interroge 2
何で大人しくついて行ってるんだろう。
自分でもよく分からない。
さっきから分からないことだらけだ。
「――冗談、だよね」
「冗談じゃないよ」
駅とは反対方向に歩いて行くさん。
気が付けば、大きな家の建ち並ぶ静かな通り。
浮気なんて、どんな理由があってもよくないことだ。
いつもの俺なら、店を出る前にそれ位は言っていると思う。
彼女の方が浮気してたから俺も――なんて、そんな風に考えた訳じゃない。
別に自棄になっている訳でもない。
「」と表札のある大きな黒い門の前で、彼女が立ち止まる。
勝手口の隣りにあるボタンを手早く押してロックを解除し、小さな扉を開く。
「どうぞ」
「……」
俺の方を振り返るさん。
流石に俺は躊躇して、彼女をじっと見た。
一体どういうつもりなんだろうか。
どうしてこんなことをするんだろうか。
さんだって、俺が思っているのと同じように――俺のことは、そんなに好きじゃないはずなんだ。
「家には誰もいないよ」
俺の視線なんか気付かないかのように、そう言いながら、中に入って行く。
彼女が手を離すとゆっくりと閉まろうとする扉。
結局、半ばな反射的にその扉に手を伸ばし、彼女の後に続いて中に入ってしまった。
広い玄関ホールでスリッパに履き替え、彼女に続いて階段を昇って行く。
二人とも黙ったままで、パタンパタンと言うスリッパの音だけが響く。
そう言えば、俺は付き合っている女の子の家に、今まで行ったことがない。
ふとそんなことを思い出し、奇妙な感覚を抱く。
階段を昇り切り、陽の差し込む明るい廊下を進み、さんは一番奥の扉を開けて俺を促すように後ろを振り返った。
ここまで来て躊躇うのも馬鹿馬鹿しい。
俺は彼女に続いてすぐにその部屋に入る。
そこは予想通り彼女の部屋らしかったけれど、女の子の部屋にしては随分とシンプルな空間だった。
もちろん、付き合った子の部屋にも行ったことがない位だから、女の子の部屋と言うものをそんなに知っている訳じゃないけれど、それにしても殺風景だ。
淡い色調の花をあしらったベッドカバーや、その傍に掛けられている制服で辛うじて彼女の部屋と言うことは分かる。
でも、ぬいぐるみとか小物とか、そう言ったものは一切なくて、机の上も参考書やノートだけで余計な物が一切見当たらない。
「荷物適当に置いて、その辺に座って」
「う、うん」
「お茶、淹れようか?」
「え……ううん、別にいらないけど……」
俺の返事を待たず、さんがベッドに腰を下ろしたので、一瞬迷った後その隣りに座った。
ただでさえ落ち着かない状況で、ベッドの軋む音が部屋に響くと更に気分がそわそわとする。
俺、何でついて来ちゃったんだろう。
さんは、まっすぐに迷わず、ここに――自分の家に来た。
彼女の言う「浮気」って、つまり、そう言うことなのは間違いないのに。
「何で来ちゃったんだろうって思ってるでしょ」
見透かしたようなさんの台詞。
ベッドの上についていた俺の手に力が入るのに気付いてか、彼女は小さく笑った。
「鳳くんって真面目そうだもんね」
「そんなことないよ」
「カノジョ以外の子とするなんて、考えたこともないでしょ」
それは、普通そう言うものなんじゃないだろうか。
付き合っている人がいるのに、何で他の人に目が行くのか、正直俺には理解できない。
理解できないから――そう言う子とは、もう付き合いたくない。
きっと、考えていることが嫌悪の表情となって顔に出ていたんだろう。
さんは俺を見て、今度は苦笑を浮かべた。
「――さんは、考えたことあるんだ」
「うん。今考えてる」
「付き合っている人、いるんだ」
いつもより幾分低い声での俺の問いに、さんは肩を竦めることで答える。
学年が上がったばかりの頃、ちょっとだけさんの彼氏の噂を聞いたことがあったから、俺はそれを肯定の意味に捉えた。
無意識に顔が歪む。
でも、そのベッドから立ち上がることは出来なかった。
「――俺が彼女たちと同じことをしたら、少しは彼女たちの気持ちが分かるってこと?」
「うーん……分からないんじゃない?」
「じゃあ、何でこんなこと――」
言いかけると、さんの手が俺の唇に触れた。
そして、少しだけ俺との距離を縮めて、意地の悪い笑みを見せる。
「じゃあ、鳳くんは何で来たの?」
「それは……」
何だか、何もかもが彼女のペースになっていて、苛立ちが募る。
それなのに抗えない。
さんの手が、俺の膝に置かれる。
僅かに感じる彼女の重み。
もう片方の手が肩に置かれて、彼女の顔が近づいて来ると反射的に身体が強張った。
でも、嫌悪は全く感じなかった。
実は以前、上級生の女の人に呼び出されて、強引にキスされそうになったことがある。
その時はすごく嫌でたまらなくて、思わず突き飛ばしてしまった。
でも――今は寧ろ妙な期待感のようなものまであった。
俺は、この子が苦手なはずなのに。
ゆっくりと唇が触れる。
背筋が、ぞくりとした。
啄ばむようなそれに先に焦れたのは俺の方。
触れるだけでは満足出来なくて、後頭部を手で押えて舌を滑り込ませたら彼女もそれに答えた。
けど、押し倒そうとしたら「だめだよ」と拒まれた。
さんの顔が、少しだけ離れる。
俺はきっと、すごく不満そうな顔をしていたと思う。
ついさっきまで、その気なんか全然なかったくせに。
――いや、本当になかったのかな。
睨むように見つめると、さんはちょっと笑う。
そして、俺の着ているジャージの襟口を掴むとそれを脱がせようとした。
「――俺、すごく汗臭いと思うんだけど」
「そう?まあ、私も少しくらい汗かいてるし、お互い様だよ」
さんはそう言ったけど、無造作に服を脱いだ彼女からは、いい匂いがした。
上半身裸になった俺の胸に手を置いて、「やっぱりスポーツやってる人は綺麗な体だね」なんて感心したような声を上げる。
でも、目の前の彼女の方が絶対に綺麗だ。
冗談めかして押し倒されて、さんが俺の上に圧し掛かる。
正直、何もかもが驚きだった。
初めてとは思えない愛撫も、躊躇いなく口に含む動作も。
――と言うか、彼女が俺と「浮気をする」なんて言い出したところから全てが驚きなんだけど。
彼女の後ろに別の男の影がちらつく。
疑いようもなく。
何でだろう、もし他の子が相手ならそんなことがあれば確実に冷めてしまうのに、今は苛立つことはあっても体は冷め切るどころかその逆で。
されるままだけでは物足りなくて、形勢逆転で上に乗れば、彼女の抗議の視線を浴びたけど。
良くないことをしているって言う後ろめたさが、自分を変に煽っているんだろうか。
いつもと違う環境と雰囲気に飲み込まれたせいなんだろうか。
それとも――単に体の相性、なんだろうか?
本当は認めたくないけれど、今までのどの子とするよりも興奮して――今までで一番気持ちよかった。
好きじゃない子とのセックスなんて、気持ちの伴わない行為なんて虚しいだけだって思っていたのに。
ううん、今だってそう思ってる。
だから何だか、終わった後も複雑な気分で。
さんが下着を身につけながら、しょうがないなって顔で笑っても、やっぱり複雑で。
「別に、誰にも言わないし、責任取って、なんて迫らないから安心して」
「そんなこと――」
そんなこと、思ってもみなかった。
そう言う可能性があることに今頃気が付いたことに、自分で驚いた。
たぶん無意識に、さんはそう言うことはしないだろうって分かっていたんだと思う。
ああ、本当に驚くことぱっかりだ。
こちらに背を向けて、バサリと無造作にワンピースを被るさんの動きを眺めながら、妙な晴々しさを感じてしまった。
俺もベッドの下に乱雑に放られたジャージを引っ掴んで被る。
当たり前だけど、やっぱり汗臭い。
「……ごめん、やっぱり汗臭かったよね」
「はっ?今更まだそんなこと言うの?鳳くんって女の子みたい」
「いや、だって――」
「鳳くん、よかったよ」
「はぁっ?」
「意外に」
「な――っ、意外にって何だよ!」
「あはは、何となく」
さんの言い草に一瞬むっとしたけど、彼女の明るい笑い声に、そんな腹立ちなんてあっと言う間に消えた。
そう言えば、彼女がこんな風にカラカラと笑うところを見たのは初めてのような気がする。
「……さん、学校でもそんな風に笑えばいいのに」
負け惜しみのようにポツリとそう言ったら、「鳳くんの見てないところで、ちゃんと笑ってるよ」とまた笑って言い返された。
その言葉に、ちょっとだけ胸が痛むような気がしたのは、何でだろう。