untruth 4




もちろん、切原と待ち合わせなどしたことはないから、彼が時間にルーズかどうかは分からない。
けれどあの時間に厳しいテニス部の部員なら、連絡もなく遅れて来るなんてことないんじゃないだろうか。
駅前の大きな時計を眺めながら、何となく人ごとのようにそんなことを考える
約束の時間はとっくに過ぎている。
まさか、事故に遭ったりしてないだろうか。
そう思い始めると、遠くで鳴るサイレンの音に、いちいち心臓が撥ねる。
―――けれど、一方で冷めている自分がいる。
今日は来ないかもしれない。
この前の切原の様子を思い出し、ぼんやりとそんなことを思ったりもするのだ。

近くの壁に寄りかかり、ふうと息を吐き出す。
お洒落をしてこなくて正解だったかもしれない。
出かける前、気が付けば長い時間クロゼットを漁っていた。
まるで、ドラマとかでデート前の女の子が部屋いっぱいに服を広げるのと同じように、何着も取り出して。
けど、次の瞬間、いったい自分は何をしているんだと呆れて、全部またクロゼットに戻す。
……これもまたベタな展開だ。
そう思いながら。

女友達と出かけて来るという彼女の言葉を、父も母も疑いもしなかった。
「たまにはデートとか言う言葉も聞いてみたいわね」という母の台詞に苦笑した。
「仮面カップル」でも、デートはデートなんだろうか?
そんなどうでもいいことを考えながら、何となくフワフワとした気分で待ち合わせ場所に来た。

―――40分経過。

心の中で、冷静に呟く。
携帯を取り出して見るが、かかってくる気配はない。
の方からも一度連絡してみたけれど、電源が切られていた。
一時間待って、それでも連絡が付かないようなら帰ろうか。
もう一度ため息をついて、携帯をポケットにしまう。
そして視線を上げると―――ちょっと驚いたような顔をした切原が立っていた。

部活の後、直接来たのだろう、制服姿にテニスバッグ。
いつもと変わらない格好。
少し離れた所に立ちつくして動こうとしない切原に対して、の方も寄りかかった壁から動こうとせず、少しだけ口を尖らせた。

「―――遅い」

その彼女の声に、ようやく目が覚めたようにの方へ駆け寄ってくる切原。

「まだ待ってたんすか」
「なによ、それ」

切原の顔を見て、とにかくほっとしたは、そんな彼の台詞にもあまり腹が立たなかった。
一応睨んだけれど、全くの迫力不足であることは自分でも分かった。

「すいません、練習が……長引いちゃって」

嘘が下手なんだな。
視線を彷徨わせる目の前の男を見て、即座に思った。
でも、何となく追及するのが怖くて、はため息をつくだけ。

「連絡くれればいいのに」
「ケータイの充電切れちゃって」
「どんだけ迂闊なのよ」

の言葉に、ちょっとだけ笑った切原の顔は、だんだんいつもの調子に戻って来ているようだった。
そんな彼を見て、はまたホッとする。




「―――映画、もう始まっちゃいましたね」
「そうだね」

とりあえず映画館へ移動し、二人でぼんやりとタイムスケジュールの掲示板を見上げた。
唸ってはみるけれど、あまり真剣に別の映画を探す気になれない。
はちらりと切原が担いでいたバッグを見る。

「―――ねえ、ラケットってさ、2本あったりする?」
「は?……まあ、ありますけど」
「じゃあ、テニス出来るところに行かない?」
さん、テニス出来るんすか?」
「さあ……いつも見てるし、何とかなるんじゃない?」
「……あんた、テニスなめてるっしょ」
「そんなことないよ」

さあ、行こう行こう。
はグイグイと切原の背中を押す。
今日は映画館のシートでじっとしているより、体を動かした方がいい。
そんな気がした。

二人が向かったのは、切原がたまに行くというテニスクラブ。
日曜の午後ということもあり、それなりに混んでいたが、何とかタイミングよくコートを借りることが出来た。
クラブのメンバーには切原のことを知っている人が多く、移動していると沢山の人が声を掛けてきた。

「よお、来たのか」
「今度見てくれよ」
「何だ、今日は女の子とデートか?」

笑顔で、中には冷やかし口調で話し掛けて来るおじさんたち―――何故か男の人ばかりで、やたら年齢層が高かった気がする―――に、適当に返事をする切原。
全然愛想なんて良くないのに、こうやって慕われるのは、ある種才能だなぁなどと、は妙に感心してしまう。
テニス部の人間にはよく自分から話しているけれど、それ以外の人間にはあまり切原の方から声を掛けているのを見たことがない。
けれど、彼の周りにはいつも人が絶えないように思う。
少なくともが見た時には、大概そんな感じだった。

「―――また何か変なこと考えてるんすか?」
「またって何よ、またって」

ラケットを取り出しながら不審そうに見上げて来る切原に対し、は腰に手を当てて頬を膨らます。

「あんたがそう言う顔してるときって、いっつも妙なこと考えてる時じゃないっすか」
「別に妙じゃないよ。切原くんはもてるなぁと思っただけ」
「……やっぱ妙なことじゃないっスか。第一、オヤジたちにもてても全然嬉しくないっつーの」
「オヤジだけじゃないじゃない。学校でももててるし」
「ヤローばっかですけどね」
「女の子にだってもててるでしょ?」

は切原からラケットを受け取り、意味もなくガットを眺める。
次に受け取ったボールを地面にポンポンとついてみた。
どちらも毎日のように見ている物なのに、まともに触れるのはこれが初めてだ。

「……妬いてるんすか?」
「うん。私も切原くんみたいにもててみたい」
「……あっそ」

あからさまに呆れた顔をする切原に向って、がヒョイとボールを投げると、手に持っていたラケットの面で器用にキャッチし、そのままラケットの上でポンポンと突いてコートへと向かう。
そして、の方に背を向けたままボソリと吐かれた台詞。

「別に、自分が興味のある人間にもてないんじゃ、意味ないっしょ」

それは自分に対する柳のことを指しているのだろう。
はそう思って肩を竦め、「そうだね」と即答する。
振り返った切原の表情は、笑っても怒ってもいなくて、よく分からなかった。




「―――で、あんたは一体何しようとしてんすか」
「いや、この前見た真田くんの真似をしてみようと思ったんだけど」

最初のうちは流石にマトモに打てなかったが、暫くすると結構ラリーも続くようになってきて、調子に乗ったは妙な打ち方をするようになって来た。

「……まさか、風林火山とか言ってるんすか」
「そうそう、それ。でもボールが前に飛ばないんだけど」
「……そんな簡単に出来るワケないっしょ。大体、何でよりによって真田副部長の真似なんかするんスか」
「切原くんが嫌がるかなと思って」
「サイテーだよ、あんた」

あはは、と笑っている隙に、打ち込まれたボール。

「ずるい」
「どっちが」

の抗議に即座に突っ込み返した切原は、肩をラケットでぽんぽんと叩きながら、ベンチの方へ移動した。
もボールを拾ってベンチに向かい、彼の隣りに腰を下ろす。

「あんた、ホントにテニスやったことねーの?そうは見えねーけど」
「そう?じゃあコーチがいいからじゃない?」
「だよな」
「……ちょっとは謙遜しなよ」

もともと切原の方は彼女に言いたい放題ではあったけれど、の方も最近は思ったことを普通に言うようになってきた。
恋人同士らしい会話など当然のように全くないけれど、こうやって他愛もないやり取りをしていると、何となく、くすぐったさのようなものを覚える。
しかし、それと同時に、何か、苦いような痛いような感覚も少しだけあったりするのだ。
以前、学食で柳に対して感じたような。

―――この関係のゴールは、一体どこにあるんだろう。

最近、ふと、こんな疑問が浮かぶことがあった。
けれどそのたびに、気づかないふりをしたり、すぐに他のことを考えたりしてしまう。
痛いのも、苦いのも―――好きではない。

「腹減ったー」
「……いっつもそんなこと言ってるね。さっきお昼食べたばかりじゃない」
「さっきっつっても、もう食ってから2時間は経ってるじゃん」

切原の呆れたような顔を見ていると、の方がおかしなことを言っている気がしてくるから不思議だ。
やれやれとため息をつきながら、立ちあがる。

「何か食べに行く?私はあんまり食べられないけど」
「じゃーさ、近くにある焼肉食べ放題の店に行きましょうよ」
「……あんまり食べられないって言ったの、聞いてた?」

しゃあしゃあと言ってのける切原をジトリと見上げ、その額をコツンと叩こうと手を伸ばす。
―――が、それより切原が彼女の手を掴む方が早かった。

単に防御に出ただけだろうと、はその手をすぐに引っ込めようとしたけれど、切原は掴んだまま放そうとしない。

「ちょっと―――」

放しなさいよ。
いつも切原がふざけた時に窘める口調でそう言いかけたけれど、雰囲気がいつもとちょっと違って、思わず声が詰まる。

掴んでいる手の力がジリジリと強くなってきている気がして、じわじわと熱が伝わって来て、は言いようのない不安に襲われる。
冗談っすよ。
びっくりしました?
そう言う言葉を待っているのに、切原は俯いたままの方を見ようとしない。

「―――さん」

代わりに出た言葉は、待ち合わせ場所で少しだけ、予想していたもの。
けれど、敢えて考えないようにしたもの。

「やっぱ、こう言うの、やめにしましょっか」

始まるのも突然なら、終わるのも突然。
切原の掴んでいた手が放されると、すごく不安定な気分になって、それに抗うようにぐっと歯を食いしばる。

「―――うん」

一体これ以外にどう答えればよかったと言うんだろう?