absurd 2




午後、移動教室で隣りのクラスの前を横切った時、ふと目に入った芥川くんは女の子に囲まれていた。
眠そうに欠伸をする彼に、女の子の一人がポッキーの箱を差し出している。
一本取ってポリポリと食べる彼の横で、女の子たちが楽しそうに笑っている。
たまに見かける光景と何ら変わらない。
大概、彼は教室にいる時はああやって女の子たちと楽しそうに騒いでいる。
――ああ、違うか、楽しそうにしているのは専ら周りの子ばっかりで、芥川くん本人はいつも眠そうにしていたかもしれない。
そう言えば、あんまり彼の笑い声って聞いたことないかも。
ふとそんなことを思いながら――何を考えてるんだと我に返ってプルプルと首を横に振った。
結局、私は彼を意識しているんだろうか。

「どうしたの、
「ううん、何でもない」

そんな自分にムカついて、その腹立ちを誤魔化すために私は無駄に明るい笑顔を友達のミキに向けてしまった。

「もー!彼氏と別れた直後の人間の笑顔じゃないね!」
「そ、そう?」
「何か慰め甲斐がないよ」
「何それ」
が彼氏と別れたら二人でケーキ食べまくろうと思ってたのにー」
「何気に酷いこと言ってない?」
「あーあ、つまんない。でもまあいっか、ケーキ食べに行くよね!」

どっちが本当の目的なんだか。
肩を竦めつつ私たちは歩き出す。
一瞬芥川くんが私の方を見たような気がしたけれど、気にせずその場を後にした。




放課後、予定通りミキとケーキを食べに行った。
以前ミキが彼氏と別れた時も、同じ店でケーキを三個食べた。
この日だけはカロリーなんて気にしちゃいけないんだ!
そう言い張るミキに付き合って、半ば勢いで。
さすがに三個目は最後の方でちょっと気持ち悪くなった。

「いい男いないかねー」

ミキがショートケーキにフォークを差しながらため息をつく。
私はフルーツタルトにフォークを突きさしつつ肩をすぼめた。

「マンモス校だし、どっかにいるんじゃない?」
「ああ!もういっそのこと跡部様ファンクラブに入っちゃう?」
「ええ?そっちに行っちゃうの?」
「いいじゃん!いい男だよー、お金持ちで顔もよくて頭もいい!非の打ちようがないね」
「ミキ、ホントに彼女たちに交じって『あとべさま〜』とか言いたいわけ?」
「……言いたくない」

ケーキを口に放り込み、もそもそと食べるミキ。
確かに、跡部くんはすごいなぁと思うけれど、全く接点がないこともあって、何となく別世界の人間のような気がしてしまう。

「跡部くんに関わらず、テニス部のレギュラーはいい男揃いだと思わない?」
「見た目はね」
「うわ、きっつー、
「だって、皆よく知らないし」

去年、宍戸くんは同じクラスだったけど、あんまり話したことはなかったし、いい男なのかどうかなんて分からない。
見た目で言えば、今日まで付き合ってたあいつだって、そこそこ悪くなかったのだ。
けど結局三ヵ月で終わってしまった。

「でもほら、芥川くんとか、いいと思わない?」
「え!?」

不意打ちのような、その名前に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
まさか、昼休みに見てた――って訳じゃないよね?
訝しく思いながらも平静を装って、ケーキを口に運ぶ。
そんな私に、ミキはニヤニヤと笑った。

「さっき、芥川くんを見てたでしょ」
「え?」
「そんな、とぼけなくていいよ!移動教室の時、隣りのクラスにいた芥川くん見てたでしょ」
「……気のせいだよ」
「すっごく熱い視線を送ってたじゃん」
「怒るよ、ミキ」

睨んだけど、ミキは可笑しそうに笑うだけ。
頬杖をついて紅茶を飲む私に「まあまあ、そんなに怒らないでよ」と、笑いながら言う。

「でも何か、可愛いよね〜芥川くんって。ふわふわした感じでさ」
「まだ言うの?」
もそう思わない?」

可愛い……?
別れ話をしていた人間に、いきなり付き合おうって言うような人が?
どうやら私は物凄く嫌そうな顔をしていたらしい。
ミキは「ど、どうしたのよ……」と顔を引き攣らせた。

「ふわふわしてるのは髪の毛だけでしょ」
「どうしたのよ、。何かあった?」
「別に。よく知らないし」
「あ、ほら、笑った顔も可愛くない?」
「それも見た目じゃん」

カップの紅茶を飲み干した私は、ポットを手に取る。
結局、私たちは見た目しか知らない。
あとは、テニスが強い、と言うことくらい。
でもあんなに寝てばっかりで、本当に強いんだろうか。
もちろんこの学校のテニス部でレギュラーなんだから弱いってことはないんだろうけど、どうも現実味がない。

「彼女いるのかねー、あんまり特定の女の子と一緒にいるのとか見たことないけど」
「あれだけもてるんだからいるんじゃない?他の学校にいてもおかしくないし」

無駄に声が冷たくなるのが自分でも分かる。
まさか昼休みに付き合おうと言われたなんて、今さら言えるわけがない。
私の反応を見てニヤニヤと笑うミキ。
ほんっとに、一体何なのよ。

、私応援してるから!」
「今まで会話からどうしてそう言う話になるのよ!第一、私、今日彼氏と別れたばっかりなんだけど?」
「そんなの関係ないってー」

ミキの言葉に誰かの台詞が重なって、私は思いっきり睨みつけた。
やっぱり今日もケーキ三個いってやる。




次の日、私はお弁当をミキたちと一緒に教室で食べた。
前日の芥川くんの言葉を忘れたわけじゃない。
本気にしてなかっただけだ。

「おかえりー、
「ここに帰って来てくれるって信じてたよ」

悪友たちの温かい歓迎に、私は物凄くにこやかな笑みを浮かべる。
ホントにいい友達を持ったよ。
机にお弁当を広げながら、チラリと窓の外を見た。
もちろん、こんな所からじゃ私たちが今までお昼を食べていた場所なんて見えない。
そこに芥川くんが来ているかどうかなんて、確かめることは出来ない。
まあ――昼寝スポットだって言ってたから、いつもと変わりなくあそこで寝ていてもおかしくない。
久々に皆とワイワイ騒ぎながら食べるお昼はやっぱり美味しい。
けど、窓の外が時折気になって、今いち楽しみきれないと言うか……。
空になったお弁当箱を鞄にしまい、ため息をつく。
このまま悶々としてても気持ち悪い。

「あれ、、どこ行くの?」
「ちょっと散歩」

お菓子を机の上に広げて見上げて来るミキに私は短くそう答えて教室を出た。
いないならいないで、やっぱりそうかと思うだけだし。
いたらいたで、昼寝してるのかと思うだけだし。
――あれ?私って何であそこに行くんだろう?
自分のことがよく分からなくて、一人、眉根を寄せる。
でも、教室に戻ろうと言う気は起きなかった。
とにかく――確かめよう。
私は中庭の更に奥の茂みへと入って行く。
すると、探すまでもなく、いつも私たちがお昼を食べていた場所に、芥川くんがゴロンと寝そべっていた。
隣りにはパンとジュースの入った袋。
うそ。本当に待ってたの?

仰向けでぐうぐうと気持ち良さそうに眠っている芥川くん。
起こそうかどうしようか迷いながら彼の隣りに膝をつく。
触れようと思えば触れられる位置に、ふわふわとした髪がある。
昨日まで会話も交わしたことがなくて、たぶん自分から半径5メートル以内に彼が入って来たことはないと思う。
変な感じ。
「うーん」と唸りながら私の座る方に寝返りを打つ。
この髪は柔らかいんだろうか、それとも案外かたいのかな。
手を伸ばし掛けた時、芥川くんがゆっくり目を開いた。

「あれー、?」

慌てて手を引っ込めた私に、寝ぼけているのかノロノロとした口調でそう言い、目をこすりながら体を起こす。
そして思いっきり欠伸をして――とても私を待っていたって感じじゃないな。
ちょっとほっとしながら、同時に少し、寂しい気分になる。

「何かいい匂いがすると思ったら、だったんだー」
「はあ?」

まだ目が覚めてないのか、むにゃむにゃとそう言いながら、私の肩に凭れて来た。
あまりに自然で、避けるタイミングを逃す私。
首に芥川くんの髪が当たる。
思った以上に柔らかい――じゃなくて!
私は熱くなる顔を誤魔化すように、少し強い口調になってしまった。

「ちょ、ちょっと!いい匂いだったら誰でもいいの!?」
「そんな訳ないじゃん」
「じゃあちょっと離れて――」
「あー、そうそう、跡部もいい匂いするんだよ〜?」

そんなこと知らないし。
て言うか、別に知りたくないし!
芥川くんは顔を引き攣らせる私にお構いなしに、更に寄りかかって来る。
そしてまた寝息が聞こえて来て、私は慌てて彼を揺すった。

「芥川くん!ごはん!ごはんまだ食べてないんじゃないの?」
「んー?ああ……」

面倒くさそうに目を開ける。
だけど私の肩から頭を起こす気はないらしい。

は?食べたの?」
「うん……食べたよ」
「え〜?待ってたのに、酷いよ、ー」
「……来るって言ってないし」

ちょっと低い声でそう答えながら、私はさっきよりも自分が安堵していることに気が付いた。
一体、何なんだろう、この人は。

「早く食べないと、昼休み終わっちゃうよ?」
「うーん」

急かしても暫くはそのままだったけれど、ようやく諦めたかのようにのろのろと体を起してパンの袋を開いた。
モソモソと食べる様子を眺めていると、つい、ため息を漏らしてしまう。

「……部活もやってるのに、そんなパンだけで平気なの?」
「今日オフだしー」
「部活のある日はどうしてるの」
「学食で食べてる。後は、跡部にお裾わけして貰ったりとか」

生徒会室で普通にフルコースとか食べてるからねー。
そう淡々と話してジュースを飲む芥川くん。
そこは笑うところじゃないんだ……。
とりあえず「仲がいいんだね」とだけ言うと「まーねー」とだけ返って来た。

「女の子からお菓子はよく貰ってるけど、お弁当は作って貰ったりしないの?」
「あー……そう言うのはね〜……」

言葉を宙ぶらりんにしたまま、芥川くんはちょっとだけ苦笑いを浮かべる。
お菓子はよくてもお弁当は駄目なんだ。
私は肩を竦めて、何とはなしに空を見上げる。
いい天気――なんて思ってたら、隣りから欠伸が聞こえた。

ってさー、毎日お弁当持って来てんの?」
「え?うん……まあ、基本的に」
「お弁当ってさ、1個作るのも2個作るのもあんまり手間変わらないって聞くけど、本当?」
「うんまあ……そうだね。むしろ1個だとおかずが余ることがよくある」

ちょっと嫌な予感がした。
訝しげな視線を向けるけど、芥川くんは相変わらず淡々とした感じでパンをむしゃむしゃと食べている。

「じゃあ、明日から俺の分も作って来て?」
「……ちょっと待ってよ、お弁当は貰いたくないんじゃないの?」
「そんなこと言ってないよー」
「でもさっき、女の子から貰うのはちょっと……みたいなこと言ったじゃない」
「ああ……は別」

眠そうな目をして、サラリと言う。
本当に――一体この人は何なんだ。

「だって、部活ある日はパンだけじゃ足りないしー、学食の食器ここまで持って来るの大変だしー。あ、も跡部とご飯食べる?」
「食べないよ!」
「え〜?跡部ん家のご飯美味しいのにぃ」
「そう言う問題じゃないと思う」

冷ややかに言う私の隣りで、芥川くんはゴクゴクとジュースを飲み干す。
本当にマイペースな人だ。
ため息をつく。
けど、何故か妙に私はリラックスしていた。
芥川くんがのんびりした感じだからなんだろうか。
私はまた空を見上げる。

「ねえ……何で?」
「うん?」
「何で、その……私と付き合おうなんて言い出したの?」
「あー、進歩だねー」
「え?」

彼の言葉の意味が分からなくて、私は眉間に皺を寄せる。

「だって昨日は頭ごなしに『付き合う気はない!』って言い張ってたじゃん」
「それは普通あのタイミングで言われたら――」
「でも俺のこと、ちょっと気になったんだー」
「別に芥川くんのことが気になったわけじゃなくて、その真意が気になって――」
「同じだよー」

いつの間にか、嬉しそうに笑っている。
本当によく分からない人だ。
好奇心?暇つぶし?
でも何だか、そう言うのは違うような気がする。
昨日付き合おうと言われた時は一瞬「軽い人」と思ったけれど、だんだんそう言う感覚が薄れて来てしまっていた。

「何でか知りたい?」
「まあ……ちょっとは」
「んじゃあ、明日お弁当作って来て」
「結局そこに戻るの?」

呆れ顔の私に対して、芥川くんの笑顔は変わらない。

「……作って来たら、教えてくれるの?」
「うん、教えてあげる」

そこまでして、私は本当に知りたいんだろうか。
自分でもよく分からないけど、また何か昨日のように会話のループに入りそうな気がして、大人しく頷いた。

「えっ、マジマジ!?」
「――いや、作ってって最初に言ったの、芥川くんでしょ」

うっれし〜と言って、全身で喜びを表現する芥川くんを見て、私はちょっと動揺。
それを隠すようにプイと視線を逸らす。

「悪いけど、おかずは普通だからね。フルコースとかじゃないよ」
「分かってるよ〜。いつもが作ってるヤツでいいの」

立ち上がる私に、芥川くんはヒラヒラと手を振って来る。

「じゃ、また明日、ここでね」

この人は、どんな人なんだろう。
付き合うかどうかは別として、私は少し芥川くんに興味が湧いてしまった。