after that 1




英才教育、と言うよりは、ただの父親の趣味と言った方がいい。

周りの友達が自転車に乗る練習をしている時に、川辺の小さなサーキットに連れて行かれてカートに乗せられた。
英才教育、じゃなくて、ホントにただの思いつきの趣味。
自分じゃ何も教えないくせに毎週末サーキットに連れてってコースに放り出す。
最初は怖くって殆どアクセルペダルなんて思い切り踏めなかった。

でも人間なんてだんだんスピードに麻痺して来るもの。
あと10周したら帰るぞって言われたら、さっさと10周終わらせたくなるもの。
とにかく早く終わらせて帰るために最短コースとか考えたり、なるべくスピード落とさず曲がる方法とか考えたり。
同じサーキットに通ってた同い年くらいの男の子が何人かいたんだけど、その子たちのタイムを抜いたら次の週は休みをくれるって言われて、もう、がむしゃらに走ったり。
学校の友達が習い始めたピアノに憧れて、じゃあ、次の草レースで優勝したら買ってやるって言われて、足がパンパンになるくらい練習したり。
まあ、その時は結局優勝出来なくて買って貰えなかったんだけど。

要は、うちの父親の趣味にまんまと乗せられて、上手く手の平の上で転がされていた感じ。
高校卒業を前に、進路は自分で決めていいぞって言われて、やっと解放。
大学はそう言う関係とは全く無縁の学部を選んで、もう二度とカートになんか乗るかって思った。
実際カートには乗ることはなかった。

いや、大学進学を決めて、最初は走ればいいからって中古の小さな軽を買ったんだ。
でも足がふわっふわしてて、むちゃくちゃロールして、怖くて乗ってられない。
そんな話をしてたら、昔からの知り合いが――これがカート関係の知り合いってとこが悲しいんだけど――別のに乗り換えるから、お前なら今乗ってるNAロードスターを安く譲ってやるよって。

白のハードトップのそれは、ぱっと見ゴリッゴリの走り屋仕様じゃないところがまず気に入った。
次に、乗ってみて、脚がすっごくしなやかなところに感動した。
そりゃ何の改造もしてない、一番安いグレードの軽と、カート上がりの知り合いが手塩に掛けてメンテした車と、比較する方がおかしいんだけど。
今までこつこつ貯めたお年玉とか賞金とかを殆ど使い切っちゃったことは後悔してない。
ほらやっぱりな、みたいな目で見てきた父親には、ムカつかないこともなかったけど。
別に、あのオヤジの影響じゃない。
ただ、どうせ乗るなら、ある程度自分でコントロール出来るような車の方が安心って言うか、何て言うか。
ほら、危険回避のためにも。
単にそれだけなのだ。
ホントに。
……たぶん。



「知ってるか、赤城に最近もの凄く速いヤツが来てるって話」

私に車を譲ってくれた人、菅井さんが峠麓の駐車場に現れるなり楽しそうに話しかけてきた。
外灯らしい外灯もない暗がりでも、そのウキウキした表情は声だけで分かる。
私は温くなった缶コーヒーを手で弄びながら「はぁ」と気のない返事をした。
実際あまり興味がなかったからだ。
今までもそう言う噂には散々裏切られてきたから。

あの峠には速いヤツがいる。この峠ですごく速いチームがある。
えっ、そうなの?わっ、ほんと?って最初はいちいちはしゃいで、その峠にギャラリーしに行ったりしたんだけど、悉く期待を裏切られた。
遅いとは言わないけど。
何て言うんだろう、パフォーマンス重視って言うか、俺カッコいいだろ?って言うナルシストが多いって言うか。
純粋に速さを追求するストイックさが全然足りなくて拍子抜け。
そんな話をすると「峠のお遊びなんてそんなもんだって」って皆笑うけど。

「何だよ、ノリ悪いなぁ、
「別にそう言う訳じゃないけど……またかーって」

一緒にまったりしてた友達の和彦が「を満足させるのは容易じゃねぇよなぁ」って笑う。
皆だって、大したことないとか期待して損したとか、いっつも言ってるのに私一人がそうみたいに言わないでよね。
抗議の視線を向けてみたけど、くくくって可笑しそうに笑うだけ。

「あんだけ『カートから解放されるー!』って喜んでたが、結局この峠の下り最速だし」
「それは、あんたたちが本気で走らないからでしょ!」
「『もうサーキットなんか行くもんかー!』って散々言ってたのが、毎晩峠走り込んでるし」
「それは……街走りだけじゃ、この車が可哀相って言うか……」

もごもごと、だんだん歯切れが悪くなっていく。
最初は通学にしか使うつもりはなかったし、街中を走るだけでも十分気持ちいい車なのは確かだった。

けど……いつもレブリミットの半分くらいしか回してあげられなくて。
たまに発進の時にリミット当たるぎりぎりまで回すことはあっても、そんなのほんの一瞬。
タイヤのグリップの限界なんて意識することも稀。
欲求不満気味にブオーッて吹けるエンジン音が、やけにもの悲しく感じてしまって、ちょっと峠に繰り出したのが運の尽き。
この車の最大限のポテンシャルを引き出す!って意気込んだのはいいけど、まあ、車なんてそんな単純なものじゃなく。
限界ってどこ?どこ?って探ってるうちに、いつの間にか「走り屋」なんて言われるようになってしまった。

別に、自分が下り最速なんて思っていない。
いやその辺のヤツに負けるとは思わないけど、一緒に走ってる、この、元カート仲間が本気になって走れば敵うはずないのだ。

「でも今回の男は結構マジで速いらしいぜ。それまで赤城最速レコード持ってたってヤツが一瞬でぶち抜かれたって言うし」
「へー、そりゃすげーじゃん」

ひゅう、なんて肩竦めて驚いてみせる和彦。
あからさまに馬鹿にしてる雰囲気。
私も似たり寄ったりな気分。
赤城はレベル高いって噂だから、多少の信憑性はあるのかもしれないけど、今までの経験からどうしても気分は盛り上がらない。
どうせただの「峠の走り屋」じゃん。
自分だって今じゃ同じ立場なんだけど、頭の片隅にそんな考えがどうしても蔓延る。

「騙されたと思って、今度ギャラリーに行ってみようぜ。どうせ最近退屈してんだろ」
「別に退屈なんてしてないよ」
「よく言うぜ、毎日つまんなそーにここでダラダラしてるヤツが」

私は菅井さんの言葉に不満げに口を尖らせたけど、半分図星だった。
まだ完全に乗りこなせてるとは思っていないけれども、でもテンションは半年前より確実に下がってるのは自覚ある。
どこのコーナーをどんな風に走れば速いかってのは、もう大体一通り試して知り尽くしてるし。
バトルはそんなにしないけど、仲間うちで走る時に相手の車を抜く場所は決まり切ってるし。
最近は、その『ハマる』走りが何回出来るか、って言うのだけが専らの課題で。
後は仲間の車を運転させて貰って、車種による性能の違いとかを楽しんだりとか。
要は、マンネリ。

「こっち戻ってくれば?
「戻らないよ!あのオヤジの思い通りにはならないんだから!」
「今でも十分思い通りになってるような気がするけどな」

反射的に和彦の肩を叩くと、大げさに「いてっ」とよろけられた。

「でも、最近赤城に現れたって、じゃあ、それまでどこ走ってたんですか、その人」
「それが誰も知らないんだよ、俺たちの間でも『高橋涼介』なんて名前聞いたことないし。も知らないだろ」
「タカハシ?……ううん、確かに知らない」

ありがちな名前な気もするけど、今まで聞いたことはない。
散々いろんなレースに出てる菅井さんも知らないってことは、確実にカート上がりじゃない。
サーキットでも、適当なお遊び走行会で走る分には別に本名出さなくても走れるけど、ちょっとしたJAF公認のタイムトライアルとか出れば必ず本名は知れる。
そんな、いきなり現れて、初っ端から速いなんてことあるんだろうか?
……胡散臭い。
やっぱりいい加減な噂なんじゃないの?

「だからさ、彗星のごとく現れた〜っとか言って、そいつ白のFCに乗ってるから、一部では白い彗星なんて呼ばれてるらしいぜ」
「ちょっ、和彦!きたないっ」

隣りで和彦がコーヒーを吹いた。
私も危うく缶を落とすところだった……。
たまにとんでもないネーミングされることがあるよね……この世界。
私も危うく変なあだ名を付けられかけたことがある。
仲間内じゃ禁句だけど。

「な?ちょっと興味湧いてきただろ?」
「な?って、どの辺が『な?』なのか聞きたいんですけど」
「いや、俺、興味湧いてきたわ〜。どんなヤツが彗星なんて呼ばれてんのか気になるわ〜」

じゃあ、早速今週末行こうか、なんて二人で話が盛り上がる。
小馬鹿にする気満々だ。
ホント悪趣味だよなぁ。悪い人たちじゃないんだけど。

も行くだろ」
「ええ?ううん……」
「付き合い悪いな、。いいじゃん、ちょっとドライブがてら行ってみようぜ」
「ドライブて……まあ、いいけど」

正直、この時点では、その彗星さんにはほんっとに興味なかった。
どうせ週末のメジャーな峠なんて車いっぱいで走りづらいだろうし、赤城自体にもそれほど興味なく。
ガソリン代勿体ないから、菅井さん乗せてって下さいねーってお願いして、その日は解散した。