balance 1




「年頃の女がこんな時間にゴロゴロしやがって。」
「ほっといてよ。」

居間でテレビを見ていたは、呆れた顔をして入ってきた兄を睨む。
土曜日の夕方に家で一人テレビを見る妹に哀れな目を向ける兄。
しかしその同じ時間にやはり家にいる兄も人のことは言えないと思う。
はそう思ったけれど、言い返せばその倍以上になって返ってくるのを知っているから黙っておく。

「デートとかないのかよ、デエトとか。」
「うるさい。」

数ヶ月前に彼氏と別れたことを知っているくせに。
ソファで膝を抱えてジトリと兄を見るが、そんな視線などまったく気にせずに向かいに腰掛け、手に持っていた麦茶をぐびぐびと飲む。

「仕方ねぇな、俺が明日どっか連れてってやろう。」
「・・・え?」
「あ、服装は長袖長ズボンな。そうじゃないと隣りに乗せられないからな。」
「って、それ、『どっか』じゃなくて行き先決まってるんじゃん!」
「どうせ暇なんだろー?気分転換になるかもしれないぜー。」

じゃあ決まりな。
そう一方的に決めて反論する隙も与えず、兄はの頭をポンポンと叩いてさっさと退散した。
行かないからねー!とドアに向かって叫んでみたけれど、返って来るのは階段を昇る足音だけ。
悔しいけれど、近くに八つ当たりする適当なものも見つからなかったので、仕方なくソファにゴロンと寝転がった。

「何が気分転換だよ・・・。」

暇さえあればウキウキと車のボンネットを開けて弄っている兄。
週末と言えば必ず愛車と「デート」。
バイト代の殆ど、いや、全てがそのパーツやら走行会費用やらに消えて行く。
どうせ明日も走行会かジムカーナか、そんなところだろう。
も車を運転することはあるが、それは飽くまで移動手段であって、今いち兄のことは理解できない。
楽しそうに走っているのを見て羨ましいとは思うけど、自分があんなふうに走りたいとは思わない。

一度2階に消えていった足音が、再び降りてくる。
そして鼻歌交じりの兄がまた居間を覗き込んですぐに消えた。

「あ、明日は6時半出発だからな!」
「げー!」

もう一緒に行く気満々の兄に何も言うことは出来ない。
実際明日は暇なことは暇だ。
よし、帰りに何か美味しいものおごってもらおう。
もそう勝手に決めた。




普段大学に行くときなんかは、なかなか起きないくせに、こんな日は目覚ましが鳴る前に起きる。
もちろん兄のことだ。
「朝飯はコンビニで買ってくからな。」と朝6時前とは思えない元気な声の兄に向かい、内心ため息をつきながらは冷たい水で顔を洗った。

このときは何も考えてなかったし、何も期待してなかった。
今までにもサーキットなどに連れ出されたことはある。
セッティングとか計測とか手伝わされて。
帰りはファミレスでデザート付きディナーセットか、焼肉。
今回もそんな感じだろう。

コンビニでサンドイッチを買い、それを車内で食べつつ目的地へ向かう。

「今日はジムカーナの練習会があるんだよ。Fサーキットって行ったことあったか?」
「・・・うん。」

ああ、あそこか、と分かってしまう自分が腹立たしい。
そして、そこに着けば何人かの顔見知りもいたりして、さらに腹立たしい。
もちろん彼らはいい人たちで、話したりしていると楽しいし、好きな人ばかりだ。

「おはようございますー。」
「おはよう、今日はちゃんも一緒かー。」

ジムカーナ場には既にそれなりの台数集まっていて、早速各々セッティングをしていたりする。
兄ももちろん着く早々ウキウキと荷物を降ろし始めた。
そしてつい、てきぱきとそれを手伝ってしまう
何となく兄に乗せられている気がしないでもない。

「今日人数少ないみたいだから、ちゃんもエントリーしちゃえば?」
「え?く、車ないし。」
「ダブルエントリー出来るからこの車で走れるぞ!」
「冗談きついよ、お兄ちゃん・・・。」

冗談だか本気だか分からない兄から目を逸らす。
そのとき、ゲートから入ってくる一台の車が目の端に映った。

「あれ、見ない車だなー。」
「エボVか。」

は何となく、そのエボVと呼ばれた黒い車を目で追う。
綺麗な車。でもちょっと怖そうな車。
ピットガレージにするりと入り、その少しうるさいくらいの低音がおさまり、中から人が降りてくる。

朝早くて眠いからなのか、それともいつもそんな感じなのか、顰められた顔。
ちょっと怖そう。

「わ・・・車と同じ感じ。」

思わず呟いてしまった
こちら向いたその男と目が合いそうになって慌てて俯いた。

それが須藤京一。
黒のランエボ乗り。
その日のゼッケンは15番。
何となく、覚えてしまった。