absurd 1




彼から呼びだされた時、予感はしていた。
そろそろかなぁと自分でも思っていたから。

「もう別れようぜ」

昼休み、いつも彼と一緒にお昼を食べている中庭に行くと、既に彼が座って待っていた。
手ぶらのまま。
私の姿を見とめると、いつになく真面目な顔をして立ち上がる。
ああ、来たな。
その表情だけで分かってしまった。
彼の言葉に、私は「うん」と小さく頷くしかない。
どうしてとか聞く気にもなれなかった。
だって、こうやって義務のようにお昼を一緒に食べて、殆ど会話もない。
最初はあんなに二人とも楽しかったはずなのに、今じゃ友達に向ける笑顔の三分の一もお互いに向けられない。

「何か、つまんねーし」

うん、私もそう思ってた。
また私はコクリと頷く。
そして暫くの沈黙の後、ほんの少しだけ彼は何か言いたげな様子を見せたけれど、そのまま「じゃあな」と去ってしまった。
取り残された私は、はぁとため息をつく。
ああ、終わった。
そんな解放感と、ちょっとの寂しさ。
お互い、すごく好きで付き合ったわけじゃない。
同じクラスで、ちょっといいなと思ってて、友達に「あいつ、のこといいって言ってるみたいよ」とからかわれてから変に意識し出しちゃって。
「付き合わない?」って移動教室の時にサラリと言われて、「いいよ」とあっさり返事をした。
一緒に帰ったり、遊びに行ったり、共通の友達と騒いだり、最初は楽しかったのになぁ。
色々やり尽くしたら、何だかつまんなくなっちゃった。
もう一度ため息を吐き出し、私は芝の上に腰を下ろした。
お弁当の包みを開けるけれど、何だか手を付ける気にならない。
一応、失恋のショックは受けてるのかなぁ。
そう思って苦笑いした時、背後でガサガサと音がした。

「あれー、だったんだ」

欠伸をしながら現れたのは、確か、隣りのクラスの芥川くん。
え、まさか、ずっとそこにいたの?
思わず怪訝な顔をする私に、芥川くんは暢気な声で「うわー、旨そうなお弁当〜」と言ってお弁当箱を覗き込んでくる。

「もしかして、が作ったの?」
「ううん、お母さんが作るのを手伝っただけ」
「へー、偉いねー」
「普通だと思うよ」
「ねーねー、この卵焼き一つ貰ってもいい?」
「え?ああ……うん」

こんなに人懐こい性格だったんだ。
今まで全然会話したことがなかった私は、「嬉し〜」と笑う芥川くんの顔をまじまじと見てしまった。

「よかったら、他のも食べて」
「いいのー?何で?は食べないの?」
「うーん、あんまり食欲ないし」
「やっぱ失恋すると食欲なくなるの?」

表情変えずそう言って、芥川くんは唐揚げをヒョイと摘まむ。
私が動揺で肩をビクリと揺らしたことなど気付かないように「ダメだよー、午後は体育があるだろ?」と、弁当箱を覗き込んだまま笑った。

「……見てたの?」
「見てはいないよー、聞こえただけ。そこって、俺のお気に入りの昼寝スポットだから」

さっき芥川くんが現れた茂みの方を指差す。
お気に入り……ってことは、もしかして今までも色々会話とか聞かれてたってこと?

「三ヵ月くらい前にさー、昼寝邪魔するカップルが来て、あー、場所変えようかなぁって思ってたんだけど、じきに静かになっちゃったから、まあいっかーと思って」
「……趣味、悪いよ芥川くん。最初に言ってくれれば私たちの方が場所変えたのに」

つい口調が非難めいたものになってしまうのは、仕方がないと思う。
けれど、芥川くんはそんな私にビックリしたような顔をして、そして何故か嬉しそうに笑った。

「名前、知ってたんだー」
「え?ああ、うん……それは、隣りのクラスだし、結構有名だし……」
「そっか〜」

ニコニコと笑う芥川くん。
思わず毒気を抜かれそうになるけど――そうじゃなくてっ。
私は膝の上でぎゅっと拳を握る。

「何で言ってくれなかったの?」
「んー?何を?」
「だから……すぐそこが昼寝スポットだって……」
「うーん、そうだねー、ごめんごめん」

とても反省しているようには思えない調子の芥川くんに、私は思わず呆れたため息。
この人って、こんな人だったんだ?
よく昼寝をしている人だって言うのは、周りの女の子たちが話しているのを聞いたことがあるから知っていたけど、何て言うか――軽い感じ。
眉根を寄せる私に、芥川くんは小さく苦笑い。

「そっかー……だったんだね〜」

独り言のようにそう言って、私の隣りに並んで体育座りをする。
肩が触れそうな位置で反射的に避けると、芥川くんはまた小さく苦笑した。
さっきまでの無邪気な笑顔とはちょっと違う、大人びたような――少し怖いような。

「ねーねー、
「……なに?」
「俺と付き合わない?」
「は?」

ビックリするのを通り越して呆れた。
それはそうだ、だって、ついさっき彼氏と別れる現場を見ておいて、普通そんなことを言う?
いつの間にかニコニコ笑いに変わっている芥川くんに、あからさまに呆れたと言う視線を向けた。

「本気で言ってるの?」
「うん、本気だよー」
「だって、私、ついさっき彼氏と別れたばかりなんだよ?」
「そうだねー」
「それって……ムチャクチャ、じゃない?」
「何で?、まださっきの奴のことが好きなの?」

不思議そうに見る芥川くんに内心腹を立てながらも――その彼の問いにすぐ頷くことが出来なかった。
嘘でも頷いておけばよかったのに。

「……でも、少なくとも芥川くんよりは、好き、だよ」
「それは俺を知らないからだよね」
「いきなりこう言うことを言う人を好きになるとは思えない」
「そっかなー」

きっとこの人は私のことをからかっているんだ。
私はお弁当箱の蓋を閉じて立ち上がろうとした。

「どこ行くの?」
「教室に戻るの」
「返事聞いてないよ?」
「だから……芥川くんとは付き合わないよ」
「何で?」
「だから……って、さっきもこの会話したでしょ」
「別れたばかりだと、何でいけないの?」
「常識で考えておかしいと思うし、それに、私は芥川くんのことを好きにならないと思う」
「常識なんてどうでもいいしー、好きにならないなんて、まだ分かんないと思う」

芝生に手をついて、両足を伸ばして、立ち上がりかけた私を見上げる芥川くんの目は、あまりに飄々としていて何を考えているのか分からない。
一体何でこんなに食い下がって来るんだろう。
ただの冗談ならそろそろ引き下がってくれてもいいのに。

「……暇つぶしか何か?彼女が欲しいなら、他にいくらでも可愛い女の子はいるでしょ、芥川くん、もてるんだし」
「うん、そうだね〜」

……ほんとに、この人って、こんな人だったの?
私は苛立ちを隠そうともせずに、彼を睨みつけた。

「でも、俺、がいいなー」
「訳分かんない」
「だからー、これから知ってけばいいじゃん」
「そうじゃなくて……」

駄目だ。
会話が変なループに入っている。
ため息をつくと、何をどう解釈したのか「じゃあ、決まりね」と言って芥川くんも立ち上がった。

「ちょっと待ってよ、私は――」
「明日からは俺と一緒にお昼食おうね」
「ちょ、ちょっと!芥川くん!」

私の意見など聞く耳持たず、芥川くんは教室の方へ戻ろうとする。
慌てて引き留めようとする私に、彼はくるりと後ろを振り返ってヒラヒラと手を振りながら言った。

「あ、ジローって呼んでよ、皆そう呼んでるから」

誰が!
誰が呼ぶか!
そんな私の心の叫び声など聞こえるはずもなく、芥川くんは「じゃーねー」と暢気に笑って立ち去ってしまった。