当面はこのままってことか




(跡部さんとVS未満…です)






跡部が、一瞬にしてを意識し始めたのはすぐに分かった。


入学式の日、壇上に上がった跡部に周りの子たちが「面白そうな奴」「変な奴」「バカな奴」と様々な視線を向けた。
もそれは同じで、たぶん、眉間に皺を寄せた彼女は一番最後のものに近い感想を抱いていたに違いない。
そしてそれは僕も同じだった。
あんな挨拶、無難に適当にやっておけばいいのにさ。
高笑いしている跡部を見て、僕は呆れていた。


「おかしな子だったね」
「あはは。そうだね」


式が終わって教室に戻る途中、隣りを歩いていたに向って肩をすぼめると、も同じようにして笑った。
その時は、おかしな新入生、位にしか思ってなかったはずなのにね。


それから、学内では――特に女の子の間では、跡部の話題でもちきりだった。
あの派手な容姿。
派手なパフォーマンス。
加えてあの「跡部グループ」会長の御曹司だとか何とかで、学校に多額の寄付をしていた。
幼稚舎にも、沢山寄付をするようなお金持ちの子はいたけれど、あそこまで派手に設備とか色々新しく作る奴も珍しい。
それらを自慢するのじゃなくて、当然だ、と言う風にさらりと流す。
そう言う様が、また女の子の心を擽るらしい。


はそう言ったものに靡く性格じゃない。
周りで女の子たちがキャアキャア騒いでいても、少し距離をおいた感じでニコニコ笑っているだけだった。
確かにすごいとは思うけど、そんなに興味を引かれない。
特に反感を抱くわけでもない。
何て言うか――無関心の大きさをそのニコニコ笑顔で覆っていた。


と僕は幼稚舎からの付き合いだった。
幼なじみって言っていいのかは分からない。
遠い親戚で、小さい頃は年に一度お正月に本家で会うか会わないか位だったんだけど、同じ氷帝に入ってからはよく一緒に遊んだ。
僕の後ろを一生懸命ついて来る様子は可愛い妹のようで、穏やかに笑う様は、時折お姉さんのようにも見えた。


「萩くんは、部活、どこか入るの?」
「うん、まだはっきりとは決めていないけど、この1週間で色々見て回るつもりだよ。は?」
「私はどうしようかな。習い事もあるし」
「そうだね、お家の手伝いも色々あるだろうしね」


の家は舞踊家だ。
昔から何度か発表会などでその舞踊を見たことがあるけど、同い年くらいの子の中では群を抜いて可愛くて、綺麗だ。
物心つく前からそう言う踊りや音楽に触れていて、きっと体に沁み付いていて、すごく、自然なんだと思う。
僕も小さい頃は母親の影響で少しだけ舞踊を習ったけど、を見ている方が好きで、もう自分で踊るのは止めてしまった。


「茶道部とか入るの?」
「そう言うのは家でやるだけでお腹いっぱいだから、出来れば学校では全然違うことをやりたいよ」
「そうだね」


ふふ、と笑って僅かに首を傾げて僕を見る。
は目立つような美人じゃない。
幼稚舎でも、たまにちょっかい掛けて意地悪をして来る奴とかいたけど、誰にでも人気があるってタイプじゃない。
跡部みたいに、すれ違う人をぱっと振り向かせるようなことはない。
けど、こう言う仕草は本当に綺麗で、見とれてしまうんだ。
もう6年以上一緒にいるって言うのに、僕は性懲りもなく見惚れてしまう。


「なぁに?」


じっと見る僕に、恥ずかしそうに微笑う
その顔がまた可愛くて、目が離せなくなってしまう。
こうやって、をじっと見つめていいのは、僕だけだと思ってたのに。








ある日、は家で余ったと言う花や小さな枝を学校に持って来て、それを華道部から借りて来た花器に生けた。
それは今に限ったことじゃなくて、幼稚舎にいる頃からたまにあることだった。
の母親が家の床の間に飾るための花を生けるので、その余りを使ってが簡単に生けるのだ。
けど、中等部の担任の先生はそれをすごく気に入ったらしくって、最初教室の後ろに控え目に飾っていたのに、職員室に持ち出した。
そしてそれを見つけた理事長が、今度は理事長室に持って行ってしまったらしい。


確かにの生け方は、何て言うか、やっぱり控え目なんだけど洗練されているのだ。
これも小さい頃からいつも花を生けている母親を見て来たからなんだと思う。
先生たちが気に入るのも、ちょっと分かる。


「どうしよう、萩くん。今度正面玄関のお花を生けることになっちゃった」
「すごいじゃないか。の腕の見せ所だね」
「緊張するよ……」


机の上で交差させた指は、いつもよりそわそわと落ち着きがなくて、眉は困ったように下がり気味。
けれど、やっぱりどこか嬉しそうで、誇らしげだ。
そんな彼女を見て、僕も誇らしく思う。
はこんなことで怖気づくような子じゃないから。
こう言うところも、僕は好きだった。


放課後、部活の見学を終えた僕は着替えた後、教室に鞄を取りに戻る前に正面玄関へ寄ることにした。
もしかしたらもう生け終わっては帰ってしまったかもしれないけれど、彼女の作品を早く見たかったから。
まだ終わっていなかったら、邪魔をしないように待っていて一緒に帰れるだろう。
そんなことを思うと知らず足取りが軽くなる。


角を曲がると、まだそこにのいるのが見えた。
床にしゃがみ込み、新聞紙の上に広げた花を選んでいるようだ。
真剣に悩みながら1本1本選び取る様が可愛くて、僕は思わず口元を綻ばせ、彼女のもとへ近づいて行こうとする。
けれどその時、柱の影から声が聞こえて――足を止めた。


「こう言うのは、様式とかあるのか」


おおよそ愛想のいい声とは言い難い。
けれど、どこか優しさが滲み出ている。
一体誰だろう?
せっかくの楽しみな時間を奪われた僕は、眉根を寄せながら、目を凝らした。
そうしたら、そこから現れたのは、あの跡部。


「うん、流派にもよると思うけど。あ、でも、これは自由花だから、そんな堅苦しいものじゃないよ」
「ふうん。いけばなって言うのは、よく分かんねーな」
「そう?でも跡部くんはお花好きそうだよ」
「まあそうだな……好きだけど、どうも日本の伝統ってのはまだよく分からねぇ」


腕を組んで難しそうな顔をしながら、が生けている花を見つめる跡部。
そのすぐ足元で、は可笑しそうに笑い、立ち上がる。
は――そう、相手が誰であっても物怖じしない。
だから、その辺の女の子とは違って、あの跡部にも普通に接することが出来るんだと思う。
けれど、それでも、僕はその親しげな様子に嫉妬せざるを得なかった。


「そんな難しく考えなくていいのに」


そう言って、はい、と手に持っていた淡い黄色の花を1本跡部に手渡す。
訝しげな顔でそれを受け取る彼に、ニコリと笑いかける


「跡部くんなら、どう生ける?」
「――俺を試してんのか?」
「そんなんじゃないよ。跡部くんならどうするかなって、ふと思っただけ」
「そう言うのを試すって言うんだ」


あからさまに不機嫌な顔をする跡部に、は「そんな怖い顔しないで」と微笑い、足元の残った花々を寄せ集める。
跡部は暫くその持たされた花をじっと見つめた後、前にある作品へと視線を移す。


「これでも十分綺麗じゃねぇか?」
「そうかなぁ?私はその花を入れた方がいいと思うよ?」
「なら、てめぇが生けろよ」
「ふふ、跡部くんでもそんな逃げ腰になることがあるんだね」


そう笑いながらも一度渡した花を返してもらおうとはしない。
顔をほんのり赤くして、眉間にしわを寄せて、明らかに跡部は不貞腐れていた。
もちろん、僕たちと跡部は同じクラスじゃないし、自分の知っている彼の表情なんてたかが知れている。
けれど、彼がこう言う表情をするのはきっと珍しいだろうな、そう思った。
そしてそう思うと同時に、もやもやと、胸のあたりに薄暗いものが広がって行く。


「別に正解があるわけじゃないんだから、跡部くんの思ったままでいいのに」
「――ったく、分かったよ」


わざとらしく大きなため息を吐き出し、跡部はその花を、の作品に加えた。
どことなく緊張した手付きで。
僕は、いけばなのことはよく分からない。
家では色々なところに母親の生けたものが飾ってあるけど、あ、綺麗だなって思う程度。
知識は全然ないけれど、その黄色い花の加わった姿は、悔しいけど、一瞬はっとするような輝きを放つようだった。
小さな、目立たない花のはずなのに。


「――すごいね、跡部くん」
「あん?」


きっと、の抱いた感想も僕とさほど変わらなかったんだろう。
その声が物語っている。


「お前のやりたいように直せよ」
「うん、確かに私が思ったのはちょっと違ったけど――でも、こっちの方がいいよ」
「そんなわけねぇだろ」
「何で?跡部くんはいいって思わないの?」
「いや……」


困ったように、また腕を組んで花を見る跡部。
そして「そうだな――悪くないと思う」と少しだけ表情を和らげる。


「でしょう?」


が微笑う。
首を少し傾げて、嬉しそうに。
その彼女を見て――ああ、跡部が一瞬にして意識し始めたのが分かった。








「――ってさ、跡部と、知り合いだった?」


次の日、僕はと一緒に学校へ向かう途中、慎重な口調でそう聞いた。
けれど彼女の方は、普通に笑顔のまま返して来る。


「ううん。あ、でも、昨日の放課後少し話をしたよ」
「そうなんだ」


僕は全部見ていたくせに、知らないふりをする。
あの後、僕は一人ですぐに教室へ戻り、そのままを待たず帰ってしまった。
何だか――の笑顔を見るのがつらく思えたから。
でも、今日はもう大丈夫。
昨日一晩考えて、ある決心をしたから。


「理事長室にあったお花を見てね、ちょっといけばなに興味が湧いたみたいで、私が玄関の所で生けていたら声を掛けてくれたの」
「ふうん、そうだったんだ」
「うん。ちょっと手伝ってもらっちゃった」


先生方も気に入ってくれたみたいでよかった。
そう言って、ふふ、と楽しそうに笑う
いつもの君の可愛い笑顔。
誰にでも向けられてしまうものだって、僕はちょっと忘れていたみたいだ。


放課後、鞄を手に教室を出ようとしていた僕に、が「あれ?」と声を上げた。


「今日はどこか部活の見学に行かないの?」
「ああ、うん。さっき正式に入部届を出して来たから、これから真っ直ぐ部室に行くんだよ」
「えっ、そうなの?どこにしたの?」
「テニス部」
「ええっ!?」


にしては大きな声。
珍しくビックリした顔。
それはそうかもしれない、僕は今までテニス部の話なんて一度もしたことがなかったから。
僕自身、昨日までは考えてもみなかった。
だって、うちのテニス部は「名門」って言われてるくらいだから小学生の頃からテニスをやっている奴なんてざらで、全くの未経験な僕が入ったって三年間ボール拾いするのが落ちだ。
そんな恰好悪いことなんか出来やしない。
でも、今は違う。


「そうなんだ……」
「うん、ちょっと出遅れてしまったかもしれないけど、頑張るよ」
「応援してる」
「ありがとう」


恰好悪くてもいい。
ボール拾いなんか、いくらでもやってやるさ。
きつい練習くらい喜んでやるよ。
あいつに、勝つためなら。








部室に行くと、ちょうどジャージに着替えていた跡部と――眼鏡を掛けた鬱陶しい髪の男子がいた。
ああ、きっと、数日前に跡部と試合をしたって言う同級生だ。
同じクラスの女子が、関西弁がどうとか言っていたから。


「お、何や、新入りか?」
「うん、C組の滝萩之介。今日入部届を出したんだ、よろしく」


別嬪さんやなぁと呟くそいつは放っておいて、僕は跡部に向ってニッコリと笑って手を差し出した。
たぶん彼は僕の目が笑っていないことに気が付いたんだと思う。
不審げな顔で僕を見る。
そして俺の手を握って更に眉根を寄せる。


「細くてか弱そうな手だって思った?……でも、それは今だけだから」
「ほぅ?」


僕は別に運動神経は悪い方じゃないと思うけど、スポーツとか本格的にやったことなんてない。
もちろんテニスだって。
跡部の手は、近くで見ると思った以上に逞しくて、手のひらは固い。
きっと、自分とはあまりにも違うひ弱な手に驚いたことだろう。


挑発的な態度を隠そうともせず、僕は跡部をじっと見る。
そんな僕に、彼はニヤリと笑って、その手をぐっと握った。


「俺は部長の跡部景吾だ」
「あー、俺は忍足侑士や。聞いてへんかもしれんけど」
「俺たちは先にコートに行ってる。お前も着替え終わったらすぐに来い」
「うん、分かった」


やれやれと肩を竦める忍足を連れて、跡部は出口の方へ向かう。
そして部室を出、ドアに手を掛けて僕の方を振り返った。


「お前のその目、悪くないぜ」


ニヤリと、さっきの僕よりも挑戦的な光を強くして。
僕が目を大きくしている間に、「早く来いよ」って、バタンとドアを閉めてしまう。


何だろう。
怒りって言うか、悔しさって言うか――嬉しさって言うか。
ああ、早々に宣戦布告をしようと思ってたのに。


「――当面は、このままってこと、か」


でも、いつかは絶対勝ってやる。
テニスでも、のことでも。
そう思いながら、僕は何故か笑いが止まらなくなってしまった。