カリモノ




不二がクラスメイトの声に振り返ると、教室の入口に手塚が立っていた。


「どうしたの、手塚」
「いや……英和を忘れてしまったんで、貸してくれないか」
「ああ、うん。いいよ、ちょっと待ってて」


自分の机まで戻ろうと体の向きを変えかけた時、一足遅く移動教室から戻って来たが教室に入って来た。
ドアの脇に立っていた手塚に気づいた彼女は、にこりと笑い掛ける。


「あれ、どうしたの、手塚くん」
「辞書を忘れたらしいよ」
「手塚くんでも忘れ物なんてするんだね」


意外だなあとクスクス笑う彼女に、手塚は「ああ……うん」とはっきりしない返事をして目を逸らした。
手塚と彼女は去年同じクラスで、一緒に学級委員もやったことがあったのでクラスメイトの中でも比較的会話の多かった方だ。
―――とは言っても、手塚はあまり他愛ない会話をすることが得意ではないので、「話に花が咲く」と言ったことはなかったけれど。


「―――はい。今日はもう英語終わったから、返すのは急がなくていいよ」
「ああ、すまない」


不二の手から辞書を受け取った手塚は、なかなかその場を動こうとしない。
まだ何か用事があるんだろうか?
教室の中に視線を向ける手塚に首を傾げる不二。


「どうしたの、手塚?」
「あ、いや……何でもない」


いつものように無表情だけど、心なしか何かを誤魔化すようにいそいそと言った感じで去っていく手塚。
一体何なんだ?
不二はもう一度首を傾げ、そんな彼が自分の教室の方へと去っていくのを見送った。


それから数日後、今度は世界史の資料集を忘れたと言って再び現れた。


「一体どうしたの、手塚。3年になってボケちゃった?」


温和な笑みを浮かべながら歯に衣着せぬツッコミの不二。
そんなことを言われても、いや、うん……ともごもご返事をするだけで、本を受取ってじっとそこに立っている。
時折教室の中を気にしながら。


どうしたって言うんだろう?


不二も何気なくその手塚の視線の先を追う。
―――と、そこにはあのの姿。
窓際の友達の席の傍で、何やら楽しそうに話して笑っている。


「―――そういうことか」


彼女の笑顔に目を向けたまま、不二はクスリと笑う。


「何がだ?」


やや不機嫌そうな声で問う手塚の目は、まっすぐ不二を見ることが出来ず明後日の方向へ向けられて、頬は心なしか赤く見える。
いつも変わらない表情の手塚。
でも実はこんなに分かりやすい男だったって、今頃分かるなんて―――迂闊だったな。
不二は心の中でほくそ笑む。


さんってかわいいよね」
「なっ、何を言ってるんだ!?」
「どうしたの手塚、ただの一般的な評価だろ?」
「あ、ああ……そうか……うん」
「英二も『可愛いにゃぁ』なんて言ってるよ」
「なっなに!?」
「嘘だよ」


あまりに分かりやすい反応に、口元を手で押さえて笑いを堪える不二。
思わず反応してしまった自分を悔みつつ、今さらながら誤魔化すように視線を泳がせる手塚。
ばれると一番厄介な男を利用しようとした、手塚の判断ミスか。


「僕も可愛いと思うよ」
「……」
「これは本気」


今度は騙されまいと無言の手塚に、不二はフフ、と意地の悪い笑み。


「ちょっといいなぁと思ってたんだけど。そっか、手塚がライバルか」
「なっ、何を―――」
「あれ、違うんだ?じゃあ僕が貰っちゃってもいい?」
「それは―――っ」


最後まで言い切ることが出来ず、じっと見上げてくる不二に咳払い。
そんなあからさまな反応の手塚から、今さっき渡した資料集をひょいと取り上げる。
そしてそのまま自分の机に戻り、その資料集を中に放り込んでしまった。
一体どういうことだと、手塚が教室の入口で呆然としていると、不二はそのまま窓際に立っていたのもとへ。
何やらこちらを指差して話していると思ったら、彼女はパタパタと自分の席へ行き、さっき不二が自分の机の中にしまったものと同じ資料集を取り出した。
それを抱えて手塚のもとへ駆け寄ってくる


「はい、手塚くん」
「えっ……」
「資料集忘れちゃったんでしょ?不二くんも今日は持ってないんだって。だから、私のでよければ」


そんなはずはない。
手塚が口を開きかけると、不二が彼女の後ろから近づいてきた。


「ごめんね、さん」
「ううん、困ったときはお互いさまだよ」


ねっ、と笑い掛けて来るをまともに見ることが出来ない手塚は、また「ああ……うん……」などと言って目を逸らす。
そんな二人の様子を一通り楽しんだ後、不二は手塚の肩に手をかけて微笑んだ。


「じゃあ、後でちゃんとさんに返してね。―――この貸しは大きいよ?」


肩越しに、彼女には聞こえない程度の小さい声。
最強の味方を得たと喜ぶべきか。
最悪の弱みを握られたと嘆くべきか。


屈託なくほほ笑むと、その横でにっこりと笑う不二と、手元の資料と。
手塚は交互に見つつ、思わずため息をついた。