dry run




正面からが歩いてくるのが見えて、柳生は反射的にクルリと進路変更した。
学年も部活も違う彼女に、約束なしで偶然会える機会はそれほど多くない。
本来なら嬉しいはずの出来事が、今日だけは「不運」と嘆きたくなる。


気づかないでくれ。
気づかずこのまま通り過ぎてくれ。


柳生は心の中で必死に願ったが、そんな祈りも空しくの猛烈な足音が近づいてきた。


「柳生先輩!?なんなんですか、その格好はっ!!」


愛の力と言うべきか。
こんな姿の自分に気づいてもらえるというのは喜ぶべきことなのか―――悲しむべきことなのか。
いやいや、ここは喜んでも悲しんでもいられない。
柳生は半ば開き直っての方を振り返った。


「一体何を言ってるんだ。・・・・・・じゃ」


このときほど、仁王の妙な言葉遣いを呪ったことはない。
・・・・・・と言うか、これ以外に何か方法はなかったんですか!
往生際悪く心の中で嘆く柳生。


「・・・・・・テニス部で仮装大会でもやってんですか?」


自分を柳生だと信じて疑わないは、そう言いながらヒクヒクと口元を引き攣らせていた。








今度の関東大会決勝。
ダブルスのパートナーである仁王は、ある提案を持ちかけてきた。
仁王と自分が入れ替わる。
最初はもちろん抵抗したけれど、結局うまく彼に丸め込まれた形となった。
そしてその予行練習。
それはまあ、前以てその出来を確かめておくことは必要かと柳生も思ったが、さすがにその後の「一日このままで過ごす」と言う提案には断固反対した。
他の人にばれることを恐れてではない。
あの仁王が自分に成り変わって何をしでかすか。
この提案は何とか阻むことに成功し、では放課後だけ、と妥協させることが出来た。


しかし、何でこんな日に限って・・・・・・!


最近は公式戦の最中で練習が終わるのも遅いから、帰りに待ち合わせをすることもなく、少し寂しく思っていたことは確かだ。
そんな彼の気持ちを知って神様が気を利かせてくれたのか。
かなり余計なお世話である。


「柳生先輩!黙ってないで何とか言ってください!」


訴えるようなの目。
すまない・・・・・・と思いながら、口を開く柳生。


「・・・・・・ぷ、ぷり」


それを耳にした途端、雷にでも打たれたかのような驚愕の表情。
その歪んだ顔つきは、うっかり百年の恋も醒めてしまいそうである。
―――彼女にベタ惚れな柳生が、実際醒めることなどありえないけれど。


「うわーんっ」


涙を浮かべてポカポカと殴ってくる
落ち着いてください!
そう言いかけたとき、背後から違和感のある声が聞こえてきた。


「おや、女性を泣かせるなんて紳士としてあるまじき行為ですね」


眼鏡を指で上げる仕草まで完璧に真似る仁王。
その姿に柳生は思わず固まるが、の方はそれどころじゃないらしい。
グイと涙を手で拭い、思い切り仁王を睨みつける。


「変な喋り方やめて下さい、仁王先輩!全然似合いません!」
「何を言っているんですか。仁王はあなたの後ろに立っている男ですよ」
「二人で惚けても無駄です!」


毛の逆立った猫のような
しかし柳生の姿をした仁王は「ふっ」などと余裕の笑みを零して優雅に彼女へと近づいてくる。


、あなたの愛している男は、この私でしょう?」


そして彼女の肩を自分の方へ引き寄せた。


「な・・・・・・っ!」


目の前の光景に柳生は言葉を失う。
思わず気まで失いそうだ。
仁王が「」「」と連発しているだけでも不愉快極まりないのに、こともあろうか自分の目の前で抱きしめるなんて。


・・・・・・」


ダメ押しのようにもう一度口にする彼女の名前。
ぎゅうと抱き寄せて髪に顔をうずめようとする仁王の目は明らかに笑っていた。


「ぎゃーっっ!!放して!」
「往生際が悪いですよ」
「柳生先輩はこんな匂いじゃない!」
「・・・・・・なんじゃ、やらしいなぁ、は」


ようやく普段の口調に戻る仁王。
でも戻ったら戻ったで、その姿と口調が合ってなくて、は顔を歪める。


「匂いが分かるようなことをいつもしてるのか」
「いつもなんかしてません!」
「じゃあ、たまにしとるんじゃな」
「いい加減にして下さい、仁王くん!」


元に戻った柳生にもやっぱり違和感。
何故だろう。
中身は大好きな人のはずなのに、あまり抱きつきたくない。


「やれやれ。、お前は今度の試合に来るんじゃないぞ」
「どうしてですか!」
「仁王くん!いい加減を名前で呼ぶのはやめなさい!」
「肝っ玉の小さい男じゃのぉ」
「絶対行きますからね!」


噛み合っているのか噛み合っていないのか。
三人の会話は暫く続く。


「―――おい、仁王が変な言葉を使ってるぞ」


そこに通りかかって、的外れなことを言う男が、一人。