彼女は驚いたように瞬きを数度。

「どうかした?」
「……ううん。ちょっと意外だなって思って」
「意外?そう?」
「うん、なんか、もうちょっと、滝くんって、硬派なイメージ」
「あれ。今の僕って、軟派なイメージ?」
「うん。ちょっとだけ」

頬を微かに赤く染めて、がくすくすと笑う。
「自分でも、ちょっと頑張ってるって思う」と滝も笑って言う。

「でも、今だけだよ」

君にだけ。
滝がほんの少し、手を握る力を強める。
の照れたぎこちない笑い声が、空に小さく消えて行く。

さん、やっぱり、手袋も貸してあげる」
「――え?」
「だって、そうしたら、返してもらう口実が出来るじゃない?」

少し離れた交差点に、バスが見えて来る。
滝は微笑ったまま。
この微かな震えが彼女に伝わらないといいと、密かに願って。

「……口実がなくちゃだめ?」
「え?」
「口実がなくちゃ、会っちゃ、だめかな」

何とか笑おうとして。
でもその顔は隠しようもなく、さっきよりも何倍も赤くて。

「私も、ちょっと頑張っちゃった」

そう言う彼女がたまらなく愛おしく思えて。
滝はぎゅっと彼女を抱き寄せた。