uncertainty 5




講義が終わって、同じクラスの連中に麻雀に誘われた。
けど、そんな気分じゃなくて断った。

「んだよ、最近付き合い悪いよな。」
「悪いな。」

気分じゃないっつーか、頭が回らないっつーか、頭を使うのが面倒っつーか。
今は峠行ってがむしゃらに走り込む方がスカッとした。
まあ、アニキに言わせれば、峠攻めるのも頭を使わなきゃいけないんだけど。
コーナーを目の前にすると、頭はまっさらになる。
どこまでブレーキングを遅らせるか、どこでキッカケを作るか、次のコーナーはどう攻めるか、それだけ考えればいい。
それ以外の何も入ってくる隙がない。

とは言ってもさすがに夕方から行くわけにもいかない。
本屋とかブラブラした後夕飯を食おうと家に戻ると、ちょうど同じくらいにアニキも帰ってきた。
ガレージのシャッターを閉めようとしたとき、あのロータリー音が近づいてくる。
こうやって改めて明るい時間にそれを聞くと、やっぱり結構近所迷惑かもなぁ、なんて苦笑いしちまう。

「なんだ、お前も今帰ったところか?」
「アニキも早いじゃん。」
「早めに片付けたい仕事があってな。」
「何、チーム関係?」
「ああ。」

夕飯は残り物か何かで簡単に済ませようと思っていたんだけど、アニキのおかげでマトモな食事にありつけた。
アニキも一人だとものすっごく簡単に済ませちまうはずなんだけど、俺がいると普通に飯を作る。
それって、昔からの習慣っつーか、癖、みたいなもんなんだろう。俺の面倒を見なきゃいけない、と言う。
レポートとか大事なテストとかある時でも作ろうとするから、さすがに俺も気ぃ使って自分が作るって言うんだけど。
―――大概、失敗して出前取ったりする。
でも、コーヒーは俺の担当。
つっても、コーヒーメーカーに豆と水をぶち込むだけだけどさ。

「アニキ、たまには俺の走り見てくれよ。」
「今度のタイムアタックが終わったらな。」
「―――ちぇ。」
「課題はこなしてるんだろう?楽しみにしてるぜ。」

そう言ってコーヒー飲みながら本当に楽しそうに笑いやがる。
アニキって本当に意地が悪い。

来週末には新チームのメンバー全員でタイムアタックが行われる予定だった。
まあアニキがナンバー1として・・・次が誰なのか、まだ予想できない。
俺自身、アニキに貰った課題をこなして、それなりに走れるようになって来てるって自覚あるけど、正直どうなるのか分からない。史浩は、アニキも自分も俺に対して何も心配してない、なんて気休めなのか本音なのか分からないことを言うけど。

「お前はこれから走りに行くのか。」
「ん、まぁ。」
「あんまりストイックになりすぎるなよ。」

小さく笑いながらアニキはすげぇ意外なことを言った。
俺は思わず口をポカンと開いて、前に座ってたアニキを見る。
すると別に他意はない、とばかりに肩を竦めた。

「峠に行ってもあんまり他の奴と話もせずに黙々と走ってるって言うじゃないか。史浩が心配してたぜ。」
「べつに―――それほどでもねぇよ。」

確かに、ここ数週間は行って走って来るだけだった気はする。
あんまり無駄なこと考えたくなかったから。
車の外に出てぼーっと煙草なんか吸ってると、くだらねぇことばかり考えちまう―――あいつのこととか。

結局、俺は煙草を握りつぶして使い物にならなくして以来、あの店には行ってない。
て言っても、まだたった2、3週間前の話だ。
俺にはすげぇ長い時間に思えるけど、あいつには全然大したことないかもしれない。
もしかしたら、行かなくなったなんてことに気付きもしないで、相変わらずあそこでテリチキ食ってるのかもしれない。
うわ、容易に想像がついて、ムカついて―――笑える。

こんなの、女々しくて、くだらなくて、いつもの俺じゃない。
けど、だからって史浩やアニキにまで心配されるほどはヤバくねぇだろ?

「アニキだってFC買ったばかりの頃なんて、夜家にいたことなかったじゃねぇか。」

そう言ってちょっと訝しげに眉を寄せると、アニキはまた小さく笑うだけで、それには特に何も答えない。

「楽しいならいい。」
「―――楽しいよ。」

俺はワケの分かんないアニキをほっといて、食器を食洗機にガチャガチャと入れた。
昔は洗い物が俺の仕事だったのに、これのおかげですっかりお役御免だ。

「じゃあ、出かけてくる。」
「気が向いたら早く帰って来いよ。」
「何だよ、それ?」

ほんと、ワケ分かんねぇ。
意味深に微笑むアニキをおいて、俺はさっさと玄関に向かった。




峠に行くと、何となく雰囲気がピリピリしていた。
タイムアタックの日が近づけば近づくほど、皆緊張を隠せなくなる。
あのアニキのことだ、たとえ自分から誘った人間だとしても、期待はずれならあっさりと切り捨てるだろう。
だから、どいつもこいつも、新チームに入る予定の奴らは必死。
こんな時に笑ってられるのは史浩ぐらいだ。

「お、今日も早いな。」
「そう言う史浩も毎日俺より先に来てるじゃねぇか。」
「その代わり俺は帰るのも早いからな。」

毎日毎日、アニキに頼まれているのか、史浩はここに現れる。
誰かが変なことしでかさないかとか、仕上がり具合だとか、色々見てるんだろう。
まったく、自分はろくに走らないで、お人よしっつーか、世話好きっつーか。

「史浩、最近全然走ってねぇんじゃねー?」
「まあ今は忙しいし、しょうがないな。」
「目の前で走ってるヤツ見て、自分もウズウズして来たりしねぇの?」
「そうだなあ・・・俺もあれ位速ければとは思うけど、こうやって他の連中のを見て色々考えてるのも楽しいもんだよ。」

なんつーか、史浩にはちょっと達観したところみたいなのがある。
あのアニキとずっと一緒に走ってたせいなのか。
いや、でも俺だったら一緒に走れば走るほど、アニキに追いつきたくて仕方なくなるけど。

「そんなもんかね。」
「そう言う人間もいるさ。自分で走るよりもサポートする方が楽しいってね。」

腕組みして笑う史浩。
何だか、その笑い方がさっきのアニキみたいで、ちょっとムカつく。

「啓介も、タイムアタックが気になるのは分かるけど、あんまり自分を追い込むなよ。」

しかも、さっきのアニキと似たような台詞まで吐きやがる。

「人も車もたまには休ませた方が、逆にリフレッシュ出来てよかったりするぞ。」
「・・・分かってるよ。」

―――俺、そんなに切羽詰った顔してるんだろうか?
そこまで言われると逆に意地になって朝まで走りこみたくもなるけど。
車に乗り込み、頬をさする。別に、それで何が分かるわけでもない。

「―――ちくしょう。」

注意力散漫になって、全体的に動きが遅れる。
しっかりしろ、思い出せ。そんなふうに思えば思うほどドツボにはまる。
あの二人に上手くハメられたような気さえしてくる。
山頂の駐車場に戻り、まだそこに立っていた史浩をフロントガラス越しに睨んだ。




ガレージには、出かける前と同じく白のFCが止まっている。
オヤジの車のスペースは滅多に埋まることがない。
今日も学会だか何だかで、お袋と泊まりで出かけてるはずだ。

チャラチャラと車の鍵を弄びながら庭を横切り、玄関のドアを開ける。
ガチャンと言う音がホール中に響き渡って、相変わらず静かな家だよな、なんて思う。
今さら改めて言うほどのことじゃない。ずっと昔からこんな感じだ。
なのに、何となくそう思っちまったのは、直感的に何かを感じ取ったせいだったのかな。

階段を昇る。
アニキの部屋のドアの隙間から明かりが漏れている。
俺はいつものように、ノックもそこそこに「ただいま」とドアを開けた。
もちろん、そこには、こっちに背中を向けて机に向かってるアニキがいると信じて。

でも、そこにいたのは、あいつ一人だった。