欠片 6




家に帰ると、外で親父が新聞を広げて立っていた。

「―――悪い、遅くなった。」
「・・・まあ帰ってくればいい。」

中学の頃から車を運転させるなんて無茶をさせておきながらも、やっぱり心配、なんてしてくれてるのだろうか。

「もう寝てる時間ねぇぞ。」

ぶっきら棒にそう言いながら、新聞を畳んで家の中に入っていく親父。
その背中を見ながら、何か、くすぐったいような、おかしな気分だった。

結局―――何があっても、飯を食って、学校に行って、授業を受けて。部活に出る。
もしかしたら、朝の出来事は全部嘘だったんじゃないか。
いや、それ以前に、もしかして、全部―――この一ヶ月近くのことが全部、幻だったんじゃないか。
授業中、窓の外を眺めていると、ふと、そんな馬鹿なことが頭に浮かんだ。
そんなわけはない。
口には、唇には、その感触は確かに残っているんだから。

放課後の部活ではボロボロで、泥だらけ。
注意力散漫だ、なんて先輩には怒られて殴られて。
でも確かにその通りだったから、何も言えなかった。

「おい大丈夫か、藤原?」
「・・・大丈夫だよ。」

後片付けを終えて、同じ一年の奴が心配そうに声をかけてくる。
俺はばつが悪く、俯いたまま適当に返事して、思い切り水道の蛇口を捻った。
勢いよく水が出る。
その水が夕陽を浴びて、どことなく赤茶けて見える。

あの秋名湖で見た夕陽に似たオレンジ色。

俺は、それを頭からかぶる。

今ごろ、もう電車に乗っているのか?
―――もう、帰ったのか?

水を浴びたまま、髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
すべてを洗い流してしまえるように。
そんなのは無理だって―――この熱はもう消すことなんて出来ないって、分かっていたけど。
そうせずには、いられなかった。
いい思い出―――なんて言うには、俺にはちょっと苦すぎた。

「別に、誰にもばれませんでしたよ。」

誰かに無免のときのことを聞かれて、いつもそう答える。
嘘をつく罪悪感と、もう一つの何かが、いつも、胸の奥でチリチリと焼ける。

それ以来、彼女に会ったことは、ない。
誰かにばれたこともない。

彼女だけだった。
あの頃の、俺を知っていたのは。