cross - Lucia -




陽の光に何かが反射した。

部活へ向かう途中に横切った渡り廊下。
その横の植木の陰で、一瞬何かが光って見えた。
跡部はそのまま通り過ぎようかと思いながらも、何気なくその辺りを見る。
すると、シルバーの鎖と小さな十字架が目に入って、足を止めた。

屈んで、冷たくなったそれを手に取る。
シンプルな鎖に、シンプルなギリシア式の十字架。
鎖の方は途中からプツリと切れている。
一見、鳳の身に着けているものとよく似ていたので、跡部はそれを制服のポケットに突っ込み部室へと向かった。




しかし、それが鳳のものではないことは部室に行ってすぐに分かった。
彼の首には既にそれが掛かっていたからだ。

「俺のは祖母に貰ったんですけど、確かによく似てますね。このくすんだ感じとか」

感心したようにそう言いながら、鳳がそれを手に取りまじまじと眺める。
鳳の大きな手によって上に掲げられた十字架が、窓から差し込む西日できらきらと反射するのを横目で見ながら、跡部はネクタイを解きシャツを脱いだ。
その横からヒョイと手を伸ばし、鳳の手からそれを奪って夕陽に翳して見る向日。

「こう言うオーソドックスなペンダント着けてるヤツって、案外いそうでいないよな」
「そうですか?」
「これって、もしかしてプラチナ?今頃これ落としたヤツ必死になって探してんじゃね?」

今度は跡部が向日の手からそれを取り上げる。

「―――見てくる」
「あ、跡部部長、俺行って来ましょうか?」
「いや、いい。お前たちは先に練習始めててくれ」

いつもなら、たぶん、鳳の申し出を受けてさっさとそれを彼に渡していただろう。
けれどこのときは何故かそれを他の人間に任せる気にならなかった。
向日の最初の台詞が、ほんの一瞬だけだけれど頭の片隅の方で引っ掛かったせいもある。
意外そうな顔をする鳳と向日のことは放っておいて、跡部はバタンとロッカーを閉め部室を出た。




「あれ、どこの制服かな?」

途中ですれ違った男子生徒二人の会話が耳に入って来たが、特に気に留めることなく中庭へと向かう。
他校の生徒が学園内にいることは、そう頻繁にある話ではないけれどそれ程珍しいわけでもない。
手の中のペンダントをもう一度握り直し、教室棟の角を曲がる。
すると、低い植木の並ぶ先に、キョロキョロと辺りを見廻している人影。
その制服が氷帝のものではないことに気づき、先ほどの二人の会話を思い出した。

その挙動不審な様から、そこにいる人物がペンダントの持ち主である確率が高い。
跡部は軽く安堵のため息をつき、その人物の方へと近づく―――が、途中で足が止まる。
見覚えのある制服。
その後ろ姿。

「―――?」

訝しげな声でその名を呼ぶと、その人物はゆっくり視線を上げて跡部の方を振り返る。
不安げな瞳が彼の姿を捉えると、ほっとしたように、嬉しそうに、少しだけ目が輝いた。

「ぶちょうさん」
「……てめぇ、俺の名前憶えてねぇのか」

跡部の方は、その再会を喜ぶより先に彼女から出た台詞に思わずツッコミを入れることを抑えられない。
いえ、そういうわけでは……とモゴモゴする彼女の様子から、どうやら本当に憶えていないらしい。
今度は呆れたようにため息を吐く。

「観月の言ったとおり、本当にお前って記憶力ねぇんだな」
「そ、そうじゃないけど、何か『ヒョウテイテニスブブチョウ』って言うのが先に頭にインプットされちゃって」
「跡部景吾だ。ちゃんと憶えとけ」
「跡部くんね、アトベ、アトベ……」

呪文を唱えるように彼の名を繰り返す。
そこまでしなきゃ憶えられないものなのかと、また呆れ顔。

「うちに何しに来たんだ?」
「打合せと言うか、顔合わせ。1月に氷帝とうちの合唱部で合同のコンサート開くから」
「合唱部?お前、聖歌隊じゃなかったのか?」
「うん、そうなんだけど、合唱部の部長やってる友達の付き添いで、副部長代わりと言うか何と言うか……」
「どうせ顔合わせなんかしても、名前憶えられねぇんだろ」
「そんなことないってば!」

図星を指されて顔が赤くなりながらも、抗議の拳を握る。
が、すぐに何かを思い出したように「あ、そうだ!」と言ってまた足元をキョロキョロと見回し始めた。

「跡部くん、この辺に十字架のペンダント落ちてるの見なかった?どこかに落としちゃったみたいで」

やっぱり、こいつか。
そう思ってペンダントを持っていた手を彼女の前で広げようとする。
けれど、その後に続いた彼女の台詞に、思わず動きが止まった。

「あれ、はじめくんに貰った物だから、なくすとうるさくて」
「……観月?」
「そう。魔除けだとか言って。あれで退治できるのなんてドラキュラ位だと思うんだけど」

打合せの時までは、あったような気がするんだけどなぁと呟くように言いながら、うろうろと歩き出す。
口調は暢気だけれど、表情は真剣だ。
彼女にとってそれがどれだけ大事なものなのかは、その顔を見れば分かる。
早くその手を開いてペンダントを見せてあげればいいのは跡部自身にも分かっていたけれど、何故か貝のように固く閉じてしまって開くことが出来ない。

「お前ら……」
「うん?」
「お前ら、付き合ってんのか?」

何かが喉につかえて、上手く声が出ない。
その掠れた声に、自分でも驚く。
けれど彼女の方はそんな彼の変化を気に留めることなく、地面を見ながら可笑しそうに笑った。

「付き合ってないよ!私、そんなマゾじゃないし」
「マゾ?」
「だって、いっつも人のことお馬鹿だの抜けてるだの言って、褒められたことないもん」
「それは―――」

好きな子を苛めるってヤツじゃねぇのか。
言いかけて、やめる。

「同じ田舎者同士で―――何て言うか、保護者みたいなものなんだと思う」

そう言いながら上げた彼女の顔には、ちょっと困ったような、でもどこかやわらかい、綺麗な笑み。
それを目にした瞬間、跡部は力が抜けたように、彼女の前に差し出しかけていた手を下ろす。

「もう大体歩いたところは探したんだけどなぁ。一応届けだけ出して……大人しく怒られるしかないか」

諦めのため息。
跡部はペンダントを握る手に力を込める。

「あ、そんな格好をしてるってことは、跡部くんはこれから部活?」
「……ああ」
「えーと、見学しても大丈夫?」
「……部外者は立ち入り禁止だ」
「えっ、ほんとに?」

そんな決まりなど特にない。
練習の邪魔にならなければ、校外の人間でも見学は自由なはずだった。
けれど跡部の口から出たのは、そんな拒絶の言葉。
彼女は何かを言いかけたけれど、ちょっとだけ落胆したように視線を落とし「そっか、そうだよね」と呟いた。

「この前は大掃除が長引いちゃって見に行けなかったから、ちょっと見てみたいなって思ったんだけど」
「別に練習なんか見ても面白くねぇよ」
「そんなことはないよ。普通に練習してるところを見るのも好きだけどなぁ」

ルールとかは殆ど分からないんだけど。
そう言って恥ずかしそうに笑う彼女に、跡部は少しだけ胸がツキリと痛む。
それは一体、誰の練習を見るのが好きなんだよ。
思わず浮かんだ疑問を、手を固く握ることで打ち消す。

「でも―――しょうがないか。私も練習中に知らない人がいたら気が散るもんなー」

少しだけ首を傾げ、少しだけ、残念そうに笑う。
見たいのはそんな笑顔じゃないのに。
そう思ったけれど、跡部はもう言葉を撤回するタイミングも手を広げるタイミングも逃してしまった。

「練習は―――やっぱり今の時期大変だったりするのか」
「ああ、うん、クリスマスね。この時期とイースターの前は大忙しだよ。ソロパートとかも多いから、喉潰さないようにしないと……」
「お前、歌は上手いもんな」
「跡部くんまでそういうこと言う?」

彼女はジトリと恨めしげに睨んだけれど、そのすぐ後に見せた笑みは楽しげで、跡部は何となくほっとして彼自身も思わず笑みを零す。
そしてその彼の笑みに、は目を細めた。

「基本的に毎週日曜日は礼拝に出てるんだ。……だから、よかったら、また来て、ね」
「―――ああ、気が向いたらな」
「でも跡部くんって神様に祈る感じじゃないよね」
「……てめぇ、誘っといてその言い草は何だよ」
「あはは。何かそんな感じがしたから」

可笑しそうに笑う彼女が小憎らしくて、その腕を掴もうとしたけれどスルリと逃げられた。
そしてそのまま彼女は鞄を前に抱え、跡部の立っている場所とは反対方向の校門の方へと2、3歩進む。

「じゃあね、ぶちょうさん」
「その呼び方は何かの嫌がらせか」
「考え過ぎだって」
「最後の挨拶くらい、ちゃんと名前呼びやがれ」
「別に最後じゃないよ」

何気なく言った彼女の台詞が、跡部の中に沁み込んで来るのと同時に、彼から言葉を奪う。
黙って自分を見る彼の視線にちょっと戸惑いながらも、はまた二コリと微笑んだ。

「じゃあ、またね―――跡部くん」
「―――ああ、またな」

そしてこの前と同じくヒラヒラと手を振り、あっと言う間に遠ざかる。
そんな彼女に結局跡部は短い返事しか返せなかった。
さっきまで頑なに閉じたままだった手を開き、ペンダントを見る。

「―――日曜に、返す……か」

誰に言うともなく呟き、その手をポケットに突っ込んだ。