cross - Advent -




「―――打ち合わせは試合後になったんですよ。連絡行きませんでしたか?」

しれっと言い放つ観月に、跡部は一瞬殺意に近い苛立ちを覚えた。
11月最後の日曜日。
午後からの聖ルドルフとの練習試合で、その前に事前の打ち合わせをするからと、顧問と部長、それにマネージャーは朝の10時に集合する予定だった。
跡部にしては珍しく、真面目に遅刻せず10時きっかりに聖ルドルフへ行けば、集合場所であるはずのテニスコートには人一人見当たらない。
榊の携帯を鳴らしたけど電源が切られていたので、事前に聞いておいた観月の携帯にかけてみた。
そうしたら、最初の台詞だ。

「直前でしたからねぇ。でも、そっちの顧問の都合で練習試合後に変更になったんですよ?」

―――榊……っ!

跡部の殺意の標的が、自分の学校の顧問へと変更される。
しかしあの監督にこんな些細なことを咎める気にもならない。
やり場のない苛立ちを、とりあえず深いため息に込めて吐き出した。

「じゃあ、跡部くんは今うちの学校にいるんですか?」
「……お前、さっさと来てコート開けろ」
「相変わらずの俺様ぶりですねぇ。あと5分くらいで着きますから待ってて下さい」

プツリ、と切れた通話に、跡部は小さく舌打ちをしながら携帯をポケットに突っ込んだ。
慣れないことはするもんじゃねぇな。
肩にかけていたバッグを下ろし、フェンスに寄りかかる。
部長だけの集まりなどでも大概樺地を連れて行ったりしていたのに、今日に限って「お前は後で来い」などと言ってしまったおかげで暇つぶしにも苦労する。
今から家に戻っても余計時間を無駄にするだろう。
とりあえず観月が来るのを待つしかない。
真面目に結んでいたネクタイを乱暴に緩めて、もう一度ため息。

観月は予告通り、5分後にはコートに現れた。
てっきりコートを開けるのかと思ったら、跡部のバッグをひょいと持ち上げてコートとは反対方向へと歩き出す。

「とりあえず、この荷物は部室にでも置いておきますか」
「……おい、どういうことだ」
「せっかくだから、うちでしか出来ないことでもしてみませんか?」
「はぁ?」

訝しげな顔をしながらも、大人しく観月の後に続く跡部。
朝から予定が狂って、彼の調子も狂ってしまったらしい。
何だかいちいち抵抗する気になれない。

「どこに行くんだよ?」

本当に部室には荷物を放り込んだだけで、また別の所へスタスタと歩き出す観月。

「礼拝です」
「礼拝だと?」
「出たことありませんか?」
「俺はここにテニスしに来たんだ。神に祈りに来たんじゃねぇよ」
「別にコートでボール打つばかりがテニスじゃないでしょう。いいじゃないですか、今日はちょうどアドヴェントですから、いつもよりちょっと立派な礼拝ですよ」
「―――ああ、もうそんな季節か」

懐かしい単語に、跡部はちょっと毒気が抜かれる。
日本にいると「クリスマス」と言う言葉はよく耳にするけれど「アドヴェント」はあまり耳にすることがない。
イギリスにいるときは、この日からクリスマスの準備が始まって、何となく家中がそわそわと慌ただしくなったものだった。

「お前はクリスチャンなのか?」
「違いますけど、日曜の礼拝は結構好きなので、たまに出席するんです」

大きなチャペルが見えてくる。
さっきは気にすることなく通り過ぎた建物。
そこにポツポツと入って行く人の姿。
彼らの後に続く観月に、跡部は最後の抵抗とばかりにふうと息を吐き、中へ入った。

外でも聞こえていたパイプオルガンの響きが、跡部を取り囲む。
何だか懐かしい響き。
普段家で聴いたりする曲は専らオペラや交響曲で、宗教音楽やバロックは殆ど聴くことがない。
小学校時代は好むと好まざるとに関わらず週に何度か聞かされていたが。
そんな感慨にふける跡部の背中を、観月はぐいぐいと押す。

「前の方へ行きましょう」
「あぁん?」
「後ろの方は混んで落ち着かないんですよ」

ここがいいですね。
そう言って2列めの椅子に腰を下ろす観月。
跡部もその隣りに座り、手を膝の上で組んで祈る観月から視線を上げて前の祭壇を見上げる。
ステンドグラス、百合の花、アドヴェントのキャンドル―――マリア像。
これも懐かしい空間。

鐘の音が響き、皆が一斉に立ち上がる。
十字架を掲げ入堂する一団。

跡部にとってこれらは確かに懐かしさを湧き起こすものではあるが、それ以上の何かを抱かせるものでもない。
隣りで賛美歌を歌う観月が予想以上の美声だったことには、多少なりとも驚いたが。
その歌声を聞きながら、教会に来ると何故か落ち着くと、後輩の鳳が言っていたのを思い出す。

俺にはちょっとねぇ感覚だな。

そんなことを思いながら跡部が手元の式文をパラパラとめくったとき―――礼拝堂に歌声が響いた。
反射的に顔を上げた跡部の目に入ったのは、祭壇の上、マリアの石像の前に立つ聖歌隊の中の一人の少女。
恐らく跡部と変わらない位の年齢だろう、幼さの残る可愛らしい顔立ち。
その容姿とはアンバランスとも思われる、透き通った、祈るような、唱えるような、天へと向かう厳かな声。
それを追うようにテノールが重なって、続いて会衆が歌いだす。

片方の手で、もう一方の腕を掴む跡部。
その無意識の動作に、自分が今鳥肌の立っていることに気がついた。



「―――どうしたんですか、跡部くん?」

礼拝が終わりチャペルの外に出た後も、ずっと無言のままだった跡部に、観月が不審そうに目を細める。
その観月の声に、現実へ引き戻されたように一瞬肩をピクリとさせたが、すぐにかったるそうに息を吐く。

「別にどうもしねぇよ」
「もしかして『マリアの声』にやられましたか?」
「……『マリアの声』?」

ウフと小さく笑う観月に、今度は跡部の方が訝しげに目を細める。

「アルトは『聖母マリアの声』って言われるでしょう?礼拝の最初の方でソロを歌ってた子の声です。……ああ、せっかくだから紹介しますよ」

観月が視線を向けた先を見ると、チャペルの脇からぞろぞろと出てくる黒いガウンの集団。
先ほどまで祭壇の前に立っていた聖歌隊だった。
その中にさっきのソロの彼女を見つけ、跡部は小さく息を呑む。
そんな隣りの男の様子など特に気にせず、観月はその場から彼女の名を呼び、手招きした。

!」

自分の名を呼ばれた彼女は一瞬キョロキョロとした後、観月の姿を見つけ、「あーっ!」と叫んで指をさした。

「はじめくん、礼拝出てたんなら一緒に歌ってよ!」

そう言いながら二人の方へ駆け寄ってくる彼女。
先ほど礼拝中の厳かな雰囲気とは全く違って、年相応に子供っぽく見える彼女に跡部は自然と苦笑い。
でもそれと同時に、何故か胸の辺りが温かくなる。

「今日は開始時間ぎりぎりに来ちゃいましたからね。それに彼もいましたし」
「かれ?」

そう聞きながら、観月の隣りに立っている跡部を見て、ちょっとだけ首を傾げながら瞬きをパチパチと2、3回。
何だか小鳥が見知らぬものを見たときにする仕草に似ている。
聖母マリアってイメージじゃねぇな、と跡部は咳払いのような仕草で笑いを堪えた。

「はじめくんのお友達?」
「まあ、そんなとこでしょうか。氷帝テニス部の部長です。跡部景吾くん」
「ひょーていてにすぶ……」
「今日午後から練習試合があるんです」
「ああっ!テニス部!あ、もしかして、はじめくんのライバルだって言う、不二くんのお兄さんのいる学校?」
「……それは青学です」
「そうだったっけ?」
「あなたはそうやって、いっつも人の話を適当に聞くんですから」
「そんなことないよ」
「でなければ、よっぽど記憶力が悪いんですね」
「そんなことないってば」

やれやれと首を横に振る観月に、口を尖らせながら抗議する彼女。
観月は彼女を馬鹿にしたような態度を取りながらもどこか空気が柔らかくて、彼女の方も怒った顔つきをしながらも目は楽しそうだ。
取り残されたようになった跡部は、醒めた気分になりながらも―――何か自分の奥の方でチリチリとするのを感じる。

「ほら、ちゃんと自己紹介しなさい」
「あ、そっか。忘れてた」

ようやく思い出したように自分に向かって笑いかける彼女に、跡部はむっとする表情を隠せない。
けれど彼女は特に気にした様子もなくぺこりと頭を下げた。

です、よろしく。観月くんとは一緒のクラスで……仲良く……させてもらって……ます」
「何で最後言い淀んでるんですか」
「だって仲良くって言うより、単に苛められてるだけのような気が……」
「失礼ですね。ホントにあなたの取り柄は歌だけなんですから」
「ほら、苛めるじゃん!」

仲いいんだな。
白けた気分でふと浮かんだ言葉。
でも何故か声に出そうとしたら喉の奥に引っかかった。
代わりに、少し苛立たしげに別の台詞。

「……そろそろコート開けてもいいんじゃねぇの」
「ああ、そうですね。、よかったら午後見学に来ますか?」
「うん。じゃあチャペルの大掃除が早く終わったら見に行くよ」

それじゃあね。
観月にひらひらと手を振った後、跡部に向かって小さく頭を下げニコリと笑い、またチャペルの方へと走り去る彼女。
二人になった途端、急に空の鉛色が重たくなったように感じるのは、気のせいだろうか?
跡部は、不意の襲ってきた感傷に似た気分を、ポケットに乱暴に手を突っ込み小さく舌打ちすることで遣り過ごした。

「もしかして、気分害しましたか?」
「―――何が?」
「彼女、賑やかでしょう」
「ああ……まあ、そうだな」

確かに、楽しそうによく喋って、可笑しそうに笑う女だと思う。
跡部は騒がしい女は嫌いだ。
けれど彼女の声は騒がしいとか不快だとか、そんなふうには思わない。
むしろ―――

むしろ?

「さて、じゃあ行きましょうか」

観月の声に跡部の思考が中断される。
そしてそれに安堵している自分に気付く。

結局、彼女はその日テニスコートに現れなかった。