untruth 2
「さん、一緒にメシ食いましょうよ」
昼休みに友達と学食へ向かおうとしていたの前に、ヒョッコリと切原が現れた。
一瞬呼び方が変わったことに気付かなかったが、彼女の友人が「さん……?」と繰り返したので、そこで初めて気が付いた。
はわざと憮然とした表情を作り、教室の入口に立っていた切原を睨む。
「昨日断ったはずだけど」
「別にいいじゃないっスか、メシくらい」
頭の後ろで両手を組んで、悪びれない態度。
無視してその男の横を通り過ぎようとしたら、すかさず腕を掴まれて「じゃ、行きましょっか」とグイと引っ張られた。
「え、ちょ、ちょっと……」
「っ!?」
「あ、今日からさんは俺と昼飯食うんで。他当たって下さい」
ニンマリと笑っての友人にヒラヒラと手を振る切原。
こいつ……絶対、この状況で遊んでる。
呆れと苛立ちの入り混じった気分では彼の手を振りほどこうとしたけれど、思いのほかその力は強くてピクリともしない。
「あのねー……恋愛ごっこの相手なら他を当たってよ」
「まーまー、そんな怖い顔しちゃ美人が台無しっすよ?あ、ほら、今日の日替わりランチはさんの好きなカニクリームコロッケっすよ!」
「私がいつカニクリームコロッケが好きなんて言ったのよ」
「あれ?違いました?あっ、日替わりパスタの方がさんの好きな明太子っすよ!」
「私、タラコ全般嫌いなんですけど……」
「あれ?そうでしたっけ?」
けろっとした顔で適当なことを言う切原に、は呆れるのを通り越して思わず笑ってしまった。
ホント、いい加減で強引で、理解不能だ。
何だか抵抗し続けるのも馬鹿馬鹿しくなって、は大人しく彼と一緒にお昼を食べることにした。
「あ、やっぱカニクリームコロッケが好きなんじゃないっスか」
「いや、だから、明太子が嫌いなんだってば。話聞いてる?」
が手に取ったトレーにコロッケの載った皿を載せると、切原が背後からに寄りかかるようにして手元を覗き込む。
ふと、周りを見ると、見知らぬ女の子たちの、決して友好的とは言えないような視線。
なるほど、彼と親しくするとこういう視線に晒されるようになるのかと、まるで他人事のように感心して肩を竦める。
これで更に他のレギュラー陣に話しかけたらどうなるのだろうか?
ちょっと寒気を覚える。
けれど隣りの切原はそんなの心の声などあざ笑うように窓際の席にいた幸村たちに声をかけた。
「ちーす!」
「赤也……と、あれ?さん?」
「どーも……」
意外そうな表情を隠そうともせず、幸村が首を傾げる。
その向かいにいた真田はどことなく苦々しげな顔。
隣りの柳の表情はよく分からなかった。
がマトモに彼を見ることが出来なかったという理由が大きい。
「三人で密談っすか?」
「赤也、密談って言うのはこっそりと相談することを言うんだよ?」
フフ、と微笑う幸村も、実際の心の中で考えていることは、やはりよく分からない。
は心の中で肩を竦めつつ、空いている席を探す。
その席探しに夢中になってしまい、自分の目の前で交わされている会話の内容を否定するタイミングが遅れてしまった。
「しかし、珍しい組み合わせだね?赤也とさんって仲良かったんだ?」
「あ、知りませんでした?」
「え?あの、ちょっと……?」
「知らなかったな。でも案外お似合いだよ。―――ね?」
割り入ったのことなど目に入らないかのように幸村は微笑を浮かべ、前に座っていた柳の方を見る。
この会話の流れから、自分にとってあまり嬉しくない展開になることを覚悟する。
密かに、お腹に力を込める。
「……ああ、そうだな」
けれどそんな努力空しく、その柳の短い言葉に、まるで鉛でも飲んだ気分になった。
しかしここで落ち込んだ表情を見せるわけにも行かない。
は不自然な笑みを顔に張り付かせる。
「あ、隣り座っていいっスか?幸村部長」
「うん、いいよ?」
「え、ちょ、ちょっと……」
「さんも、そこ、座りましょ」
そう言いながら切原が指差したのは柳の隣りの席。
今の状況で彼の隣りに座るのは拷問に近い。
は慌てて切原を肘でつつく。
「ね、ねえ、あっちも空いてるから、あっち行こう」
「え?何でですか?ここはダメなんすか?」
「えー……」
どうやら繊細な乙女心は理解できないらしい切原は、言い淀むに訝しげな視線。
そんな二人を前に、幸村は少し意地悪そうな笑みをした。
「赤也、ちゃんと察してあげないと。さんは二人きりで食べたいんだよ」
「そ―――」
そう言うわけじゃない、と言いかけたけれど、ここで否定すると別の言い訳を探さなければならない。
軽いショックで上手く頭の回らないに、そんなものを即座に見つけ出せるわけもない。
驚いた顔をしている切原と、また何か言いたげに口を開きかけた真田を見て―――黙って頷いた。
「じゃあ……あっち行きますか」
意外な彼女の台詞に動揺したのか、顔が少し赤くなった切原と、奥の席へ向かう。
「どこかの誰かさんと違ってまだラブラブだね」
幸村くんでも「ラブラブ」なんて言葉を口にするのか。
はそっちにばかり気を取られて、その台詞の意味は特に深く考えなかった。
「いいんスか?せっかくのチャンスだったのに」
「ど、こ、が!」
三人から離れて座り、は切原を睨みながらも、ほっと息をつく。
「ま、俺はさんと二人の方が嬉しいっすけど」
「へー。それはそれは」
「今日も一緒に帰るっしょ?部活は昨日と同じくらいの時間に終わるんで待っててくださいよ」
「……何なの、その肯定を前提とした質問は」
「んな小難しい言い方しないでくださいよ」
ご飯を頬張りながら口を尖らせる切原。
口を尖らせたいのは私の方だ、と思いながらもご飯を口に運ぶ。
「今日は見たいテレビがあるから、やだ」
「もっと上手い言い訳考えてくださいよ。嘘ってバレバレ」
「嘘じゃないってば!」
「さんがそんなテレビ好きだなんて、聞いたことないっすよ」
「切原くんが聞いたことないだけでしょ!」
「あ、そうそう。今日は試合形式の練習もあるんで見学してても飽きないと思いますけど」
「……」
「ちょっと。聞いてます?さん」
抗議の視線に抗議の視線で返し、パクパクとせわしなくご飯を口に運ぶ。
―――けれど、結局、放課後にテニスコートへ向かってしまう自分は、やはり流されやすいんだろうか。
は自分で自分に呆れながら、コートから少し離れた所でボンヤリと眺める。
「そんな所じゃよく見えないんじゃない?」
芝の上にしゃがみ込み、ウトウトしかけていると背後から笑いを含んだ声がして振り返る。
この人ってユニフォーム着るとイメージ変わるよな。
そんなことを思いながら、眠い目をこすって幸村を見上げる。
「そうでもないよ。ここからだと全体が見渡せるし」
「赤也だけ見れればいいんじゃないの?」
「……幸村くんがそう言う話題を振って来るのって意外」
ちょっと意地悪っぽく口の端を上げる幸村を睨むように見上げると、「そうかい?」と可笑しそうに笑った。
「まあ、これくらい離れていた方が赤也の気が散らなくていいかな?」
「これくらいで気が散るようじゃダメでしょ」
「手厳しいね、さんって」
そう言ってまた笑い、の隣りに腰を下ろす。
「部長がさぼってていいの?」
「別にさぼってるわけじゃないよ。ほら、ここだと全体が見渡せるからね?」
温和な笑みを絶やさない幸村。
やっぱりこの人は切原くんよりも理解不能だ。
は小さく首を横に振る。
「真田くん辺りに、たるんでるとか言って怒られるんじゃない?」
「ふふ……分かってないね、さん」
微笑がちょっとうすら寒いものに変わったような気がしたけれど、敢えて気のせいだと思うようにする。
幸村の視線の先を追うように、もコートに目を向ける。
そこには試合をしている切原と丸井の姿。
と丸井は全く口をきいたことはなく、名前くらいしか知らない。
見に行った試合では、よく甘い物を食べているな……という記憶ばかり。
そう言えば、この前コート脇で試合を見ていたら、隣りで他校の生徒が「すげーすげー」と連発していたのを思い出す。
「あれ?どうやら赤也は『ダメ』みたいだね」
「え?」
幸村の台詞に、改めては切原の方を見る。
さっきまでは気にしていないように見えたのに、今はの方にチラチラと視線を向けている。
「……あれはたぶん、幸村くんがいるからじゃない?」
「俺がさんを取っちゃうとでも思ってるのかな」
「いや、たぶん、何か余計なことを吹き込んでるんじゃないかってヒヤヒヤしてるんだと思うけど」
が頬杖を突きながら横目で幸村を見て言うと、彼は「さんって面白いよね」と楽しそうに笑って立ちあがった。
「―――さんってさ、最近よく試合見に来てるよね」
「よく、かどうかは分からないけど、たまにね」
「それってさ、赤也目当てだったの?」
どことなく、その答えを知っているかのような幸村の口調。
この人も知っているんだろうか?
切原にばれた位なのだから、知られていてもおかしくはない。
何と答えたらいいのか言葉に詰まるをみて、少し楽しげに眼を細める幸村。
「―――見学してると、やっぱり邪魔かな」
暫くの間の後、は質問に質問で返す。
躊躇いの表情を浮かべるにたいして、幸村は表情を変えずに肩を竦める。
「いや、全然邪魔じゃないよ。むしろさんにはもっと邪魔してほしい位だね」
「……なに、それ」
安堵したような、呆れたような溜息。
そのの言葉には答えを返すことなく、幸村はそのままコートの方へ戻って行く。
がコートの方を向くと、またこちらを見ている切原と目が合った。
ふと、気まぐれを起こし、は彼にヒラヒラと小さく手を振ってみた。