盆祭り




「お前を今度作るチームに入れるつもりはない。」

予想はしてた。
それはしていたけれど、もうそろそろいいんじゃないか、なんて勝手に思っていて、そんな矢先。
アニキに面と向かって言われて、俺は一瞬何も考えられなくなった。

「―――え?」
「俺たちは仲良し集団を作りたいわけじゃないからな。今のお前を入れることは出来ない。」
「何だよ、それ?」
「暴走族の延長みたいなことをされて秩序を乱されると困る。」
「りょ、涼介、もうちょっと言い方があるだろ・・・。」

飽くまで冷静に言い放つアニキ。
今にも殴りかかりそうな俺。
その間で、史浩が無駄なフォローを必死に入れる。

「言い方なんか変えても結論は同じだ。今のお前に走る資格なんかない。」
「―――って、何だよ?!こっちの世界に引っ張り込んだのはアニキの方じゃねぇか?!」
「そう言う甘えた考えが我慢ならないんだ。」

一応、それでも明け方には走りに行ってる。
確かに、何のために走ってるんだ、と聞かれて、すぐにちゃんと答えることは出来ないけれど。
分からないけれど。



携帯が鳴る。

ディスプレイを見ると、二ヶ月前に登録した女の名前。
あれから時々、うちにフラリと来てはピアノを弾いていく。
ただそれだけだったり―――セックスしたり。
お互い、何も聞かないで、何も言わないで、それだけの関係。
大人、とかそう言うことを気取っているわけでもなくて―――何となく、気分で。

「―――なに?」
「今、暇?」
「まあ・・・。」

どうせ今日もピアノを弾きに来るんだろうと思って、俺はベッドに寝そべりながらそう答える。
すると、そいつから、予想もしなかった台詞。

「じゃあ、お祭り行かない?」
「・・・は?」




近所の祭りなんて、ガキの頃以来だ。
昔は出店とか見て回るのが楽しかったけど、もうそんな時期は過ぎてしまった。
あの賑やかな雰囲気は今も嫌いじゃない。でも、今の俺には、ちょっと、キツい。
別にそれなら断ればいいのに。
いやだって言えば、たぶんこいつはあっさりと引き下がっただろう。
なのに、こうやって付き合っちまうのは―――どうしてなのか。

カラカラと、そいつの下駄の音が響く。
履き慣れないそれに、少し歩きづらそうにして、時折足元に視線を落とす。
月並みだけど、その襟から覗かせる項に、つい、目が行く。
こいつは、そう言う淫靡なものとはかけ離れた生き物に見えて―――ふとした時、俺の中にそう言う欲望を蘇えらせる。
そのくせ、他の女とは違って欲望のままに動くことが、まるで禁忌であるかのようで。
苛々する。どうしようもなく。
でも、やっぱり、俺はこいつから目を離すことが出来ない。

「先約とか、あった?」
「・・・べつに。そんなのねぇよ。」
「彼女と一緒に来たりとか。」
「んな面倒くせぇことするかよ。」

道を進むにつれて、どんどん人の通りが増えてくる。
はぐれないようにと、どちらともなく手を伸ばす。
こんなクソ暑い季節でも、そいつの手はひんやりとしていて、思わず、強く、掴む。

「あんたがこう言う場所が好きだってのは、正直意外だな。」
「そう?」
「人ごみとか、嫌いそうじゃん。」
「ああ・・・うん、そうだね。」

そいつも、俺の手を強く握り返して、ちょっと笑う。

「今までこう言う所って来たことなかったから。ちょっと興味があって。」
「来たことないって?子供のときとか来なかったのか?」
「ん。あんまり、外で遊ばなかったし。」
「・・・ピアノ、ピアノ、で?」

返事はせずに、曖昧に微笑む。
俺も、それ以上は何も聞かなかった。
それから、そいつは散々俺を引っ張りまわし、金魚すくいに、射的に、ヨーヨーにと付き合わされ、焼きそばに、わた飴に、カキ氷に、鈴カステラにと買わされた。

「お前、こんなに食えんのかよ?」
「大丈夫だよ、きっと。」

両手いっぱいに訳の分かんねぇもん持たされて、何か、俺が祭り馬鹿みてぇじゃねぇか?
俺、何してんだ?
珍しくよく見せるこいつの笑顔に、イカれちまったのか?

座れる場所を探して、通りから外れ、狭い石段を上っていく。
俺はこいつの買ったものを持たされて、前を歩いて、そいつが後ろからついてくる。
俺のシャツの裾を掴んで、あまりリズミカルとも言えない下駄の音が、後ろから聞こえる。
祭りの音楽と、衣擦れの音と、下駄の音。
それに時折、生ぬるい風に吹かれて揺れる葉の音が混じる。
背中にかかる心地よい重力と、それらの不規則で、不調和で、でも、どこか懐かしさを感じる音に、俺は吸い込まれていくようだった。

見晴らしのよい場所まで出て、ちょうどいい石を見つけて、二人で腰を下ろす。

「―――で?何から食うわけ?」
「うん・・・と、ああ、カキ氷、とけちゃった?」

残念そうにそう言うそいつの手元に視線を落とせば、そこにはカップに入ったピンクと青の液体。
僅かに氷の塊が浮いていて、それがカキ氷だったことを主張してはいるけれど、とても食欲をそそるようなもんじゃない。
この暑い中、歩き回ってたんだから当たり前の結果。

「だから、さっさと食えって言っただろうが。」
「でも・・・歩きながらって言うのは・・・。」
「ばぁか。それが祭りの醍醐味ってもんだろ。」

そいつを小突いてカップを奪い、植え込みに流す。
あからさまに元気をなくすそいつに俺は苦笑いし、白いビニール袋から焼きそばを取り出した。

「お前、ほんとにこう言う場所初めてとか言う?」
「そんなことはない・・・と思う。」
「ずいぶん自信なさげだな。」
「しょうがないじゃん。ピアノ、ピアノ、だったんだから。」

今度は俺の方が曖昧に笑い、黙々と焼きそばを食べるそいつの浴衣の袖をつまむ。

「これ、自分で着たの?」
「うん。」
「ふぅん。」
「・・・こんな暗闇じゃ着付けできないからね。」
「・・・ちぇ。」

結構楽しそうなのに、と言ってわざとらしく肩を竦めて裾をつまみ上げたら、肘で腕を思い切り突かれた。
痛ぇ、とジロリと睨んだけれど、ちょっとだけ、その反応にほっとする。
まだ食ってるそいつの頬を抓って抗議の視線を受けつつ、立ち上がる。
絶景の見晴らし、ってほどでもないけれど、それなりに街が見渡せて、明かりが見えて、綺麗だった。

「―――綺麗だね。」

いつの間にか隣りに立っていたそいつが呟くように言う。

「まあ・・・そうだな。」
「自分の街にこう言う場所があるなんて、知らなかった。」
「・・・ふぅん。」
「たぶん、何にも知らないんだろうな。」

さっきより冷たい風が吹いて、木々の葉と、そいつの髪を揺らす。
その風は汗をかいた体に心地よかったけれど、少し、肌寒い。

「―――私、ピアノやってたの。」

今さら、と言うような事実。
街の明かりをぼんやりと眺めたままそう言うそいつの後ろで、俺は石に腰掛ける。

「母親がピアノの先生だったってこともあって、三歳くらいから。毎日、六時間とか七時間くらい練習してたかな。」
「―――何、それ。」
「小さい頃に、才能がある、なんて言われちゃって、親も私もその気になっちゃって。学校行って、ご飯食べて、寝る以外はずーっとピアノ弾いてたの。」

ほんとに、ピアノ、ピアノの生活。
そう言いながら笑う。渇いた笑い。

「全国のコンクールとかでも入賞したことあるし。ずっと、何も疑うことなく、何も見ずに、弾き続けてた。
でも、そうやって弾いているうちに、分からなくなった。」

振り返ったそいつは、泣いてるかと思った。

「コンクールのために。リサイタルのために。毎日、毎日、無我夢中で―――でも、その、ずっと先のことは、何も見えなくて。
この先に何があるのか・・・私は、本当に、ピアノが弾きたいのかも、分からない。」

でも、涙は流してなくて、ただの、無表情だった。
初めて会ったときのような。

「分かってるけど。それが贅沢な悩みで、ただの甘えだってことぐらい。」

こいつは、たぶん、こうやって表情をわざと失くすことで、涙を我慢するんだろう。
そうやって、贅沢だと、甘えだと、自分に言い聞かせてるんだろう。
いつも。
だから、聴きたいはずのコンサートを目の前にして足が竦み、ピアノに向かう顔は痛みに耐えているように見えるんだろう。

「―――でも、好きなんだろ。」
「・・・・・・。」
「ピアノ。そうじゃなきゃ、あんな顔して弾かねぇだろ。」
「あんな顔って・・・?」
「なんつーか、イッちゃってる顔。」

睨むから、俺はわざとカラカラと高らかに笑ってやった。
だって本当じゃん。
あんた、俺とやってるときより、断然、綺麗な顔するくせに。

「ぜーたく。」

弾けるのに。
走れるのに。
好きなのに。
分かんなくなって、怖くなって―――逃げ出す。

俺も、お前も、何やってんだろう?

「なあ、あんたがしたいのは、祭りに行くこと?焼きそば食うこと?綺麗な夜景見ること?」
「・・・え?」
の、本当にしたいことだよ。」

そいつが、戸惑いながら、俺を見下ろす。
俺は座ったままそいつの顔を覗き込む。

「なあ・・・何がしたい?」

また表情を殺そうとするからムカついて、俺はそいつの腕をぐいと引き寄せた。

「泣けよ。」

女の涙なんて、いつもは鬱陶しいだけだけど。
あんたのなら―――まあ、いい。

「―――やな、ヤツ。」
「よく言われる。」

そうやって、フツウの人間が経験するようなことを全て犠牲にしてきて、
盲目的に突き進んで、
怖くなって。
泣いて。
そんなあんたは、むちゃくちゃ綺麗で―――何よりも、愛おしい。

でも、あんたの居場所はここじゃないから。
声に出しては、言ってやらないけど。