uncertainty 4




それを聞いたのがアニキからだったのは、よかったのか悪かったのか。
何でもっと早く言ってくれなかったんだ、なんて、見当違いな逆恨みをしたくなる。
けど、俺だって、アニキにもあいつにも、何も肝心なことは聞こうとしなかった。


もっと早く聞いていたら、俺はあの店に行くことをしなかったか?


夜、俺が自分の部屋のベッドでゴロゴロ寝転がりながら雑誌を見てると、珍しくアニキがノックしてきた。
俺がアニキの部屋に行くのは日常茶飯事だけど、アニキが俺の部屋に来るって事はまずない。

「どうしたの。」

俺は起き上がってドアを開けたアニキを見たけど、アニキの方はこっちに来るつもりはないらしくて、入口に寄りかかったまま。
・・・それって、足の踏み場がないとか言ってんのかよ。
仕方なくベッドから降り、アニキの方に行く。

「最近、たまにと昼飯食べてるんだって?」
「え?ああ・・・うん。」
「じゃあ今度会ったときに、これを渡しておいてくれ。」

そう言ってアニキは手に持っていたCD−ROMを俺に手渡した。
薄っぺらいそのケースを裏返してみたところでそこに何が入ってるかなんて分かるわけもない。
でもどうせプログラム関係か何かだろう。
「分かったよ。」と素直に頷いて、俺はベッドの方に戻ろうとした。
けど、背後から引き止めるようなアニキの声。

「お前、知ってるんだよな?」
「―――何を?」

まだ壁に寄りかかったままのアニキは、少し目を細めて俺を見た。
そのもったいぶった仕草に俺はちょっと苛立つ。そんなアニキぐらい見慣れてるはずなのに、何だか、あいつのことなんて何も自分は知らないんだってことを見せ付けられるような気がして。
でも、確かに、俺は何も知らなかった。

そんな肝心なことも。



「あいつに男がいるってことをだ。」



―――ショック、って言うには、随分と自分は冷静だった。
別に、目の前が真っ暗になったわけでもない。
何かに殴られたような気がしたわけでもない。
息がつまったわけでも、ない。

ただ、何かが、ズルリと、嫌な感覚を残して自分から抜けていくだけ。

「―――男がいたら、飯食っちゃまずいわけ?」
「そうじゃない―――分かってるなら、いい。」

分かってるって、なに。
なんだよ、それ?

ため息みたいな呼吸をして壁から体を起こし、部屋を出て行く。
ドアが閉まり、その足音は隣りの部屋を通り越し、階段を降りていく。
静かになった部屋。
さっきの冷静だと思った自分はどこかに吹っ飛んで、今度は何かが俺の中を引っ掻き回す。

「―――くそっ!」

無性に腹が立って、イラついて、それを抑えきれない。
俺は手に持っていたCD−ROMをベッドの方に投げつけ、近くにあったガラクタを蹴っ飛ばした。






アニキにあんなふうに言った手前、今さら預かったものを「渡せない」なんて言って返すわけにもいかない。
仕方なく、次の日にあの店へ行くことは行ったけど、あんまり飯を食う気にはなれなかった。
食欲がなくなる―――なんて、何がショックだったっつーんだ。
そもそも俺はそんな繊細なんかじゃねぇ。

無理やりサンドイッチを注文したけど、やっぱりどうも胃がむかむかする。
目の前の白い皿にはまだ半分以上が残ったままだったけど、俺は諦めて灰皿を引き寄せた。
そのとき、相変わらずの飄々とした声が後ろから聞こえてくる。

「もしかしてもう食べないの?勿体ない。」

いつもと変わんない顔をして、俺の隣りの席に座る。
そりゃあ、当たり前だ。お前は何も変わっちゃいないんだから。

「食欲ないの?」
「・・・まぁな。」
「夜遊びのしすぎ?」
「お前じゃねぇっつーの。」

会話も、いつもと何も変わんねぇ。
そりゃ、そうだ。
何も変わっちゃいない。
ただ、昼飯を食うだけの、同じチームに入るかもしれない仲間。
―――仲間、って言うには、全然チームの話なんかしてねぇけど。

「お前、いい加減テリチキやめたら?」
「別に啓介くんに迷惑かけてないんだからいいでしょ。」
「たまには違うもん食えよ。」

こいつが新しいチームのことなんてどれだけ知ってるのか分かんなかったし、そりゃあああ言うソフト作るくらいなんだから多少車のこととかも詳しいのかもしれねーけど、何だかそう言う話するのも陳腐な感じがしたし。
なんて、そうやって言い訳作って、俺は結局そう言う話題を口に出したくなかったのかもしれない。
無意識に。

「それ、アニキから預かって来た。」

俺はテーブルの上に置いておいたCD−ROMのケースを顎でさす。
そいつは特に抑揚のない声で「ありがとう。」と言い、それを持っていた小さいバッグに入れた。
その様子を最後まで見届けた俺は、煙草を吸う代わりに、もう殆ど冷めちまったコーヒーに口をつけた。

「お前さ、アニキとはいつからの付き合いなわけ?」
「涼介くんと?・・・そんな古くないよ、1年くらいじゃない?」

の口から出てきたのは、随分浅い年数。
たった一年であのアニキが全面的に何かを任せるようになるんだろうか?
腑に落ちないって言うのが顔に出てたのか、そいつは紙ナプキンで手を拭いながら付け足す。

「私が通ってた峠に現れてさ、そこでずーっと最速だった人を軽ぅくブチ抜いて、カナリ感じ悪かったよ。」
「まあ、アニキだからしょうがねぇよな。」
「それは感じ悪いって所が?」
「お前な・・・。」

肩を竦めて、しれっとした顔でコーヒーを飲む
思わず吹き出しちまう俺。
なんつーか・・・ほんとに―――。

「何?」
「いや、何でもねーよ。」

何故だか意味もなく笑いがこみ上げてきて止まらない。
額に拳を当てて笑う俺に、は首を傾げ、コーヒーを啜る。
そうだよな、可笑しいことなんて何もない。
可笑しいのは俺の馬鹿さ加減だけだ。

「じゃあ、お前走り屋だったのか。」
「そんなに自分じゃ走らなかったけど。」
「実はその最速だった奴がお前の男で、くっ付いて回ってたとか?」

俺が笑ったままそう言うと、そいつのカップを持つ手がちょっとだけピクリと動いた。
何だよ―――図星?
自分の吐き出した台詞を僅かに後悔してそいつを見る。
動揺、してるのかと思ったら、そいつは随分と素っ気なく返してきた。

「別にいいでしょ。」
「―――へぇ、マジで?じゃあそいつと付き合ってんだ?」
「そうだよ。」
「―――へぇ。」

続けてまた軽口を叩いてやろうと、冷やかしてやろうと思ったのに、頭も口も回らなくなって間抜けな相槌しか打てない。
お前がヤロウのケツに付いて回ったなんて想像つかねぇ。
それ、別の人間なんじゃねぇの。

「さっさと結婚しちゃえばいいじゃん。」

やっと出てきたのは、そんなヤケクソな台詞。
それにはマトモに答える。

「二十歳までは我慢しなさいって言われてるんだからしょうがないよ。」
「誰に?」
「いろんな人に。」
「へぇ。惚れてるんだ?」
「―――惚れてるよ。」

隠すわけでもなく、恥ずかしがるわけでもなく、いつもと同じように淡々と話す。
そいつには、俺のことは話さねぇのかな。
話すときはやっぱ、こんなふうに淡々としてて、罪悪感とか、後ろめたさとか、そう言うもんは何も感じないんだろうか。

「―――顔色悪いんじゃない?」
「べつに。」

ムシャクシャするだけで、別に具合が悪いんじゃない。
そうやって心配そうな目を見てるだけで―――ムカつく。

「風邪とか引いたんじゃないよね?」

いつもは他人のことなんて全然関心ないような顔してるくせに、なんだよ?
苛々して、伸びてくる細い腕を思いっ切り振り払っちまった。
そしてすぐにズシンと来る罪悪感。
でも素直に謝ることなんて出来なくて、俺は何とか「平気だから」とだけ言って目を逸らす。

何でだろう、いつもならもっと上手く出来るはずなんだ。
お前はただの身近にいる女にしか過ぎなくて。
たまに飯を一緒に食って、そのときの低レベルな会話が楽しくて。



こいつのことを好きだって思ったことは、過去になるんだよ。
いつもなら。



「―――もう、時間じゃねぇ?」
「ああ、うん・・・。」

は歯切れの悪い感じで返事をして壁にかかっていた時計を見、それから、俺の前にあった黒いトレーに視線を落とした。
別にそれを見たことに何の意味もなかったのは分かってたけど、わざと、笑って聞く。

「なに、俺の食いかけのサンドイッチ欲しいの?」
「んなワケないでしょ。」

そいつがいつもの飄々とした顔つきに戻ってちょっと安心し、俺はもう一度声出して笑う。
そいつも、いつもの俺を見つけて安心する。

「じゃあね。ちゃんと大学行きなよ。」
「それもう聞き飽きたっつーの。」
「だって何か行かなそうだもん。」
「俺って信用ねぇなぁ!」

軽く手を振って店を出て行く
その後姿を見送って―――テーブルの上にあった煙草の箱を思い切り握りつぶした。