欠片 2
目覚ましが鳴る。
モソモソと手を伸ばしてそれを止める。
いつもと変わらず、眠い。
でも、起き上がった体は、少しだけ軽いような気がした。
「何だ、今日は早いじゃねぇか。」
「・・・んなことねぇよ。」
一体どうしたんだってニヤリと笑う親父に何となくむっとして、わざとスニーカーの音をズルズルと立てて車に乗り込んだ。
紙コップに水を汲む親父を、窓枠に肘をついて眺めながら、ふと、昨日の彼女のことを思い出す。
普通のチェックのシャツにGパンって格好だったけど、やっぱりあんな時間にホテルの勝手口にいるってことは、あそこの従業員なんだろうか。
昨日だけ、たまたまいたんだろうか。
―――今日は、いなんだろうか。
「ほらよ―――って、何怖い顔してんだ。」
「・・・別に怖い顔なんてしてねぇだろ。」
自分でもどんな顔してるのかなんて分からなくて、親父から奪うようにそのカップを受け取り、ホルダーに入れる。
「何か今日は危なっかしいな、大丈夫か?」
腕を組んだまま訝しげな顔をして見下ろしてくる親父。
俺はそれには返事をせず、ただ「行って来る。」とだけ言って車を出した。
何となく落ち着かない気分のままホテルへ向かう。
いつものように業者用の駐車場へと入ると、朝もやの中に人影が見えた。
まさか、昨日の人―――?
思わず、ドキリと鼓動が跳ね上がる。
でも待てよ。車を運転してるのがばれたら、ちょっとヤバイ―――よな。
誰かに見つかっても堂々としてればばれやしない。
親父はいつもそう言ってるし、まあ、実際俺もそうなんだろうな、とも思うけど、でも、やっぱり緊張するものだ。
深呼吸してエンジンを切る。
ドアを開けて外に出ると、その人影がだんだん近づいてきた。
「―――おはよう。」
その白い空気の間から聞こえてきた声は、昨日と同じ、明るく透き通っていた。
俺は緊張と、それ以外のものと、ごちゃ混ぜになったままボソリと挨拶を返す。
「・・・おはようございます。」
「車で配達してるんだね。」
って、当たり前か。
そう言ってちょっと恥ずかしそうに笑う彼女。
俺はだんだんはっきりと見えてきた彼女の顔を真っ直ぐ見ることができず「はあ。」なんて曖昧な返事をしていそいそと車のトランクを開けた。
「手伝うよ。」
「え・・・いいっすよ。」
「でもそのために待ってたのに。」
そのために―――って、俺の手伝いをするために待ってた?
俺が、その言葉を心の中で繰り返しているうちに、彼女は俺からさっさとトレーを一つ奪っていく。
「あ、ちょっと・・・。」
「いいからいいから。」
彼女は笑顔でそう言いながら、通用口へ入って行ってしまう。
慌てて追いかける俺は、どうしても口元が緩むのを抑えられなかった。
「こんな朝早くから偉いなーと思って。」
車の方に戻る俺に、彼女は缶ジュースをくれた。
それを手で弄んでいる俺の横で、彼女は目の前の車を珍しそうにまじまじと見る。
「でも、お豆腐の配達って言うと軽トラックとかだと思ったんだけど―――すごい車だね。」
「・・・そうっすかね。」
確かに、軽トラックなんかよりうるさくて、狭い。
だけどとりあえずこの車の方が速く帰れるからよかった。
車検だか何だったか、そう言うときに何度か軽トラに乗ったことはあるけど、あれだと全然スピードが出なくて苛々した。
まだ車を眺めている彼女。
俺は色々聞いてみたいことがあるような、話したいことがあるような、そんな気はしたんだけど、全然言葉が出てこなくて。
手の中でぬるくなってきた缶ジュースのプルタブを開けた。
これが飲み終わるまで。
そんな猶予が出来たような気がしてちょっとほっとしながら、それに口を付ける。
夏休みって言ったって、今日も朝から部活がある。
本当は早く帰らなきゃいけない、早く帰って少しでも寝たい。
そうは思うんだけど、足が動かなくて。
ただ、黙ってジュースを飲み干した。