mots manquants 2




次の日の昼休み。
何も言わずしれっとした顔をして目の前でご飯を食べている蓮二に、俺の方から切り出した。
たぶん、俺から我慢出来ずに聞いて来る確率なんてものも算出しているに違いない。
けれどそんなことはどうでもよかった。

「どうせお前のことだ。もう大方調べたんだろう?のこと」
「――ああ」

わざとらしく今思い出したとでも言わんばかりの表情をする。
俺は何も言わず口に入れたご飯を咀嚼した。

「大体どう言った人物かは調べがついた。しかしそれらは全て既に精市の知っている情報だと思ったのでな、敢えて話をする必要もないかと思ったのだ」
「じゃあ、それらの情報が正しいかどうか判断してあげるよ」
「ふむ……そうか」

食事を終えた蓮二は一口お茶を飲み、の話を始める。
出生地、誕生日、血液型、父親の職業など、一体どこで調べて来たんだと思うような、けれどありきたりなプロフィール。
そして、出身の幼稚園に小学校、所属していたテニスクラブ、ジュニア大会での成績など、すらすらと彼は読み上げた。
小6の春からパタリとテニスのコートから消えたこと、中学はテニスとは全く縁のない、彼女の母親の母校に入ったこと。
どれも正確だったか、特に目新しい情報はなかった。

「実は、彼女のテニスは以前見たことがあった。家に彼女の試合を記録したテープが残っていた。……偶然会場で見かけて途中から撮ったものだから、ほんの少しだが。ムラッ気があって少し危なっかしい所はあるが、なかなか興味深いプレイをする子だった」

――そうだよ、もともとはそう言う子なんだ。
あんなぬるま湯みたいなお嬢様学校でおしとやかにしているようなタイプじゃないんだ。
俺はずっと、一緒にこの立海に入るものだと思っていた。
勉強だって、一緒に頑張っていたはずなのに。

「彼女の最後の出場記録は小6の時の春の大会だが――この時は初戦で棄権しているな。それから表舞台には一切出て来なくなった。……彼女はもうテニスをやめてしまったのか?」

黙って蓮二の話を聞いていた真田が、一瞬だけこちらに視線を向ける。
きっと真田も聞きたかったことだったのかもしれない。
俺はふと息をついて笑った。

「ああ、そうだよ。その大会を最後には完全にテニスを捨てた。今は部屋に行ってもテニスに関係するものなんて一つも残ってない」

捨てた。
その言葉を俺はなるべくサラリと使ったつもりだったんだけど――後になって、ギシと胸のあたりが軋んだ。

「そうか……それまで特に成績が落ち込んだ様子はないし、長期のスランプに苦しんでいた様子もない。一体理由は何だったのだろう」
「さあ。もう嫌になったって言ってたけどね」

あの試合の前後で変わったことと言えば、彼女のお祖父さんが亡くなったこと、だろうか。
けれど亡くなった後も暫くは普通にテニスを続けていたし、それが直接の原因とは思えない。
突然の心変わり。
理由なんて、俺の方が聞きたい位だ。

「――蓮二、分かってると思うけど」
「ああ、他の人間に話すつもりはない」

彼の返事に俺は軽く頷き、空いた皿の載ったトレーを手に立ちあがった。

「しかし彼女の名前はネットで検索すれば簡単に出て来る。彼女が以前ジュニアのプレイヤーだったことは、仁王や赤也にもすぐ知れるぞ」
「――分かってる」

本当に鬱陶しい世の中になったもんだ。
俺は内心舌打ちしながら、学食を後にした。




それから暫くは何の動きもなかった。
逆に仁王たちから一切彼女の名前が出て来ないのは気味が悪かったけれど、こちらから詮索して無駄に刺激をするつもりはない。
連絡先云々という話は当てにならないけれど、少なくともの方にその気がないなら、仁王たちも無理強いすることはないはずだ。
彼女本人にはあんなことを言ったけれど、たとえ仁王がペテンに掛けようとしたとしてもがそれに騙されることはないだろうと思っていた。
とりあえず、帰りに彼女の家の前を通り、毎日変わらず部屋に明かりが点いていることを確認して、安堵する毎日が続いた。
ところが暫くして、仁王が何故今頃そんな質問を?と思うようなことを聞いて来た。

「のう、幸村。はもうテニスをやらんのか」

何で一ヵ月以上も経ってからそんなことをわざわざ聞く?
真意がつかめず、思わず無言になった。
飄々とした、しかしどこか探るような仁王の目つき。
俺も対抗するように笑みを作り、彼の真意を探る。

「仁王、まさかまだと交流があるのかい?」
「ああ、この前ようやく携帯の番号を教えて貰えての。直接連絡が取れるようになった」

のやつ、一体何をやっているんだ。
表情を壊さないまま、心の中で毒づく。

「ふうん。君にしては随分と根気強いね」
「そうなんスよ。友達の方に連絡取ったり、この前なんかわざわざ部活休みの時に学校まで行って――」
「赤也」

仁王が赤也を制止したけれど、そんなのは既に手遅れだ。
視線を移した先に、ビクリと委縮する赤也の姿。
学校に行った、だって?

「――仁王。最初に俺が言ったこと、もちろん憶えているだろうね」
「ああ憶えとるよ。いい加減なつもりで近づいてはおらん」
「じゃあ本気だとでも言うのかい?に君の相手が出来るとは思えないけどね」

お前には退屈なだけだ、あんな世間知らずのお嬢様なんて。
口の端を歪める俺に、仁王はククと小さく笑った。

「お前さんでも、そんな顔をすることがあるんじゃのう」
「――言っている意味が分からないな」
「分からんのならいい」

お先、と部室を後にする仁王を、赤也やブン太が慌てて追いかける。

「幸村部長、マジ怖いッス!俺、凍え死ぬかと思いました!」

外からそんな声が聞こえて来て、俺は何だか気が抜けてしまった。
赤也、そう言う話はもう少し離れてからした方がいい。
俺がため息とも笑いともつかないような曖昧な息をつくと、そこに残っていた人間も少し表情を緩ませたようだった。

「精市」
「まったく、困ったお姫様だよ」

俺の名前を呼ぶ蓮二の声を遮るように、大仰に肩をすぼめて見せる。
本当に、困ったお姫様だ。
今になって――こうやって俺をかき乱して来る。

「彼女はもうテニスをしないのだろうか」
「――それは何かの嫌がらせかい、蓮二」

仁王と全く同じ台詞を口にする蓮二に、俺は振り返りもせずそう問いかける。
カタンと背後でロッカーの扉を閉める音がして、蓮二の声が続いた。

「本当に彼女は嫌になったのだろうか」
「さあ、そんなことは知らないよ。とにかくはもう一切テニスをしてない。それが事実だ」
「――そうだな」

その言葉とは裏腹に、納得行った様子もなく何かを考えるような蓮二。

「蓮二、分かってると思うけど、のデータなんか取っても何の意味もない。何故そんなに彼女を気にする?君は彼女に会ったこともないはずだ」
「何の意味もないと言うことはない。……が、そうだな、何故気にするかと言えば、精市が常に気に掛けている女性だから――まあ、つまるところ興味本位だ」

ふと口元を緩ませる目の前の男に、俺は不快さを思い切り全面に出した。
気に掛けている?俺が?そんなわけないじゃないか。
それは幼なじみだから多少の情はある。
仁王の女性癖をとやかく言うつもりはないけれど、何も知らずに近づいて傷付いたりするのは気分が悪いから、忠告位はするさ。

「いい趣味とは言えないね」
「自覚している」

神妙に頷く蓮二をそのままに、俺は部室を出た。
最近の話が出るたびに、いつも苛々している。
昔は彼女と一緒にいた時は、いつも笑っていたはずなのに。




「――精市」

いつものようにその部屋を見上げたら、そこは真っ暗で。
俺の中にも瞬く間に暗闇が押し寄せて来て――仁王や蓮二の台詞がグルグル頭を回って、吐き気がした。
立ち止まるつもりなんてなかったけど、目眩で足が動かなくなる。
口を押さえて遣り過ごそうとしていた時、後ろから、の声がした。
何とか視線だけを上げる。
そこには薄い袋を手に提げたが立っていた。

「どうしたの?大丈夫?」

薄暗い夜道でも、俺の様子がおかしいことに気が付いたんだろう。
は俺の方に駆け寄って来る。
その伸ばされた手を反射的に振り払い、俺は何とか息を整えた。

「何、してるんだよ、こんな時間に」
「こんなって……そんな遅い時間じゃないよ。ノートが終わっちゃったから新しいのを買いに……」
「夜遊びに慣れたお前には、こんな時間は遅いうちに入らないってわけか」

鼻で笑いながらそんな台詞を吐くけど、なかなか目眩の方が完全に治まらない。
頭がぐらぐらする。
そんな俺に、は性懲りもなくまた手を伸ばして来た。

「精市?どうしたの?」

今度は振り払わずに、その腕を掴んだ。
痛みに僅かに歪んだ彼女の顔を見たら、少しだけ落ち着いた。
細い、うで。
きっとこのまま力を思い切り込めれば、その骨を砕くことも出来るだろう。

「――あれだけ忠告したのに、あいつに会っているらしいね」
「あいつ?」
「白ばくれるの?」
「仁王くんのこと?」

無意識に力が入り、は小さな声を上げた。
俺のこの指の下の君の腕には、赤い痕が付いてしまっているだろうね。

「精市には関係ないはずだよ」
「関係あるよ。彼はうちの部員だからね、面倒なことになると困る」
「別に面倒なことになんてならないよ」
「さあ、どうかな」

俺が余裕を取り戻すと、それとは対照的にの表情が険しくなる。
彼女が微かに震えている。
怒り?それとも恐怖?

「……今さら、身内ぶったりしないで。放っといて。精市に迷惑かけるようなことはしてない」
「分からない?もう十分迷惑なんだよ」

そうやって、俺を苛々させて。
俺の中をぐちゃぐちゃにして。
力の加減が効かなくなって、がまた小さく悲鳴を上げた。
腕を掴む力はそのままに――けど、その唇をなぞる指は、ゆっくりと、優しく。
微かな震えが、俺の指に伝わる。
それが妙に可笑しくて、指を顎に滑らせ強引に上げさせると、その唇を――唇で塞いだ。
彼女の震えが止まる。
その代りに、一瞬、俺の方が震えを感じた。

驚いてうっすら開いたままだった彼女の唇の間から舌を滑り込ませて。
気が付いたら、彼女の舌も唾液も貪っていて。
全身を襲う不可解な感覚に、思わず腕に込めていた力が緩む。
と、くぐもった声を上げていたが、どんと俺の胸を押し退けた。
本当はそんな力、何の効果もなかったけれど、俺は大人しく彼女を解放する。
よろり、とよろける
そんな彼女がまた可笑しくって、笑みを浮かべたまま俺は湿った唇を手の甲で拭う。
何をするのだとなじることもなく、俺を睨みつけるの目。
ざわりと自分の中で疼き始める何かを抑えつけるように、俺は前髪をかき上げた。

「……最低」

その体を引き寄せた時に落とした袋を拾い、その一言だけを残して家の中へと消えて行く。
確かに最低だよ、俺も、君も――何もかも。